2009年07月

09/07/31 (金) 無題


早朝からいろんな電話がかかってきたので、今まで日記を書くことができませんでした。


昨日の夕刻に緊急の全員協議会が開かれました。
内容は、あわら市営住宅の管理業務を担当していた元建設課主任による使途不明金の発覚及び懲戒免職処分の理事者側による発表でした。
詳細は今朝の新聞発表と同じです(但し腑に落ちない点が一点残っていますが)。
綱紀粛正と管理業務の再検討が今後の早急のテーマです。
勿論、議会も監視の目を一層強めなければ、と思っています。


あわら市民の皆様、不信を招いたこと、まことに申し訳ありませんでした。

09/07/30 (木) 夜が明けてきた


地球の歴史は45億年というのが定説だ。
7、8年前に(暇な私は)地球の歴史を一年とした場合、恐竜が滅びた時・壬申の乱・源平合戦・明治維新など歴史のエポックがどの位置にくるのかを電卓ではじきだし、この日記に書いたことがある。
人の一生(を100年としても)など大晦日の除夜の鐘が鳴り始める0.5秒前つまり鼻をかむ時間で終わってしまうとわかり愕然とした。そして、宮本輝の小説に「人生は永遠のなかの一瞬である」という言葉を見出した時、大いに共感した。


車椅子の天才宇宙物理学者・ホーキンスは「300億年のちに宇宙は消滅する。そして時間も消滅する」と書いているが、時間の消滅をどう解釈してよいのか皆目わからない私は、深夜に想像力をめぐらせ、寝汗をかいたものだ。


そして、「人生をむつかしく考えるのはよくない。健康に悪い」と結論づけた私は「無心で生きること」をその後の人生の座右の銘とした。


夜明けに吉崎湖畔へと車を走らせた。
先週の土曜日に納涼祭が開かれた場所である。



潮風の匂いをかいでいると、生命の祖先が海にあったということがよくわかる。
帰り際、散歩する老人と出会った。市の財政に関する質問をいろいろ受けた。当たり前のことだが、市は市長のものでも議会のものでもなく、市民みんなのものである。当然、市民ひとりひとりが政治的でなければならないと思う。

09/07/29 (水) 昼下がりに麦茶を飲みながら


先週の土曜日、久しぶりに鯖江に行った時、近松門左衛門の碑が目に入った。
武士の息子だった近松は確か9歳までを鯖江で過ごし、そのあと上方に出た。
私はこのひとの作品を(古文なので)読んだことはないが、そんな私でも「曽根崎心中」の有名なくだりは知っている。


この世のなごり 夜もながり
死にゆく道を たとうれば
あだしが原の 道の霜
一足づつに 消えてゆく
夢の夢こそ あわれなれ
あれ数うれば 暁の
七つの時が 六つ鳴りて
残る一つが 今生の
鐘のひびきの ききおさめ
寂滅為楽と ひびくなり
鐘ばかりかは 草も木も


私がこのフレーズをひとりつぶやく場所は、坂ノ下八幡神社の境内だ。時刻はいつも深夜。
鎮守の森に住んでいる小動物の動く音や樹木の枝葉から聞こえる鳥類の声音がこのくだりをよりリアルにさせる。

09/07/28 (火) 小鳥の囀りを聴きながら


さて
「掲示板」を復活しました。「掲示版」で一番困ったのはアダルトサイトの書き込みがあることでした。
あのような虚しい書き込みをいったい誰がしているのだろうか、と思いながら消去していました。この世の仕事(営み)は需要→供給を大原則としているのだけれども、需要よりも何よりも迷惑そのものです。性を風俗で捉えるのは、人間社会の退歩です。しかし、有効な手立てのないままに復活しました。
つまり、あまり深く考えずに復活したことになります(笑)。


昨日で堺屋太一著・「団塊の世代「黄金の十年」が始まる」を読み終えました。くしくもその昨日に一年上の団塊の世代から電話で「牧田、我々は企業内戦士の役割を終えた。狭い枠から開放され本当の意味での人間道を歩むことになった。お互い頑張ろうぜ」と言われました。
大江健三郎著・「我らの時代」の到来です。粉骨砕身頑張ります。


早朝の散歩は気持ちがいい。今朝の私は、雨上がりの北潟湖畔を歩いていた。
向こうから歩いてきたのは、中学校時代の私の恩師だった。一緒に歩きながら、越し方をいろいろ振り返ったが、最後は国政の話となった。



民主党のポスターを手渡した私は、「では、近いうちにまた」と言って、恩師と別れた。


いろんな所へ行って事務所に戻ってきたのが、午後4時半。突如現われた来客と四方山話をしているうちに事務所の柱時計がぼぼおーんぼぼおーんと6時を報じた。来客が帰ったので、コップ酒を飲み始めた(コップ酒一杯まではOKという妻の許可を私はいただいている)。


つまみなしコップ酒に一番似合うBGMは美空ひばりの「悲しい酒」だ。
彼女のCDをCPで起動させながら、しばし人生を考えている。

09/07/27 (月) 緑茶を飲みながら


旧芦原庁舎前の小さなビオトープはゴミだらけだったのだが、掃除されて最近はきれいになった。喜ばしいことだ。
私も時々覗きに行くが、ビニール袋や空き缶はビオトープと共存できるはずがないのである。




きょうの午前中は、坂井市三国町へ。
陣ケ丘→三国庁舎→三国土木事務所、と渡り歩いた。土木事務所での要請を終えて外にでると、いつの間にか雨はあがっている。海岸線に出て歩いているうち、8年ほど前に書いた短編小説的日記(笑)を思い出した。この日記を書き始めてから本日までの間に、「感動した!」というメールが入ってきた唯一のものです。


10/20(土) 夕陽恋 




三国土木事務所での打合わせ終え、海岸に出た。
落ちる夕陽に染まる水平線からの風は冷たい。

パリで買ったダーバンのコートのえりをたててのくわえ煙草。憂愁の気分で岩畳にたたずむ私を横ぎろうとするひとつの影がある。
年の頃は42,3か。利休ねずみの鼻緒の草履、浅黄色の地に濃紺紋様の西陣、白いうなじ、島田髪の和服女性は、軽く私に会釈し去って行く。

遠ざかる彼女の細い背中は夕陽の逆光でシルエットと化した。
岩畳を散策する足取りおぼつかなく、不意の波しぶきよけようとした彼女の体が反転しよろけた。
かけつけ、「大丈夫ですか、奥さん」と声かける私に「おおきに、大丈夫どす。それにうち、今は奥さんあらしません」と彼女は言う。

うちとけ、肩並べつつ砂浜を歩いた。
別れた亭主のこと、今彼女にいいよっている幾人かの嫌な男たちのこと、にも関わらず自立し孤高に生きていこうとする思いききつつ、「この人にしろ私にしろ、美男美女の人生につきまとうのは、やはり悲しみと憂いなのか」と私はココロでつぶやいた。
気がついたら辺りは闇だ。

それでは、と背をむけた私を「りりしいおかた。うち、貴方様のお名前まだ聞いてしません。今晩のお宿どこですの。うち、行ってもかましませんでしょ?ねえ、かましませんでしょ?」と彼女の懇願が追う。
私は「奥さん、いやもと奥さん。貴女は私をいとしく思っているのかもしれないが、それは本当の私を知らないからだ。男は誰でも私よりましなのです。恋に恋してはならない。貴女はいつの日か必ず真実の男性にめぐり合います。ここでさようならすることだけが、お互いを幸せにする道なのです」と答え、歩きはじめた。
背中見続けているであろう彼女の視線に耐えきれず、私はゆっくりと、しかし止まることなく歩き続けた・・・・。


こんなことを岩畳の上で夢想したのだが、こんなシチュエーション、52年のわしの人生に一度もなかったなあ。悔しいなあ。

09/07/26 (日) 早朝にレイコーを飲みながら


昨晩は吉崎にいた。「吉崎湖畔の夕べ」が開かれたのである。
人のざわめきが苦手な私は、渚にひとりたたずみ潮騒を聞いていたのけれども、午後7時半に糸川氏が来た。
35歳の若い糸川氏は、沢山の20代30代のひとたちとも握手を交わしていた。それを見る私は、自分の若い頃を思い出していた。


きょうは「坂井後援会事務所開所式が開かれました。




09/07/25 (土) きょうは小雨模様


きょうの早朝は玉木地区の農道にいた。メダカを探しに用水溝へ来たのだが、生憎田んぼは農薬をまいたあとなので、彼等彼女等の姿が全く見えない。ため息をつきながらふりかえると、そこは一面じゃがいも畑だった。



じゃがいも料理は「塩茹で」に限る。今でこそめったに飲まなくなった焼酎だが、以前よく飲んでいた頃の焼酎に欠かせないつまみは、じゃがいも(特に新じゃが)の「塩茹で」だった。
事務所に戻って仮眠をとっていると、知り合いが入ってきた。ある男の非常識な振舞いに悩んでいると、言う。聞いているうちに私も腹がたってきた(ちなみに議員のことではありません(笑))。
私は「ああすべきだこうすべきだ」と、対策方法を述べた。


人間が生きる上で一番大切なものは常識だろう。生きる知恵の諸々の整頓され総合化されたものが常識だと思う。

きょうは、「鯖江後援会事務所開所式.」がありました。

09/07/24 (金) もう週末か


いろんな予定が多くなってきたせいか、最近は、一週間経つのが非常にはやく感じられる。
そして、睡眠時間帯が普通になってきた。
先月頃までは、午後8時就寝午前3時起床という生活だったから早寝早起きを励行していたことになるが、現在は午後11時就寝午前6時起床が常態化している。
深夜ラジオを聞く機会の少なくなったことがちょっと残念だけどね。


今朝の予定をこなしたあとは、昼一番に4人で帝釈山松龍寺(前谷)へ行った。
@



A



住職から、寺の沿革や境内にある諸々についての由来を聞いた。
千体仏の前での説明で、この寺と熊坂にある木造大仏との関係がわかった。
@六地蔵の前での説明で「有頂天」という言葉の持つ本来の意味がわかった。
A三体仏の前の説明で、朝倉勢の一向一揆に対する殺戮の事実を知った。

 09/07/23 (木) サンドイッチを食べながら


♪目がさめたら
そこは灰色の壁だった
暗い暗い牢獄のなかで
俺は夢を見ていたのかもしれない


この「思い出のグリーン グラス オブ ホーム」を唄って一世を風靡したのは、トム ジョーンズと尾崎紀代彦だった。
ところで、今朝目がさめたら、私の目の前には妻がいた。
開口一番、「おとうさん、きのうは旅館で焼酎を飲んだでしょ!飲んだらダメとあれほど言ったのに!」とえらく叱られてしまった。
コップ酒を一杯飲んだだけだが、しかし私は「ごめんなさい」とあやまった。
最近の私はあやまることが多い。


今朝は、坂井市三国町の陣ケ丘で設計の打ち合わせをしていた。
たまには設計の仕事をすることもあるのです(笑)。


この時の私は全身建築家となっている。顔つきが厳しくなり瞑想しあるいは思念を一生懸命しぼりだす。言い方を変えるならば、本当の私の姿をさらけだす。
今度、「動画」にアップロードしようと、思っています。
 

09/07/22 (水) 本日は市議会臨時会最終日


本日は議会最終日。次の議案を採決する。


昨日の雨で竹田川が増水している。



見ているうち、治水に関しての頼まれごとを思い出した。

世間は、皆既日食で騒いでいる。
10年程前、井沢元彦の本を集中的に読んでいたことがあるが、「穢れ」や「祟り」に造詣の深いこの人は、卑弥呼を古事記の天照大神に比定している。
つまり、弟神・素戔鳴尊の暴挙に立腹した天照大神の「天の岩戸隠れ」伝説は、理屈が解明されていないその時代のひとにとっての皆既日食を、世界の終焉を意味する物語にしたてあげたものである、と解説している。
そして、コンピューターシュミレーションによって、4世紀ころの皆既日食の起こった年を特定し、このふたりを同一視したのである。
歴史はロマンですねえ。
虚実ないまぜの「古事記」は想像力をいろいろ刺激する。

 09/07/21 (火) 寝付かれないままに 


なんつうか
選挙の最中よりも選挙後のほうが忙しい。
本部事務所開所式の詳細日程が決定したので、御案内致します


最近の夜は目が冴えてなかなか寝付かれない。昨晩も寝付かれず、布団のなかで闇をじっと見つめているうち、雨が降り始めた。
雨音の音色が私の聴覚を刺激する。視覚がさえぎられている分だけより一層聴覚を刺激する。


「雨音はショパンの調べ」
を歌ったのは美人歌手・小林麻美だが、私の場合、クラッシックははるか昔からモーツアルト一筋だった(当時の私のあだ名は絶対音感だった)。ベートーベンでもドボルザークでも勿論ショパンでもなくてモーツアルト一筋だった。
しかしながら、たまに聴くショパンも悪くはない。


詩人・谷川俊太郎があるエッセイで「言葉が表わすことのできない領域を埋めるのは(良質の)音楽だけである」というような意味のことを書いていたが、これは詩の達人だけに該当する特殊解だ。
一般解としてはむしろ現代人の悲哀を物語っている。
古代人にとって、五感は一体であった。耳で見たり、目で聞いたりすることが普通であった。
と私は思うのである。


こんなことを書いていた午前2時に雨があがった。外へでると、もやがかかっている。もやの向こうに、過ぎ去った「昭和」がぼんやりとみえる。
たまらない気分になって「YOU TUBE]を開いた。
寺山修司を吉本隆明をクリックした。
岡林信康を聴いた。高石ともやを天地茂を、鶴田浩二を聴いた。涙が出そうになった。
平成の世になって21年間が経過したが、私はやっぱり昭和の人間だ。



さて
本日は、ホームページコンテンツのリニューアル第一弾に挑みます。


「一般市民」さんから、「リニューアル断固反対」というタイトルの
(全協でこのHPについて批判されたとの事ですが、それ故に何故リニューアルしなければならないかが理解できません。いままで通りのスタイルでやるべきです。牧田さんに選挙で投票した人に失礼です。こんな事でスタンスを変える牧田さんに失望です。いままでやってきたこのHPに自信をもって下さい。)
との書き込みがありましたが


先ず
選挙で支援してくれた一番身近な多くの人たちからリニューアルの意見が出てきたので、その人たちの意見を尊重することに決めました。
私は、この掲示板に関しては、意見を一切書き込みませんでした(私がどう思ったかは別の話です)。実は、過去に三回ほど書き込みが噴出し、私のところに、書かれた当事者から電話がありあるいは事務所を来訪されたことがあります。その都度「実名掲示板にしてくれ」と懇願されました。でも、匿名だからこそ書き込めるということもあるはずで、数年前に悩んだ末、「なるべく実名で投稿してください」と書きました。しかし、実名で投稿された方は私の記憶する限り三名だけでした。それで、私の周囲から「裏で操作して書かせている」という批判が出てきたのだと思います。書くのは自由ですが、文責は(時と場合によっては)はっきりしているほうがいい。
それが、リニューアルしようとする理由のひとつです。


 09/07/20 (月) 昨日は金津祭り 


昨日の早朝は、赤飯や寿司を親類宅へ運んでいた。


午前9時には総社金津神社へ行って、浦安の舞を見た。この時私たちは和語の世界に触れる。例えば宮司奏上で、神社をカムヤシロと発語したりするのである。






午後の金津祭りは、時折雨に見舞われた。
雨の上がった三時に糸川さんが事務所を来訪。そのまま、18ヶ所本陣巡りがスタートした。
三時間強の歩きづくめとなってしまったが、私はまだまだ若い。途中美しい桜が待っていてくれたこともあり充実した午後となった。
糸川さんは全国のテレビにいつも出ているという意味では、知名度があるのかもしれない。
しかし、生身の顔をつき合わせてのパーソン トー パーソン コミュニケーションが一番だと私は思った。この思いは自戒でもある。


夜ははやめに就寝。

 09/07/19(日) 本日は金津祭り 


昨日の昼は、芦原温泉某旅館の女将と話をしていた。


バブル崩壊後も人気のある温泉は全国に幾つもある。そういう温泉のうちの幾つかを視察研修したが、それぞれに特徴がある。バブルの波に乗らず(乗れず)鄙の雰囲気が残っていること、硫黄の匂いが漂っていること、旅館で目を覚ました時せせらぎの音が聞こえることなどなどである。
更には人材育成ではないか。
私が東北地方で藩主・上杉家代々の墓を参拝した時に突如現れたボランテイア語り部おじさんの5代目鷹山についての話がとても興味深かった。加えてユーモアがあったので、上杉家墓所参拝がきのうのことのように鮮明だ(注:上杉鷹山についてはとんぼさんがとても詳しい)。
私のような印象を持った人たちが、リピーターになっていくのだろうと思う。


09/07/18 (土) 雨模様の昨日


昨日の夕方に同僚議員が来訪。旧芦原町役場を初めとした公的施設の利活用のことで議論をした。
何事につけそのテーマを軸とした議論の積み重ねが必要だ。そのことで自分が潜在的に思っていることが浮きぼりにされてくる。矛盾もはっきりしてくる。結果として、言葉が血の通ったものになる。
言葉自体よりも、言葉と言葉のあわいに対して、より多くの関心がいくようになってきた。あわいの時のとまどいや黙考の表情に関心がいくようになってきた。


あわいの無い饒舌は単なる予定調和であり、聞き手に覚醒を促すことはない。
翻って、黙ってサッポロビールを飲む時の高倉健はすばらしい。私もだいぶ似てきたが、彼の域に達するまでにはもうひと努力が必要だと思う。





昨夜は芦原温泉に居た。とんぼさんと、国政に関する話をしていた。掲示板に関する話をしていた。
帰り際に小雨が降り始めた。
そういえば、金津祭りが始まる。雨の金津祭りは大変だ。特に本陣前で踊る子供たちがかわいそうだ。
本番の時、雨が降らなければいいが。


今朝は、問屋団地のユニオンプラザ前に居た。ユニオンプラザ前の路上で連合福井主催・2000人総決起集会が開かれたからである。
連合福井・馬場会長の挨拶をかわきりに、福井一区の立候補予定者・笹木竜三氏、二区の糸川正晃氏、三区の松宮勲氏が軽トラの荷台に立って、思いを述べた。
8月30日の勝利を目指してのながいながい戦いがスタートしたのである。

 09/07/17 (金) 無題


昨日の午後、本会議を終えて事務所に戻ると、来客があったり固定電話が鳴ったりであわただしかった。そのほとんどが、糸川正晃氏の動向に関する問い合わせだ。
連日、自民党のばたばたぶりが新聞・テレビで報道されるので、総選挙に対する世間の関心が深まっているんやろうね。
パーソン ツー パーソンで伝えるのは煩雑なので、コンテンツ「福井2区糸川選挙」を設けました。徐々に埋めていきますので、時折ごらんください。



本日の午前9時半から始まった厚生経済常任委員会では、ふるさと雇用再生特別交付金・雇用緊急創出事業の説明があった。資料や議案書の全体をアップロードすることは不可能なので、詳細については、事務所においでください。


09/07/16 (木) 麦茶を飲みながら


まだ梅雨があけていないのにもかかわらず昨日は大変暑く、まるで真夏日だった。
そこで涼を求めて午前中のしばらくを北潟湖畔で過ごした。


北潟湖畔に植えられている樹木の陰に車を停め、窓をあけて座席シートをリクライニングにした。湖畔をそよ風が吹き抜ける。クーラーなどとは比較にならないくらい気持ちがいい。
人間も動物だ。自然のなかで生きるべきだ。忙しさに追われてばかりだと心が乾いてしまう。


そういうことを思ったあと、北潟湖をあとにした。

さて
昨日の午後は、坂井地区介護保険広域連合議会が開かれた。あわら市議選が終わってから最初の議会だ。坂井市の連合議会議員と再会できたのは、確かに嬉しいことだった。
そういえば、来年は坂井市議選が予定されている。
今年の8月は国政選挙、来年は坂井市議選と坂井市長選挙、再来年はあわら市長選挙と県議選。
選挙に関しても、忙しい日々が続いていく。


付記
組合議会・広域連合議会には次のものがあります。
@三国あわら斎苑組合議会
@坂井地区環境衛生組合議会
@坂井地区介護保険連合議会
@福井県後期高齢者医療広域連合議会
@嶺北消防組合議会
@福井坂井地区広域圏事務組合議会
@坂井地区水道用水組合議会


付記
2009年 7月
曜日 第41回あわら市議会臨時会会期日程
07/10 Fri 議運0930
全協1330
07/11 Sat  
07/12 Sun  
07/13 Mon  
07/14 Tue  
07/15 Wed  
07/16 Thu 本会議0930
総務文教常任委員会 本会議終了後
07/17 Fri 厚生経済常任委員会0930 
07/18 Sat 休会 
07/19 Sun 休会 
07/20 Mon 休会 
07/21 Tue 休会 
07/22 Wed 議運0930
全協 議運終了後
本会議 全協終了後
委員長報告
質疑 討論 採決
閉会 

09/07/15 (水) 熱々珈琲を飲みながら


さて
何故このHPの掲示板を止めたかについて、理由を簡単に申し上げます。


私が掲示板をたち上げたのは、当時の仲間たちとの意見交換の場というくらいの思いからでした。数年を経て中学校問題が起こってから、「掲示板」の様相が変化しました。
市の掲示板が大荒れになって廃止され、そこでの書き手がこちらに移ってきたことも様相変化の原因のひとつです。その時、市の掲示板管理者から管理上の苦悩を聞かされ、「中止はもっともだ」と思いましたが、一方で頭のてっぺんから足の指先まで二校派だった私はここの「掲示板」が「二校派掲示板」となっても、ドンマイドンマイでした。統合派からいろいろ言われましたがドンマイドンマイでした。

そのうち、中学校問題に方向性が見えてきたため、昨年の10月に「掲示板」を廃止するあるいはリニューアルする思いでいました。しかしその10月に私の環境が異変した為、リニューアルは後手にまわってしまいました。



今回の選挙戦であるいは選挙後の支持者たちとの話のなかで、支持者たちの中にも「掲示板」に対するとまどいが多くあることを知らされました。「もう私たちは書き込めない」という不満も沢山聞きました。


確かに、松任谷由美の♪「・・もう昔に戻れない・・」は、真実です。
残念な思いもありますが、廃止することに決めました。
そういうことです。

 09/07/14 (火) 快晴の朝


昨日の昼は、パソコンの不具合を友人に診てもらっていた。私がパソコン文字に手を染めたのは10年前だ。それまでの私にとってのパソコンとは構造解析を操る道具でしかなかった。
爾来、ホームページを初めとして、文字パソコン操作の方法をいろんな友人(先生と呼ぶべきか)に教えていただいてきた。
金には恵まれなかったが、友人には大変恵まれた半生だった。言葉では表せないほどに感謝している。


そのあとは市役所へ。
疑問に思っていたことの幾つかを担当課で聞いていた。ついでに個人的なことも聞いてきた。


夜は民主党・県連へ行き、戦略会議に出席した。勿論、衆院選で福井2区から立候補する糸川正晃氏を当選させる為の戦略会議だ。。
総選挙の投票日が8月30日と決まりスケヂュールが手帳にどんどん埋まっていく。
身辺が急にあわただしくなってきた。


考えてみると30歳代後半からの私は、いつも何かに追いかけられていた。死ぬまで続くのだろう。
糸川事務所


坂ノ下区、ゲンキー前での早朝辻立ちを、一昨日で終えました。選挙で支援してくださった皆様(支援してくださらなかった皆様も)、どうもありがとうございました。
あの辻立ちには、勿論、御支援御礼という理由があるのですが、実は他にもそれ以上の理由がありました。選挙期間中に私が悩んでいたことでもあります。その複雑な胸中を書けるだけの言語能力を持ち合わせていない私ですので、これで筆を置きます。

09/07/13 (月) 昨日


今朝の新聞の第一面見だしは都議選の結果を受けての「自公 過半数割れへ」だ。
勿論、そういう方向への裏情報を聞いてはいたが、これほどの民主圧勝になるとは正直驚きだ。
衆議院議員選挙で福井2区から立候補する糸川正晃氏の事務所開きも、7月下旬にはある。
場所は福井空港横(元ヤスブン)。詳細は近日中にお知らせします。
皆さん、是非おいでください。




知人から頼まれた私は、昨日の午後、蓮如を調べに吉崎へ行った(これも、議員の仕事だ)。




展示館の中へ案内された私は、住職と住職の御母堂から吉崎滞在時(1471年から4年半)の蓮如による布教のこと、御山に巨大な蓮如像を建てた高村光雲のことなどをいろいろ聞いた。


ミーハーの私は、住職とのツーショットを撮っていただいたりもした。



若い頃は真宗の開祖・親鸞だけに興味があったが、昨日は、中興の祖・蓮如の別の意味での偉大さをつくづくと感じた。

夜は芦原で飲んだ。お湯割り焼酎を楽しんだ。
決して強制するわけではないのに、女性達が私の両隣に座ってくる。
(人並み以上であっても)傑出した色男ではない私にとって、これは不思議なことだ。

09/07/12 (日) たたら鉄


昨日は、たたら鉄をつくるグループのところへ行って、遊んできた。


そもそもが、旧金津町の町名の由来は、金が古代の製鉄所を意味し、津が河戸を意味している、と郷土史家だった故・山口先生から聞いたことがある(16箇所の古代製鉄所跡が町内で確認されている)。
素戔鳴尊による八岐大蛇退治の出雲神話のなかの八岐大蛇とは何かというと、高志の国の出雲国への侵略軍であると言った学者がいた(ような気がする)。荒ぶる神・素戔鳴尊が今ふうに言えば出雲国の自衛隊であったというところか。
八岐大蛇の2x8=16のまなこが火を噴き、体から大音響とともに火柱のあがるさまは、たたら鉄生産に大量の木材が消費されたことを意味するのだろう。


高志の国は越の国であり、今でいう福井県であった。この福井県が、のちに継体天皇となる男大迹王を輩出しておりその強大権力の背景に大量の鉄器があったということになる。
古代の福井県は鉄生産を背景に持つ軍事大国であったのだ。


そしてその民(たみ)の末裔である私などは本来硬派でなければならない。凛としていなければならない。しかし現実には軟弱者を脱することのできない私はそのことに時折いらだちを感じる。


非常に低い確率だが、もしかしたら私は男大迹王の隠し子の末裔であるのかもしれない。絶対権力者の持つ裏面がDNAとして流れているのかもしれない(笑)。


今朝は北潟湖のほとりにたたずんでいた。



写真のように葦の群生している所は、水面下がヘドロの堆積で浅くなっている場所だとのこと。

 09/07/11 (土) 昨日の一日


昨日は全員協議会が開かれた。終了が近づいた時、このホームページがやり玉にあがった。
全協の内部であるいは全協が終わってから、5人の議員にいろいろ言われた。
掲示板を裏で操作しているとも言われたし、常識のない人間だとも言われたし、議会は一枚岩でなければいけない融和しなければいけないとも言われた。


「裏で操作している」というのは全くの事実無根だし、「議会の常識」は「旧態依然」の別名であると思っているし、「議会は議員ひとりひとりの活動を大切にしてしかるべきだ」と思っている私はそれぞれに違和を感じたが、そんなことより、助け船を出してくれたのが、共産党の山川議員ひとりだけだったことに、私はとまどいを感じた(山川議員もいろいろ言われていたが・・(笑))。
裏をかえせば、他の議員はそれらの意見に同調していたことになる。


別の集まりのため、6時までに福井市の問屋団地に行かなければならなかった私は、全協終了後、すぐに車を問屋団地へ走らせた。


つまり大変に忙しいけれども、そんなこんなで常識のない(笑)私は、このホームページをリニューアルすることにした。しばらく時間がかかるだろう。

09/07/10 (金) 今朝も土砂降り


昨晩はある会合が芦原で開かれ、終了後に懇親会となった。いろんな意見を拝聴できて、実のある会合だったと思う。
閉会後に事務所へ送っていただいたのは、午後10時半頃だった。


翌日の準備を終え、退出のために事務所玄関をロックしようとしていた時、ちょっとしたアクシデントが起こった。
パトカーが事務所前に停まり、二人の警官が出てきたのである。
私の顔と玄関脇に貼ってあるイラストパネルクリックで写真 を懐中電灯で見比べながら、「ああ・・そっくりですね。同一の方ですね」と言う。
犯罪を犯したこともなく最近では軽犯罪を犯したこともない私は「???」だったが、そのうち理由が飲み込めた。
暗がりのなかで事務所をロックしようとしていた私の後ろ姿を見た二人の警官は、私を、事務所に忍び込もうとするコソドロと見誤まったのである。


「仕事上、不審者と見誤るのは仕方ない。しかしできるだけ正確に不審者を見定めてほしい。
そして、市民が本当に安心して暮らせるように、昼夜がんばっていただきたい」と、思いを教条的に述べたあと自宅にもどった。
台所で牛乳を一本飲んでから布団に入った。

09/07/09 (木) 雨あがりの朝


昨日は、難病の人から話を聞いていた。
「難病」は、@治療困難とA因果関係不明確のふたつに分けられる。


その人は、以前に起こした事故で感じた恐怖と痛みが年月を経た現在でも体じゅうをかけめぐる、という。県内には専門医療機関がないので、定期的に県外へ出かける、という。治療薬には強度の睡眠剤が含まれているので、投薬後はいつもコンコンと眠るのだそうだ。


普通の人の場合、過去の強烈な体験に伴う肉体的精神的ショックは徐々に薄められあるいは忘れさられていくのだが、脳の回路に異変が生じると、そういうわけにはいかなくなるそうだ。


現在の脳科学がどのレベルにあるのか全くの門外漢である私には知る由もない。しかし、体験的にはわかる部分もある。
たとえば
昨晩の私は右腕の痛みにあえいでいた。しかし今朝の4時に目が覚めると、痛みがきれいさっぱりと消えている。「痛い」とは「痛いという感覚あるいは過去の記憶」を脳が伝達することだと、私は思う。伝達回路に異常が生じれば、私たちにとっての「現在」が「過去」にとって変わられることがあっても決しておかしくはない。


というようなことを、午前6時の知人宅食卓で熱々珈琲を飲みながら、しゃべっていた。



今晩は、某所にて戦略会議だ。夜のスケヂュールがずっと詰まっている。
なんというか
選挙の最中よりも、選挙後のほうが忙しい。



09/07/08 (水) 深夜に雨音を聴きながら


三百五歩のマーチで有名な水前寺清子の昨夜のショーは、思いのほか退屈しなかった。
その昔、大阪中ノ島ホールで日曜日毎に収録された番組・「ロッテ歌のアルバム」にバイトで参加していた頃を、私は、なつかしく思い出していた。

しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
・・・・
は標語・「・・一歩ずつ・・」に合致する。


ところで、一昨日だったか
私の携帯電話が鳴り、覚えのある怒気を含んだ声が飛び込んできた。議会に対する不満が続出した。
例えば、「なんで委員会傍聴を一般市民三人に限定しなあかんのや。議会は審議内容の詳細を隠そう隠そうとしているのじゃないか」という指摘があった。
「市政関係掲示板」の常連投稿者・「とんぼ」さんも常連傍聴者であるのだから、潜在的希望者は多いにちがいない。彼の指摘は当然のことである。
議員が市民の代表であるなどとは私にはどうしても思えない。市民の奴隷であると思っている。
議会は市税によって運営されているのだから、納税者ひとりひとりが主人だろう。
株式会社ならば、株主だろう。

09/07/07 (火) きょうは原稿書き

昨日の早朝に、私は某用水溝の辺りに長靴・長袖・カッパズボンという完全武装のいでたちで立った。
ある市役所職員から、「メダカがうじゃうじゃいますよ」と教えられた場所である。
網を右手に持って用水溝の中に入った。



しかし、網の中に入ってくるのは、川海老とタナゴばかりだ。
「別にメダカでなくてもいい。水辺の生物は全てかわいい。人間のような高等生物と違って、騙したりしないし舌先三寸であったりもしない。そもそも舌がないのだ」と思いつつ帰宅して、彼等彼女等を家の水槽に放した。




その水槽の横に、東京からのファックスが一枚置いてある。
「牧田さんが言うように、議会が仲良しクラブであってはいけない」という趣旨のものだ。
今回の選挙を経験してその思いがより強くなった。私の人間関係が大きく変わった。


孔子は「論語」で
われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。
さんじゅうにしてたつ
しじゅうにしてまどわず。
ごじゅうにしててんめいをしる。
ろくじゅうにしてみみしたがう。
しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがって、のりをこえず   と言ったが
古代中国と現代日本では平均寿命がちがう。
「しじゅうにしてまどわず」が「ろくじゅうにしてまどわず」となるだろう。





さて
私は、今晩、デイナーショーに行く。
生まれてはじめての経験だ。勿論、フォーマルな服装でなくてはならない。
スーツは、日頃愛用のダーバン製。シャツはシルク。タイはメイドインパリと決めた(自慢するわけではないが、私はネクタイを買ったことがない。全てガールフレンドたちからプレゼントされたものばかりである)。
夫婦で出席するので今からわくわくしている。
デイナーショーが「水前寺清子ショー」でなくて「アダモショー」だったら、もっとよいのだが。



09/07/06 (月) 夜明けに爽健美茶を飲みながら 

私は、数日に一度しかメールチェックをしない(できない)。
昨日にメールチェックをしたら、次のような文章が入っていた。

牧田市議会議員 様

お忙しいところ勝手にメールを送信しご迷惑をおかけします。

貴方が書いておられるブログにある「照厳寺第二世覚順」についてですが、
私が持っている「漢詩のまくり」の書者が「釋覚順」と記してあります。
「まくりの釋覚順」が「照厳寺第二世覚順」と、関係があるのかないのか、
全く分かりませんが、話しの種として、少し時間を割いていただけないでしょうか。
(芦原市の観光協会のHPでは、照厳寺は見つけられませんでした。)

7月4日
書者 釋覚順 をネットで調べていたら、偶然貴方の「市政関係掲示板」に同名の僧と、

寺院のことが書いてあるのを見つけました。
(新聞で天声人語を読んだ直後です)

貴方の文章によると、照厳寺第二世が覚順となっています。
1374年建立となっていますから、635年も前の僧ですので、
漢詩はともかく「まくり」は本人の書とは到底思えません。

書は丙申年季秋とあります。
丙申は1956年・1896・1836・1776・・・・・・1356年となります。

1374年に実在したとして考えると、1356年に生存していた可能性はあると推察できます。
「まくり」の漢詩は1356年に詠まれたと「無理やり推察しました」

「まくり」はもちろん和紙に書かれていますが、あまり古さは感じられません。
大分汚れています。
しかし文字はきっちりと書かれていますし、落款も丁寧に捺されています。
印肉も現代の朱肉とは違います。

後年 僧を慕うどなたかが、書写したものと思いますが、
歴代住職のうち 同名の僧がいて書いたもの(作者も書者も)かもしれません。
私は、釋覚順がどこの僧なのか長年気になっていました。
もちろん解決したとは思っていませんが、
隣県でもあり、書写が流れてきた可能性は、ゼロではないと思います。

土曜日の午前 仕事中ですが、
貴方のおかげで一時楽しい時間をすごさせていただきました。
ありがとうございました。

私は23年生まれ、設計事務所を開設しています。
まちづくりや景観について活動しています。
機会がありましたらお会いしたいと思います。

議員として・建築家としてお忙しいことと存じます。
今後ともご活躍を祈念致します。

いつか照厳寺を訪ねてみたいと思います。

漢詩です(訳して見ました。多分合っていると思います)

一乗佛子
 秋 至 満 山 多
 秀 色
 春 来 無 所 不
 花 香
   丙申年季秋
     釋覚順  書          
       釋仁光
       湯□明印

 お忙しいところありがとうございました。
 岐阜県○○
  ○○ ○○

09/07/05 (日) 昨日と今日


昨日の午後は、福井市農協会館で、「辻 和彦氏を偲ぶ会」が開かれた。



ひとの評価は「死してのち」だ。このことについては「挨拶まわり」で伺ったあるお宅で、じっくりと聞かされた。





夜は、三国観光ホテルで、「糸川正晃国政報告会」が開かれた。



所用がいろいろ重なったので遅れて行ったのだが、会場は満席だった。
最後に、坂井市議の辻氏から紹介されて、ちょっと恥かしかった。





さて
今朝は竹田川河川敷一斉清掃の日だ。
朝だけは誰よりも早い私は、草刈機を持って5時半に河川敷へ出た。混合油を機に充填し、黙々と作業を始めた。
脳内出血後まだ8ケ月なので、大丈夫かどうかちょっと不安だった。自分が傷ついてしまわないか、横で作業する人を傷つけてしまわないか、ちょっと不安だった。
しかし、大切なのは気力であることがよくわかった。
作業を終えたあとに配られた無糖缶珈琲がとてもおいしかった。


ところで気づいたことがある。
作業をしている間、私の体は右側へ8°傾く。静止状態でもそうだ。医大病院にいた時、リハビリの先生から再三指摘されたことでもある。
傾かないことが健常であるとするならば、私は障害者である。軽度ではあっても明らかに障害者である。
もうひとつある。
私の右手にマヒが残っている。手帳に小さい字を書き込むことができない。大きいノートに字を書き込んでも乱れた字となる。
小学生の時に若越習字一級を授けられ、「昭和の能筆」と(私によってだけ)言われた私の流麗な字体は永遠に失われた。
かくして
私が日頃思っている「障害者との連帯」は、理屈を超えて現実のものとなった。
というよりも、全ての健常者は障害者予備群ということなのだろう。





作業を終え、帰宅した私は熱いシャワーを浴びた。
頭のてっぺんを洗い顔を洗い背中を洗い下腹部を洗い、足の指先を洗った。
久しぶりに歯も磨いた。
7月3日の日記の写真のようなこざっぱりした服装がいい」と、Qくんに言われた私は、その服装に着替えてから行幸に出た。といっても天皇陛下ではなくてゴミのような議員である私にとってのそれは、ゴミ視察の行幸である。


いつも空缶やペットボトルの投げ捨てられている場所がきれいになっていて、縞ロープがはりめぐらされていた。




ベニヤ板に何も書かれていないので、管轄区がしたのかどうか詳細はわからない。しかし、これでここに空缶などが投げ捨てされる可能性はなくなった。
一歩ずつ・・・である。





写真を撮っての帰り
同級生のお母さん(松浦さん)宅に寄った。
「まあ、お座りなさいな」と椅子をだされ、ご意見を拝聴した。
「長い間生きてきて、いろんな人間を見てきました。いわれなく人を誹謗したりした人は、必ず奈落に沈んでいきました。子供たちに愛の雨を降らせなければなりません」ということで、この人はフィリピンに6つの小学校を無償で建てた。現在7つ目を建設中だそうです。


世の中にはいろんな方がいらっしゃる。

09/07/04 (土) 昨晩


議員の仕事の基本は議会活動なのだけれども、市民の声を拝聴することも勿論不可欠だ。その意味できのうはばたばただった。午前中から千客万来で、なかには変わった職業のひともいた。
昼飯にありつけたのは午後3時だったが、この忙しさは当分続くのだろう。


昼飯を腹に流しこんだあと、挨拶のために車を北潟地区へ走らせた。当該地区をうろうろ歩いていた時、夜に4人懇親会が予定されているのを思い出したが、年のせいか時刻を覚えていても肝心の場所を思い出せない。その時ある女性からの携帯コールが鳴ったので、場所を聞いた。


「場所は○○の横にあります。きれいな料亭で、まきちゃんがいつも行く安居酒屋とは全然違うよ。似合わないわ」と言われた。
事務所に戻った午後6時半、参加者のひとりに、確か7時半と覚えていた集合時刻再確認のため電話をした。
「7時半じゃない。6時半よ」と言われ、急遽その場所へ妻に連れていってもらった。年をとると、記憶力が確かに鈍っていく。


他の三人が、あわら市民なら(多分)誰でも知っている有名人なので名前はシークレット。
お湯割り麦焼酎を数杯飲み愉快な気分になった私は、いつになく饒舌だった。


今朝の午前5時半。久しぶりに北潟湖畔に佇んだ。



あわら市役所・某職員の家も見える。
この時刻、すでに鳥たちが活動を開始している。魚を狙っているのか、やけに鳶が多い。
そういえば、♪「夕焼け空がまっかっかあ トンビがくるりと輪をかいたあ・・・」と歌い一世を風靡した三橋美智也も既に天国の人となってしまった

09/07/03 (金) 昨日の一日


昨日は坂井地区介護保険運営協議会が、広域連合2階審査会室で開かれた。
組織議会が終わると、すぐに広域連合や一部事務組合がスタートするのである。
今回の協議事項は
(1)第31回広域連合議会定例会議案について
(2)介護保険業務の現況報告について     の二点


(1)は一般会計案・特別会計案だが、これは会計年度を調整させるための政府への戻し金額についてのものである。
(2)について、委員より意見が出た。


介護給付費比較表において、(1)から(25)までのうち給付費¥0円のものが10項目もある。
給付施策を見直すべきではないか、という意見だった。
事務局の答えは「国の指針ですから、一広域連合では変えようがない」というものであったが、そうであるとしても考えなくてはならない。徹底的に考えることからチェンジが生まれるのである。


「注 この点については給付費¥0円のものの全てが特例のものであるという追加説明がきょうあった。確かにそうであり、了解。」
広域連合から帰宅した私は吉崎地区へと車を走らせ、夕闇せまる北潟湖畔をひとりとぼとぼと歩いていていた。
会いたいと思っていたひとと偶然路上で出会い、立ち話しとなった。数少ないこのHP日記の読者でもある。
「10年前、なぜ議員になったのかを思い出し、原点にたち返ってほしい。牧田さんにはホームページを読んでいるファンも多いはずですよ」と言われた。
その時、携帯コールが入った。次の用事があったのだ。
次の用事は某医師との四方山話。
昨年の暮れに大病を経験した私は人生観が変わった。生と死を隔てる壁は屹立しているのではない。生のなかに死が浸潤し、死のなかに生が浸潤しているというふうに考えるようになった。
そして、だからかもしれないが、今回の選挙前後に何人かの僧侶、何人かの医師と知り合った。現世での健康と死後の世界への畏れが、私の内部で確かに深まっている。
表面的な私は近代的な装いをしているが、真の私は記紀歌謡以前の古代人であると思い始めている。
私がここ数日就寝前に読んでいる本は、吉本隆明著「新・死の位相学」でもある。
大病を経験しても変わらないことのひとつは「女性が苦手」ということである。というよりも、異性に対する崇拝と畏れの気分が強いのである。これは死ぬまで変わらないだろう。
その私のところに(大変珍しいことだが)女性の来訪客があった。



フォーカスの社員がいたみたいで隠し撮りされてしまったが仕方ない。芸人の宿命だ。
何故芸人かというと
以前吉本興業専門学校に行っていた私の次男から、「とうちゃん、選挙ってなんや?」と聞かれた。「うーん、いいと思う人に投票することやな」と私が答えたら、「それやったら芸人の人気投票と一緒やんか」と言われたからである。



 09/07/02(木) 雨あがりの朝


昨日は組織議会が開かれ、議長に丸谷氏副議長に北島氏が選出された。

夜は某旅館にて御披露目会。コップ焼酎を4杯飲んだが、これだけ飲んだのは実に数ヶ月ぶりで、私はしたたかに酔っ払ってしまった。
飲んでいる間に携帯電話が数件入ったが、酔っ払っている時の対応は実にしんどい。
時間は過ぎていき、夜更けには妻に迎えに来てもらった。


明けて今朝は6時半に起床。これだけ遅く起きたのも数ヶ月ぶりだ。
しかし熟睡したせいか寝覚めは快調。
手帳を開くときょうも予定が満載だ。がんばってやりぬこうと思う。



元金津町議・加藤氏のお父さんが亡くなったので、今朝は葬儀に列席した。
焼香など型どおりの式次第が終わったあと、娘さんが祭壇に進み出た。
亡き父に対する短い追悼の言葉のあと、歌を歌い始めた。
歌は「千の風にのって」だ。きれいなメゾソプラノの歌声が会場いっぱいに流れた。
こういうシーンは初めてで、亡き父への思慕が強く感じられた。


葬儀を終えて自宅に帰宅すると、今回の市議選で落選した元市議から携帯コールが入った。
「おめでとう」と言われ、「最下位当選だけれども、ありがとう」と答えたあと、本題に入った。
びっくりするような裏情報だ。証拠があがるまでここには書けないわなあ(笑)。
さて
私は今から「坂井地区介護保険連合運営協議会」に行ってきます。



09/07/01(水) 本日は組織議会


昨日は、「竹田川をきれいにする会」の総会が開かれた。議員のなかでの出席者は私ひとりだけだったが、ドンマイドンマイである。出席した区長たちのうちの何人かから、竹田川河川敷に関する要望が出た。現場を見るのが先ず一番だと思った私は、総会終了後に河川敷を歩いた。デジカメでいくつかの場所を撮った。
中世の随筆家・鴨長明が「ゆく川の流れは絶えずして・・・」と書いているように、水辺の環境は、環境問題のなかでもトップクラスであると思う。
さて
私の挨拶まわりは延々と続いている。私の感覚では、「挨拶まわり」というよりも「意見聴き歩き」であって、実に重宝だ。勿論、拝聴する意見は玉石混交なのだが、玉のほうは人生観に影響を与えすらする。
更に思ったことは、私のこのホームページ日記を読んでくださっている方が意外に多いということ。
10年前に書き始めた。金津町議時代は山下議員も書いていて心強かったが、今はまたひとり。
どうであれこうであれ、私は、この駄文を書き続ける。