2009年09月

09/12/31 (木) 大晦日

ついに大晦日となってしまった。
昨日は千客万来で、年内にやらなければならない諸々をやり終えていた僕は気分よく応対できた。
嬉しかったのは、本格焼酎の大瓶を持ってきてくださったひとがいたことで、これはこのブログで焼酎好きの自分を時折さらけだしていることによる効用かもしれない。
脆弱な体の僕は身の程をわきまえて夜な夜な少しづつ味わっていくつもりだ。
大晦日の福井新聞の一面記事・「虐待防止で親権制限」を読んだ。

内容は
「「児童虐待防止のための親権制度研究会」は深刻化する児童虐待に対応するためには、聖域だった親権の聖域に踏み切らざるを得ないと判断した。民法、児童福祉法をそれぞれ所管する法務、厚生労働両省は2月にも、法制審議会と社会保障審議会で検討に入り、2011年の通常国会への法案提出を目指す。・・」というものだ。
PTAの会長をやっていた十数年前にも虐待に近い話を聴いたし、議員になってからも聴いた。だけど、親権は「聖域」だと思っていた。
PTA時代の保護者への挨拶のなかで、「皆さんの子供たちは性の産物ではあるけれども、この世に出てくることに関しての選択はできない。母親の産道からこの世を垣間見て、やっぱり生まれるのをやめておこうと、こどもはいえないのであります。親が子供を強制的にこの世に送りだしてくるのです。その結果責任は親にあります。
生まれてこなければ良かったとこどもに思わしめる世の中にしてはならないし、親は世間への防波堤にならなければいけないと思います」と、しゃべった。
しゃべった僕自身の座右の銘は「普通の親」で、父親としての自己採点をすれば、100点満点で55点くらいだっただろう。でも、普通の親であることが一番じゃなかろうか。

 09/12/30 (水) 新幹線のこと

「あなたはラジオ派ですか?テレビ派ですか?」と聞かれたら、「僕はラジオ派です」と躊躇なく答える。
実際、見るテレビ番組はニュースと手話ニュースと大相撲小結以上と阪神タイガースの試合と南沙織の出る歌番組くらいのもんだ。

だけど昨日は11チャンネルで「福井県政 この一年」を前半の部分だけ見ていた。
福井県の民主党国会議員4人(糸川・松宮・笹木・若泉四氏)が出ていたので半ば義務として見ていた(・笑・)。
コメンテーター(読売・論説委員)が話題を新幹線問題に変え、四氏が異口同音にしゃべり始めた時、共感するものがあった。

前原国交大臣が「金沢以西を白紙に戻す」とか「来夏までに優先順位を決める」と言ったのは、新幹線が国土総合計画の一環であるという意味に措いて当然だし、笹木議員が地元議員として北陸新幹線の経済効率的優位性を説いていたのもわかる。
問題は敦賀以西をどうするかと、在来線の扱いでの赤字分を県が発信してこなかったことだ。

従来から僕にはこれが不思議だった。JRが在来線の経営を兼務することはないのだから、3セクとしての負担度を説明してこなければならなかったはずだ。税を使った事業には必ず光と影がある。

「在来線もJRが経営するんじゃないか」と、一介の市議にすぎない僕でさえあわら市の有権者から聞かれる。特に若い有権者からよく聞かれる。

「新幹線は県民の悲願である」は県のキャッチフレーズだが、キャッチフレーズはものごとを説明する上でのイントロにすぎない。

きょうの深夜はひとり山中をドライブしていた。
怖い。自動車のライトが樹木群に当たる時、樹木のあわいに死者の笑い顔が見える。
誰かが「闇はアナーキーな世界である。一切の綱領を否定する」と言っていたが、自分が死霊となってさまよっている気分になる。

今から20年ほど前に亡くなった友人は、海中から死体を引き上げる仕事をしていたが、生前、僕にこう語った。
「牧田はん、女の死体ほど怖いもんはないで・・。死体が海底であぐらかいて座ってるんや。逆立った長い髪が海中で揺らいでるんや。体の肉は半分ほど削げ落ちてるんや。顔の右半分が骸骨で左半分が生身や。ほんでくぼんだ眼窩が笑ってるんや」
聞いた時、「やっぱり女性は生きているに限る」と、僕は思った。

09/12/27 (日) 快晴の日曜日

CADにいそしんでいた昨日の夕刻に知人から電話が入り、12月議会で焦点になったことをいろいろ聞かれた。

五年ほど前までは、「議会報告・菜の花通信」500部近隣地区限定テクテク歩きポステイングを隔月毎のペースでやっていたのだけれども、中学校問題が浮上してからは、止めてしまった。止めざるを得なかった。
状況がめまぐるしく変化しペーパー版固定化が不可能と思ったからだ。
だけど、本当は、しゃべるのが一番いい。書き言葉が多かれ少なかれ整理整頓された結果物であるのに対して、しゃべり言葉はそれ以前の段階であるからこそことの本質が見え隠れすると思うからだ。

そういうことを考えながら自宅に戻ると、愛息愛娘三人が食卓でなにやら話し込んでいる。
僕はコップ酒一杯をひっかけたあと隣の寝所に入った。しばらくの読書のあとうつらうつらし始めたが、子供たちのぼそぼそ声が聞こえてくる。
隣室に (ふみ)よむ子らの声きけば
         心に沁みて 生きたかりけり   島木赤彦


別に書よむ声でなくていい。しゃべり合う声で十分だ。

うつらうつらの状態で今年一年を回顧した。
今年の一月だったか二月だったか、学生時代の友人5人があわら市にやってきた。JR芦原温泉駅前の中華料理店座敷で飲んだ食った。
学生時代のあの頃は純粋だった。純粋だったからこそここには書けない破廉恥なこともした(・笑・)。
彼らとの再会が今年一番の思い出だ。

きょうの午前中は、旧金津町内の区長宅をH氏と共にまわった。
激励もいただき叱責もいただいた。政権交代から100日が経過した現在、民主党連立政権に対する評価はさまざまだ。
最末端を構成する市議の僕としても政権に違和を感じる部

09/12/26 (土) 原稿を書きながら

一昨日の晩は議会納会で、芦原温泉にいた。
VIP挨拶のあと飲み会となった。久しぶりだ。多人数でワイワイガヤガヤと飲むのが不得手の僕の座右銘は

白玉の歯にしみとほる秋の夜の  
             酒は静かに飲むべかりけり
  若山牧水

なので、今年一年の来し方を振り返りながらひとり静かに飲んでいたのだが、何故かコンパニオンたちが寄ってくる。

そのうちのひとりから「すごくおやせになりましたね。横顔が引き締まってきましたね」と言われ、世を憂う日々を送っていることで痩せていくのかもしれないと思った。「太った豚より痩せたソクラテスになれ」だが、この言葉の本意は「満足した豚であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」であるそうだ。

一次会の終わった午後9時、迎えに来た妻の車に乗って帰宅。
布団にもぐりこみ、こんこんと眠った。
昨日は午前3時に起床。そんなに寒くはなかったので、竹田川河原を歩いた。
水面(みずも)に月が写っている。
天空の月は静止体だが、水面に写る月は流れに揺らいでいる。揺らぎは悩ましさを触発する。

09/12/25 (金) 水


昨日で12月議会定例会が終わった。議案は付託された委員会で討議され、議会最終日の委員長報告を受けて賛否が問われる運びとなるのだけれども、今度の議会は特に懸案事項が多かった。そして来年に入ると臨時会も予定されている。懸案事項は賛否の結果とは別に懸案であり続ける。僕は、この年末年始にかけてそれらをUPしていくつもりだ。

閑話休題
「生物体を構成する物質で、最も多くを占めるのが水である。」

もともとの稼業が建築設計であったことにもよるが、僕は水に対する関心をずうっと持っていた。
・水に流す
・水もしたたるいい男
・ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しくとどまりたるためしなし
・水の流れも澱めば腐る
・人の礼法あるは水の堤防あるが如し。水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず。

などなど水に関する格言は沢山あるが、総じて言うならば、水はすべてを浄化する。

さて、下水道のことである。
下水道と浄化槽は似ていてはいても経路が違う。そして、集落排水も浄化槽の親玉といえる。
下水道の目的が公衆衛生確保・生活環境改善にあることは勿論だが、加えて北潟湖などの閉鎖系水域富栄養化防止
等の水質保全対策の役割を持つ。

09/12/23 (水) きょうは祭日

昨日は忘年会で、事務所に9人くらいが集まった。
猪鍋がおいしかった。散会は午前二時。
いつもだったら起きる時刻に寝るというのは不思議な気分だ。
おかげで今朝の起床は午前6時半。

起床後妻の枕元へ行き、よしなしごとをいろいろしゃべった。
「いいかげんなおとうさんの裏面を把握しているのは、30年間連れ添ってきたわたしくらいのもんやろな」と、妻は言う。
僕はミステアリアスな人間なのかもしれない。

昨夕は学生時代の下宿同宿人に年末挨拶コールをした。
「孫は息子娘より可愛い」と、電話口のむこうで言う。翻って僕の場合、息子娘の口から結婚のけの字も出てこない。
人生いろいろだ。

僕の持論だが、男の魅力は「背中の哀愁」
本日の午後、波松の友人が来訪し3時間ほどの語り合いののち帰ってから、ラジオのスイッチをつけると「森進一ヒットメドレー」だ。
ザルツブルグから帰ってきた30年ほど前、福井市片町のとある酒場でバーボンウイスキーを飲みながらわけありのママと人生を語り合っていた時にBGMとして流れてきたのが「港町ブルース」で、この声音は日本版アダモだと確信した僕はこの時にクラシックと決別した、と言っても過言ではない。

 09/12/22 (火) 昨日の午後

昨日の午後は、講師を招いて環境対策調査特別委員会メンバーでの勉強会だった。ひとつは「廃棄物について」、ひとつは「公害・環境について」。
どちらもトレンデイなテーマであり、興味深く聞くことができた。

何年前だったか、金津町議だった時に視察研修で訪れた瀬戸内海に浮かぶ小島・豊島で対策委員長から聞かされた諸々及び目にした諸々の衝撃が今でも鮮明に残っている。

日本の公害の原点と呼ばれた熊本水俣病と深く関わっていた男が僕の友人にいて、彼からいろんなことを学んだし、石牟礼道子 の「苦海浄土 わが水俣病」によって日本中に水俣病が知られるようになった。

ゆりから見れば この世もあの世もヤミに違いなか
うちは 死んであの世にいっても、あの子に会われんよ・・
あきらみゅう あきらみゅう。
ありゃ なんの涙じゃろか、ゆりが涙は。
心はなあんも思いよらんちゅうが、なんの涙じゃろか。
ゆりがこぼす涙は、とうちゃん    昭和48年 水俣病41号患者 杉原ゆりの母親

09/12/21 (月) 五行日記

今年も10日を残すのみとなった。みなさんの心のなかで一年間の回顧が始まっているだろうが、私も公私ともにいろんなことの続いた一年だった。
正月は久しぶりに「フーテンの寅」を観て過ごそうかと思っています。
すこしはやいけれども
来年一年がみなさまにとってよい一年でありますように

09/12/20 (日) 寒いデービス・ジュニア

8月に交代した政権が民主党・国民新党・社民党による連立政権であったことによってクローズアップされてきた最大のものが普天間基地問題であることは間違いない。
鳩山首相、岡田外相、福島大臣の間で発言が錯綜し、橋下大阪府知事なども「移転先を全国知事会の主題として討議すべし」と発言し始めている。結局年内決定は見送られ、「日米合意文書の見直し、振り出しからの検討」と決定したが、これは当然だ。
学生時代、某大沖縄県人講師に私淑し、同じ琉球列島・沖永良部島で一時期を過ごし、容貌から「南方なかんずくポリネシア系だろう」と言われてきた僕にとって沖縄は、あわら市に次ぐ第二のふるさとだ。(注 第三のふるさとは淡路島由良町成ケ島)。当然、沖縄の歴史は僕にとって身近なものだった。

大マスコミは鳩山首相の指導力の無さを批判し、日米関係の悪化を懸念するが、それも事実ではない。
第一、世界はG7からG20に、つまり多極主義に移行した。
小沢幹事長の言うように(注 小沢は僕の妻の結婚前の姓なので、小沢と聞くとどきどきする)、日米中は二等辺三角形構造になる。今迄これを阻害してきたのが、江沢民・中国前主席だった。

沖縄・宜野湾市の伊波市長が、こう発言している

09/12/19 (土) 土曜日の朝

昨日は厚生経済常任委員会の二日目だった。
審査事項は次の通り。
議案第120号 平成21年度あわら市一般会計補正予算(第6号)(所管事項)
議案第123号 平成21年度あわら市公共下水道事業会計補正予算(第2号)
議案第124号 平成21年度あわら市水道事業会計補正予算(第1号)
議案第125号 平成21年度あわら市工業水道事業会計補正予算(第1号)
議案第126号 平成21年度あわら市農業集落排水事業会計補正予算(第1号)
議案第127号 平成21年度芦原温泉上水道事業会計補正予算(第2号)
午前中で審議を終了し、午後は市内企業視察を行った。

審議内容及び委員会での採決結果については、12月24日の議会最終日に予定されている厚生経済常任委員会報告のなかで委員長の口から詳しく語られるので、ケーブルテレビをご覧いただきたい。
この審議については沢山の添付資料もあり、私もコンテンツ議会報告に、UPしていくつもりです。

夜は7人が事務所に集まり、ふるさと歴史談義に花が咲いた。

本日の福井新聞22面に目を引くふたつの記事が載っている。
@「芦原・金津中学校整備始まる」と、A「大菊栽培の花 卓越」.。

@のなかにある昨年11月の臨時議会の時、僕は入院先から抜け出して出席した。しゃべる為に壇上に向かう僕の歩く姿をみて、一部の議員から「まきちゃん、歩く姿が病人みたいやったぞ」と言われたが、「病人みたい」じゃなくて「病人」だったのだ。
別に議会に限らずなんでもそうだと思うのだけれど、ひとから嫌われないためには口を閉ざすのが一番いい。だけどそれは将来に必ず禍根を残す。嫌われることも大切なことだと思う。
当時はいろんな確執があったが、今はそれによるわだかまりはない。ネクストステップだ。

Aの記事のなかの大久保さんは、坂ノ下区のひとでお袋の友人でもある。4大会連続知事賞というのはすごいことだ。
僕なんぞは賞とは全く無縁の半生だったからなおさらそう思うのかもしれないが、菊も含めて花の好きなひとに悪いひとはいない。


09/12/18 (金) 本日も福祉経済常任委員会

昨日は初雪となった。
市庁舎3階から見下ろすあわら市街はみるみるうちに真っ白となっていく。
雪といえば、この詩だろう。

汚れちまった悲しみに・・・

汚れちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れちまった悲しみに

たとえば狐の皮衣

汚れちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れちまった悲しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

汚れちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる  中原中也


夜は、手話サークルの忘年会。ウーロン茶や焼酎を飲みワイワイ騒ぐうちに時間はどんどん過ぎていった。
午後10時に解散。
会員のみなさん 今年一年いろいろお世話になりました。

 09/12/17 (木) 本日は福祉経済常任委員会

昨日の午後は、「総務文教常任委員会」の小中校舎耐震・補強工事管内視察について行った。
僕は「福祉経済常任委員会」に属しているのだけれども、工事関係者から「牧田はん、管内視察に行かないのか?」と電話で言われたのでついて行った次第。

行き先は、下番の本庄小学校校舎(工事契約額約¥1億2千5百万)、田中々の芦原小学校校舎(工事契約額約¥2億3千9百万)、花乃杜の金津小学校校舎(工事契約額約¥1億5千7百万)、市姫の金津中学校仮校舎(工事契約額約¥1億1百万)。

芦原小学校校舎については「耐震性能はかなり低い」という評価報告があり、3階建ての一部を2階建てにするという耐震補強方法を採っている。

2年ほど前にこの日記で何回か書いたことがあるけれどもザザっとおさらいをすると

地震がきた時の横揺れは建物総重量に比例し、その係数は一律0.2というのが従来の建築基準法の骨子だった。
しかしいくつかの地震を経験した日本建築学会は、昭和56年に建築基準法の大改正を施行した。いわゆる新耐震だ。

導入された大きな軸は、@偏芯率(建物の捩れ)の基準数値以下確保とA剛性率(建物各階の耐震性能の均一化)の確保である。
ともあれ、3階建てを(一部でも)2階建てにすれば地震力は小さくなる。耐震調査を生業としている友人によれば、全国を俯瞰すると結構この工法が採用されているそうだ。

管内視察終了後、僕は三国土木事務所へ行った。建築課長と今後の建築の動向について話をした。
そのさなか、ふたりの知人から携帯電話が入り事務所に戻った。

夜は定例の集まり。
糸川議員の秘書氏も同席し、話題は「来年の活動について」に終始した。

今年も暮れ近くなってきたが、毎晩のように予定がつまっている。勿論、そのなかには幾つかの忘年会もある。
多少は焼酎を飲むだろうけれども、節度ある飲み方にしなければならない。
僕の来年の座右の銘は「控えめ」だ。

 09/12/16 (水) 夜明けにカラスの鳴声を聞きながら


昨年の今頃は脳内出血による長期入院を経て退院し、自宅療養に入った時期だ。その頃と比較するならば殆ど回復したと思うが、しかし各部位に小さなマヒは残っている。
@母音から始まる言葉がスムーズに出てこない。
@あれほど好きだった歌が歌えない。持ち歌だった「港町ブルース」のような大音量を必要とする歌が特にむつかしい。
@右手指先の神経系統にわずかな断絶を感じる。よって手帳のような小さな枠内に字を書き込むことがむつかしい。
@右足の運びに違和感がある。大きな段差があると困ってしまう。

先日の一般質問でJR芦原温泉駅のELV設置に関する質問が出た。
確かに観光を看板とするまちの駅舎にELVがないのはおかしいし、この話は過去にも何度か出ている。
市長答弁は、新幹線がらみで留保しているということだった。
新幹線については、先行き不透明な状態である。新幹線が来ることを前提にしてというよりも来る来ないに関係なくまちづくりを考えていかなければならないだろう。

 09/12/15 (火) 寒い朝

昨日の一般質問を聞いていて印象に残ったもののひとつが、S市議と市長とのやりとりだった。
市議は本年度の補正予算が最終的に170億になるという見通しのなかで、例年より数十億膨れ上がった予算執行を、景気後退という状況下で懸念する。

市長は、学校の耐震工事はじめ遅かれ早かれやらなければならないものは有利な起債を利用したほうが、最終的には節税になると力説する。合併特例債使用期限が平成25年までということを念頭においた上での財政計画を財政課が説明した。

財政の一時的な膨れ上がりは、5年前に合併した時点で予想されたことだし、財政課の説明に僕は大筋で納得した。
但し、一般市民の間には「財政の膨れ上がり」という字句だけが一人歩きし懸念の声が出るかもしれない。
その意味で行政側が市民との対話を深めることが大切だ。思いの丈をしゃべることが大切だ。

勿論、我々議員にも市民とのコミュニケを深める義務がある。しかしその姿勢は明らかに違う。
あわら市民は市長に行政執行を付託する。翻って同じあわら市民は議員に対行政監視を付託する。
二元代表制と呼ばれる所以だ。
つまり我々議員は、行政側が執行しようとする事業に対して賛成反対いずれにせよ監視者としての役割を前提としたしゃべりをしなければならない。

09/12/14 (月) 花束

一昨日の夕刻に妻が花束を持って帰ってきた。僕は忘れていたのだが、お袋の誕生日だったのだ。
晩酌時、妻と話しこんでいるうちに、いろんなことを感じた。

妻は日頃、「おとうさん(僕のこと)たち団塊の世代はあかん。身勝手や。相手への気配りがない。自分の興味あることだけには一生懸命になるけど、興味のないことはほったらかしや」と、言う。

これは僕自身に対する叱責というよりも、歳の差からくる世代間の断絶の表れだろう。
僕と妻との間でさえそうなのだから、妻とお袋の間での価値観の相違は「推して知るべし」であった。嫁姑の間での調停者であるべき僕はいつも下を向いて小声でブツブツと言うだけだった。

晩酌時、妻は「私は実はおばあちゃん(お袋のこと)に似ていると思ってるんや。そう気がついてきたんや」と畳みかけて言う。
結婚したての頃の妻は清楚で寡黙だった(と思う)。
子供ができた頃から饒舌になった。中年になってからは、(正論なのだけれども)口やかましくなってきた。
嫌気を感じることもたまにはあるが、こういう妻と一緒に暮らす僕は、シアワセモノであるのかもしれない。

と書いてきたところで石川啄木を思い出した。

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 
            花を買ひ来て 妻としたしむ 
   石川啄木

午後3時半に市庁舎から事務所へ戻った。
本日の議会は、一般質問の日だった。質問者は次のとおり。じきにケーブルテレビで放映されるので、時間と興味のある方はご覧になってください。

09/12/13 (日) かぐや姫

昨日の土曜日は某寺院で蕎麦会が開かれ、僕も友人ふたりと一緒に参加した。
蕎麦を食べている間に隣席の知人が、「ケーブルテレビを見ていたが、議員報酬・期末手当の削減案になんで賛成して立ったんや。あかんぞ」と言う。
人勧(人事院勧告)による行政特別職や職員の報酬・期末手当引き下げが可決され議員も当然だと思い賛成起立をしたので、「?」と思いながら知人の顔を見つめた。
知人は続けて言う。
「あかん、あかん。反対してもっと大きい下げ幅を主張すべきやったんや」と言われて僕のココロは複雑になってしまった。

事務所に戻り、友人と立ち話をしていたら黒い車が停まり男のひとが降りてきた。
「来年は、県議選と市長選や。時代は大きく変わっている。地区に固執することなくグローバルにものごとをみることのできるひとでないとあかん」と言う。
僕が「違う。来年は坂井市長選と坂井市議選や。あわらは再来年や」と言うと、「まあどっちでもいいが、市議選もそうや。地区推薦のどぶ板の時代ではないぞ」と言う。


別れてから僕は竹田川河畔へ行った。
僕には妙な癖がある。もの思いにふけろうとすると、せせらぎの音が必要で鴨家族蛇行の風景が必要なのである。
その環境下に身を置きながら、僕は昨日の読売新聞ブログを思い出していた。

「普天間含め米軍再編見直し要求へ…与党3党首合意
鳩山首相は、沖縄の米軍普天間飛行場移設をはじめとする米軍再編について、米政府に新たな再協議の場を求める意向を固めた。
11日の福島消費者相(社民党党首)、亀井金融相(国民新党代表)との3党首会談で合意したもので、移設先選定の結論先送りとともに、週明けに発表する。
米軍再編について、連立3党は9月に「見直しの方向で臨む」とする政策合意をまとめた。首相はこの合意に基づき、2006年の日米合意による沖縄県名護市辺野古への移設計画を見直すとともに、その他のグアムへの海兵隊移転計画についてもさらに移転が加速できないかどうかなど、米軍再編のロードマップ(行程表)そのものの再検討も求める方針を固めたものだ。・・後略・・」

大マスコミには、公式に発表されたものだけが載るのであって、そうなるまでのプロセスはなかなか知りえない。
その点、インターネット世界からの情報は貴重だ。
橋下府知事が「関空や神戸空港を提供するのも選択肢のひとつだ」と言ったり、田中某が「北朝鮮の脅威を考えるならば、疲弊した日本海側の民間空港利活用も選択肢のひとつだ」と言ったりするのも、米軍自体の視野にグアム全移転が入っていたことが顕わになってきたことも、その背景には世界の多極化に向かっての動きがあるのだろう。
その意味では1991年12月のソ連解体つまり冷戦の終結が果たした役割は大変に大きいものがあった。


蛇足ながら、僕も民間・馬の骨外交で日本国家に寄与したことがある。
10年程前、ウラジオストック在住の18歳の少女ふたりが僕の家にホームステイに来た。
僕は先ず我が家の仏壇におまいりしてほしいと思い、数珠と「南無阿弥陀仏」の教本を彼女たちに手渡し(読めるわけないが・・笑・・)、仏壇の扉を開けた。
敬虔なロシア正教徒のふたりはイコンを出し、合掌しながら「ナムアミダブツ」を唱えた。
ホームステイ最終日の晩、彼女たちは「どうもありがとうございました。大変楽しかったです。将来は日本に来て日ロ友好のために通訳として働きたいです。ロシアはまだ貧しい国です。こんなものしかお礼に差し出すことができません、どうぞ」と言ってウオッカ瓶をくれた。そして去って行った。

その日の晩、僕はウオッカをひとりちびりちびりと飲んだ。
ウオッカが喉をとおるたび、喉元は焼けるように熱い。しかし「喉元すぎれば・・」で飲み続け、体のなかが火事のようになってきた。
事務所裏の駐車場にあおむけに寝転んだ。
満月の夜だったので、かぐや姫の降臨を待った。待てど暮らせど降臨がないうちに僕は眠りこんでしまった。翌朝に目覚めるるとあたりは嘔吐だらけだった。
人格者をめざす僕としては、珍しく恥ずかしさの残る月夜の晩だった。

09/12/12 (土) もう週末か


民主党が社民党との連立政権となったことで、沖縄の米軍基地扱いが外交面での最大の課題となっている。


僕はこのところ寝酒とともに故・岡部伊都子の「沖縄の骨」を読んでいるのだが、読み進めるにつけ、ヤマトンチュウ(大和人)のウチナンチュウ(沖縄人)に対する関心の浅さもっと言えば無理解を感じる。


30年ほど前、当時の仲間達が、京都から岡部伊都子を福井市に招いての講演会を企画した。
講演会で日本美の特質を語る彼女の語り口に京都人特有の繊細さを感じたし、僕の辞書に「繊細」という言葉が入ったのもこの時だ。


でももっと印象に残っているのは講演を終えた時だった。
担当者が講演料を差し出した時、彼女は「要らないです。寄付します」と言ったのだ。
そう言った時の彼女の目はとてもきれいだった。無欲の目だからきれいなのだと思った。
僕もプロフィルのなかで、チャームポイント=目と書いているが、これは彼女のような目を持ちたいという僕の願望だ。

09/12/11 (金) 阪神タイガース


来週は12月議会定例会提出議案の審議を付託された常任委員会が開かれる。
提出議案は次のとおりです。


議案第120号 平成21年度あわら市一般会計補正予算(第6号)
議案第121号 平成21年度あわら市国民健康保険特別会計補正予算(第2号)
議案第122号 平成21年度あわら市モーターボート競走特別会計補正予算(第1号)
議案第123号 平成21年度あわら市公共下水道事業会計補正予算(第2号)
議案第124号 平成21年度あわら市水道事業会計補正予算(第1号)
議案第125号 平成21年度あわら市工業用水道事業会計補正予算(第2号)
議案第126号 平成21年度あわら市農業集落排水事業会計補正予算(第1号)
議案第127号 平成21年度芦原温泉上下水道財産区水道事業会計補正予算(第2号)
議案第128号 人権擁護委員の候補者の推薦について



プロ野球・阪神タイガースの赤星が引退することとなった。
スポーツ観戦といえば野球、野球といえば阪神タイガース、そしてタイガースといえば赤星だった僕にとってこの引退はいかにも惜しい。
入団時の記者会見で「僕は新庄さんを継ぎます」と、当時人気絶頂の新庄を引き合いに出して周囲の失笑を買ったのだが、この愚直さが彼を一流選手にさせたのだろう。


思い起こせば、僕は昭和の30年代後半からタイガースファンとなった。
「巨人・大鵬・玉子焼き」が子供の好きなものの代名詞だった時代に僕は「阪神・柏戸・鯵フライ」だった。
余談だが(全部余談だけど)
柏鵬戦テレビ観戦で行司の「制限時間いっぱああい」が近づいてくると、必ず神棚の前に行き、二礼二拍手で柏戸の必勝を祈願した。そしてたいていは裏切られた。


成人してからは何度か甲子園球場にも行った。対巨人戦で江夏が延長10回を完封し自らのさよならホームランで決着をつけたこともある。翌日のスポーツ新聞で、「野球はひとりでやるもんやいうことが、よおわかったわ」という江夏談話を読んで、「神様仏様江夏様」と思ったものだ。


「対巨人戦でタイガースが勝ったら焼鳥屋へ連れて行く」を知人に約束したのだが、たいてい負けてくれたのでよけいな散財をしなくてすんだ。


真弓新監督とは浅い因縁がある。しかし、書くのは省く。

09/12/10 (木) 深夜に思う


深夜ラジオから小坂明子の「♪あなた」が流れてきた。


♪もしも私が 家を建てたなら

   小さな家を 建てたでしょう
 大きな窓と 小さなドアと
   部屋には古い 暖炉があるのよ

 真赤なバラと 白いパンジー
 子犬の横には あなた あなた
   あなたがいて欲しい
 それが私の夢だったのよ
   いとしいあなたは 今どこに


ブルーのじゅうたん 敷きつめて
   楽しく笑って 暮らすのよ
 家の外では 坊やが遊び
 坊やの横には あなた あなた
   あなたがいて欲しい
 それが二人の望みだったのよ
   いとしいあなたは 今どこに

 そして私はレースを 編むのよ
 私の横には 私の横には あなた あなた
   あなたがいて欲しい
 
 そして私はレースを 編むのよ
 私の横には 私の横には あなた あなた
   あなたがいて欲しい


1974年の200万枚越え大ヒット曲だ。
小坂明子を受け持っていた友人教師によればおとなしい目立たない生徒だったそうで、大物とはそういうものであるのかもしれない。


僕はこの歌が大好きだった。いつかまだ見ぬ伴侶とこのような家で一緒に暮らし、熱々ブルーマウンテイン珈琲を一緒に飲みたいと思っていた。
しかし一方で建築設計の世界に入りこんでいた僕は、「建築家は自らが理想の家に住んではならない。飢餓感を失ってはならない」を座右の銘としていた。


建築ひとすじでおよそ女性に縁のない生活を送っていた僕が32歳になった時、僕と一緒になるという奇特なひとが現れた。それが現在の妻だ。
風采あがらず決して清潔とは言えぬ僕は例えば金津町議選に出てからあとは妻を苦しめてばかりだった。悩ませてばかりだった。
こういう僕と一緒に居続けてくれた妻は世界最高の女性である。

09/12/09 (水) 手話のこと


昨夕、ろうあ者知人が僕の事務所に来た。
「土地がらみのことで腑に落ちないことがある。相手に電話をしてここに来るように頼んでほしい。そして手話通訳をしてほしい」と言われた。


相手の人は、「前にも筆談で説明したように・・」を繰り返して言う。事実そうだろうしその人は善意の人であるように感じられた。
但し、母語が違うことでろうあ者側が筆談に曖昧を感じることも事実だ。我々健聴者にとっての母語が音声日本語であるのに対して、ろうあ者にとっての母語は日本語手話だ。そして音声日本語は書き言葉に対応しているけれども、手話構文は書き言葉にきちんと対応していない。


例えば、手話には助詞がない、とよく言われる。しかし、助詞がないから意味が曖昧になるかというと決してそうではなく、手話というビジュアルな動きそのもののなかで助詞的な部分が的確に表現される。


このことを説明するのは実はとてもむつかしいことで、まして僕のようなハンパ通訳者には無理だ。実際に経験することでそれらがわかってくる。


毎週木曜日の夜、午後7時半から僕の事務所で手話サークルを開いています。
興味のある方は是非、気軽においでください。


09/12/08 (火) 快晴の朝


今朝は午前2時に目が覚めた。再度眠ろうとしたが目はさえるばかり。仕方がないので北潟湖畔へ車を走らせた。闇のなかで僕はきのう会ったひとから以前に言われた言葉を思い出した。
「牧田はん、柿は腐りかけが一番うまい。人間も一緒や。腐りかけが一番魅力的や。腐って落ちてしもたらあかんけどな」と言われたのだが、その言葉を何度も反芻していた。
そのうち空が白み始めてきた。

僕は助手席に置いた愛用ノートパソコンのコードを100ボルト変換機に差込んで「メモ帳」を開いた。キーボードを叩いた。


「まきちゃん、テレビに顔が映っていたぞ」と何人かのひとから言われて、一昨日の民主党県連事務所開所式を思い出した。そして、顔の映像とはなんだろうと考えた。
随分昔の話になるけれども、全共闘世代に多くの著作を読まれしかし若くして亡くなった高橋和己があるエッセーのなかで映像論を展開していた。論といってもこむつかしいものではなくて、ようするに全ての映像は主張であり作品であり、公平中立などありはしないということを述べていた。

ひとの表情は刻々変化する。表情を裏打ちする要素は感情の起伏だろう。撮影者は、無意識のうちであるにしろ意識的であるにしろそれを取捨選択しているという意味において主張となる。

 09/12/07 (月) 本日は12月議会定例会初日


今年も残すところ3週間となり、あわただしい気分だ。
あわら市議会定例会が本日から始まることもその気分に拍車をかけている。日程的には他市議会もよく似たものであり、先日、他市の議員が「どこでも師走の風が吹く」と、言っていた。


去年は10月に親父が亡くなったので、年賀状を出さなかった。今年は妻のお母さんが亡くなったので、やはり出さないことになる。勿論、僕にとって初めてのことだ。


 元日や 冥土の旅の 一里塚
    めでたくもあり めでたくもなし
    一休宗純


来年の正月は、この傑僧の歌から生死の意味を考える期間になるだろうと思う。

09/12/06 (日) あっち行ったりこっち行ったりの日曜日


本日の福井新聞に「新幹線支払い拒否問題・新潟県知事もはや四面楚歌」が載っている。


国交省側が工事認可手続きを新潟県知事に求めるのに対して、「工事の中身が分からないのに回答しようがない」と言っているのには、一定の意味があると思うのでむしろほかの三県知事(長野・石川・富山)が同調しないのがおかしいと思う。
新幹線は国家的プロジェクトではあるが、停車駅の停車頻度とか在来線の財政負担など同時並行的に考えていかなければならないことをネグレクトされてしまうと、禍根を残すことになるのではないか。


今朝は坂の下・八幡会で、境内の清掃にいそしんだ。
拝殿裏手にカラス捕獲のための檻が置かれている。
八幡神社の鎮守の森にねぐらを構える沢山のカラスを捕獲するための措置ということを行政側から聞いていたので、じっくりと眺めた。効果があればいいが・・・。

民主党県連が移転し、事務所開きとなったため。
いろいろあった今年もあと3週間で終わる。

09/12/05 (土) 週末きたる


一人称を示す代名詞は「俺」・「私」・「僕」が代表的だ。
しゃべる時はいつもこの三つが混在するのだが、書く時には「私」を定番としてきた。しかし「私」は丁寧だが一方で身構え気分が出て窮屈にもなる。


ということで
昨日の僕は欝について考えていた。しゃべっていた。
「欝は現代人の病気である」は数十年前から人口に膾炙している言葉だが、昔はなにかしら精神の空虚さを指し示し、価値観とは無関係の言葉だったと思う。


けれども、平成に入ってから20年が過ぎた現在、欝は蔓延している。勿論僕の周囲にも何人かいる。先日、市役所駐車場で会った知人から「薬をたくさん飲んでいますが、また欝がひどくなってきました。仕事に行けない状態です」と言われた。
欝は躁とあわせて全ての人間が持っている感情なのだろうし、現に僕自身にも欝の世界が時折訪れる。しかし医者ではないので、普通の人間が持っている欝気分と病理学で定義される欝との境界がどこにあるのかわからない。

精神科の医者に話を聴くと「親や友人との齟齬、精神に大打撃を与えるような事件との遭遇あるいは脳自体の欠陥によるもの」との答えが返ってきた。
だけど、純粋培養されたような順風だけの人生を送っている人なぞ居まい。第一、僕はそんなひとに興味がない。

09/12/04 (金) 忙中四行日記


7日から始まる12月議会定例会の議案書を読んでいた深夜、ラジオから大川栄策の「♪昭和浪漫」が流れてきた。

顔と違ってうまい歌声の「・・・昭和は風のなか・・・これからが青春です・・・昭和は夢のなか・・・」を聴いていて、私はハンサムフェイス・加山雄三の「♪びっこの小犬」を思い出してしまった。

09/12/03 (木) 昨日の一日


昨日は常任委員会が思ったよりも早く終わった。
ポケットに手を入れると数千円の金が入っている。私はもともとが財布を持って出る癖がなく、持ってもせいぜいが数百円なので、金持ちになったような気分だ。
「おごるぜ」と言って、同僚議員ふたりを喫茶店へ誘った。
喫茶店の焙煎珈琲には香りがある。焦げ付くようなこの香りが大好きな私にとって至福の時間帯だ。
珈琲を飲みながらの話題は、湯のまち駅前跡地利活用のことととなった。


ふたりと別れた私は金津図書館へ行った。
図書館に ぼくのなぞとく 鍵がある(日本一短い手紙・入選作品) である。


館長から郷土史関係のエトセトラを聞いて、図書館を出た。
帰路、私は郷土史家の故・山口喜三太先生のことを思い浮かべていた。
今から10数年前、私たちの仲間は、山口先生から郷土調べの方法を教えていただいていた。
デスクワークとフィールドワークを車の両輪として、教えていただいていた。
その頃の私の生活の糧は建築設計だったが、先生はある日私に言った。
「孝男ちゃん、もう建築設計からおさらばしたほうがいい。金津町議になるべきや。金津町議になって町の歴史文化保存をうったえていくべきや」と言った。


議員になるにはなったが、グータラ派に属する私を、山口先生は草葉の陰で叱責していることと思う。



 09/12/02 (水) 市議会日程


昨日の午後は12月議会定例会を前にしての全協(全員協議会)が開かれた。
12月議会定例会は7日から24日まで。詳しくはあわら市ホームページをご覧ください。
早朝に自宅近くのコンビニへ行った。空がカラスの大群でいっぱいだ。鳴声もすさまじい。

カラスを見ると私がいつも思い出すのは、「黄色いカラス」という名の映画。見たのは小学生時代だっだ。その映画の主人公はやはり少年で、カラスの絵を描くとその絵にどうしても黄色を塗ってしまう。
なんとも不思議な映画だったが、今でいうトラウマがテーマだったのだろう。


20数年前に北海道・北見市の女性と一緒にお茶を飲んでいた時、彼女は自分のトラウマについて語りはじめた。「私はね、動物園でシマウマを見るともうダメ。シマウマの縞は、黒地に黄がのっているのか黄色地に黒がのっているのかいつも考えてしまう。考えても考えてもわからないので頭がパミックになるのよ。これは治りようのないトラウマです。」と言った。


世の中にさまざまの人間がいることだけは、確かだ。

09/12/01 (火) きょうは全協


きょうから12月。あっという間に師走となってしまった。


昨年の10月に脳内出血で倒れた私は、暮れ近くまでを病院で過ごした。幻覚と痛みに襲われる日々でもあったが、重篤な患者達との接触のなかで私の人生観は大きく変わった。
「一日を生きる」が抽象論ではなく具体的な願いであるひとたちからさまざまの思いを聞いた。
若い頃からおぼろげに思っていた「生と死は浸潤しあっている」は、入院生活で確信となった。


あけて今年・平成21年は自宅静養とリハビリで始まった。リハビリは自宅周辺を歩くことだったが、うっすらと積もった雪景色で私は異郷の地・ザルツブルグの森とハイジを思い出していた。


発語は大変に不自由だったが、読み書きに関しては回復していった。
その頃読んだ本にアランの「幸福論」がある。「幸福論」のなかの「敵は自分自身のなかにしかいない」は私の座右の銘となった。


去年暮れからの一年間は私にとって決して忘れることのできない一年間となった。