2010年07月

2010/07/31 (土) 昨日の一日そしてきょうは7月最終日

昨日の朝、Tくんの会社へ行った。ゴーヤスクリーンの生育状況を写真に収めるのが目的だったが、葉がしおれて変色している。
社長は、「水の遣り過ぎが原因らしい」と言う。過ぎたるは及ばざるがごとし・・か。

午後一番には民主党関係者の集まりで、坂井市役所へ。

終了後、再びTくんの会社へ。
話の途中に知人から携帯電話が入った。
「牧田さんに紹介したいひとがいるのですが、携帯電話の番号を教えてかまわないですか」と言う。
以前だったらこのことに関してはナーバスだったが、最近では即、「かまわないです。なんでもかまわないです」と答えている。

夕刻に事務所へ戻ると、某市議が来訪。
日中関係というえらいビッグなテーマの話となった。
そこへTくんが来訪。
一日に三回もおなじひとと会うのは珍しい。でも、楽しかった。

一昨日だったか、HくんとKくんがソファーを持ってきてくれた。汗水流してソファーを事務所の中に運んでくれた。リサイクルショップで見つけたもので、「¥100-」の値札がついていたという。
恐縮した僕は100円玉を渡そうとしたのだが、「プレゼントする」と言われた。


持つべきものは友人だ。

2010/07/30 (金) もう週末か

今朝早く、成年後見人制度に関する電話が入ってきた。不幸にして僕はこの制度のことをよく知らない。「勉強しなあかんなあ」と思った。

電話といえば、
昨日は風発と創作の森に関する長い電話があった。
議員というのはアプリオリに何かの専門家であるわけではなく、よろず相談のなかでそれぞれが自身の専門性を高めていくものなのだろう。

電話といえば、
夕刻に「蕎麦を食べにこないか」という電話があった。
行くと、HくんとKくんが自ら手作りの蕎麦を食べている。
太めだが歯ざわりがよくて風味がきいている。
見上げると青空が広がっている。雲が浮かんでいる。真夏の日に一服の清涼剤を飲んだ気分となった。

今朝の新聞のお悔やみ欄に、同級生が載っている。
在りし日の諸々が、頭のなかをかけめぐる。「生死に命あり」だ。

2010/07/29 (木) 小雨の朝に

昨日の日記に、坂井地区介護保険広域連合議会の模様をリキ入れて書き込んだのだけれども、ホームページソフトを編集している時に、誤って消去してしまった。
こういう時、がくっとした気分になる。しかしドンマイドンマイ。人生とは無駄の積み重ねです。

さて
昨日は来訪者が多かった・・。
朝に来た二人組のうちのHくんが「俺はもう女性に色気を感じることはゼンゼンない」という。

僕・「そうかなあ、僕はまだ時々は色気を感じるけどなあ」
Hくん・「それは、牧田と俺で若いときのもてかたに段違いの差があったからや」
Hくん・「俺はあまりにも女性にもてたんで、この歳で既に実弾を使い果たしてしまった」
Hくん・「貝原益軒も、男の生涯回数は決まってる、と書いてるぞ」

Hくんの講釈を聞いているうちに「色気」の定義についての彼我の差を感じた。
僕がロマンチストであるのに対して、Hくんは即物的なのである。

夕刻に某共産党市議来訪。
共産党のいいところは、不遇のひとたちに対する配慮だ。ただし、それだけでは成長戦略が感じられない。
ま、民主党も矛盾を相当抱えていると思うけど・・。

昨晩の就寝時刻が7時半だったので、今朝は3時に眼が覚めた。
布団のなかで読書を、と思ったが、傍らの妻の安眠を妨げてはならないので、事務所に入った。
宮本輝著「にぎやかな天地」上下二巻を読了。
この本のなかには、僕の現在の心境に対してとても示唆的な何箇所かがちりばめられていた。

2010/07/27 (火) 昨日の一日

昨日の午前中は厚生経済常任委員会。

午後は、一昨年の10月に僕が脳内出血で倒れた時の大学病院の主治医と会っていた。
一年半ぶりにMRI撮影をした。撮影の間の数十分間、暗闇のなかで異音を聞きながらひたすらじっとしているのは実に苦痛である。
終了後、主治医から説明を受けた。

最近は一部のひとを除いて他人と会ったり話をしたりするのがとても億劫になっており、それは単に心因性のものではないだろう脳に異常が発生しているのだろうと思っていったので、半ば覚悟を決めて宣告的説明に臨んだのだが、説明は「血管の切れたところは痕跡をとどめないほどに回復しています」というものだった。
説明を聞いて一応はほっとしつつ、僕の声音にかすれが出てきている弱弱しくなってきていることを指摘されて僕は「ナルホドなあ」と思った。

夕刻に僕は、某パソコン修理店へ急いだ。
もうひとりの主治医=S医師から頂いたレーザープリンターの動作不具合の相談に行ったのだが、ドライバーソフトの再インストールで問題は解決した。
夜は完全復調したプリンターを駆使しつつCP作業にいそしんだ。

本日の朝日新聞7面に「ポト派元所長 禁固35年」の見出し記事が出ている。
強烈な毛沢東主義者のポル・ポトが率いたクメール・ルージュによる170万人虐殺犯罪にたいするカンボジア特別法廷の判決結果だ。
70年代から80年代にかけて大混乱したアジア。
北ベトナムのホー・チミン、中国共産党の毛沢東、カンボジア共産党のポル・ポトの行状を日本の大手マスコミは正確に報道してこなかった。というよりもその犯罪性を隠し、謳い文句だけを記事にしてきたような印象が僕にはある。
勿論そうしなければ取材が許されないという現実があったのだろうが、そのことで大手マスコミが間接的にしろ犯罪に手を貸していたということになる。

2010/07/25 (日) ひさしぶりのゆったり日曜日

本日は日曜日なので、プロレスラーのお母さんと一緒に聴力障害の陶芸家・福島伸彦さんの「癒しの世界展」へ行った。


福島さんの奥さんとは20数年ぶりの再開だが相変わらず若く美しかった。
それはどうでもいいことだが、



夕陽を写しだす技巧は独特のものだ。若い頃から夕陽に対する強い思い入れがあったという。


昼過ぎに事務所へ戻り、心気一転、パソコンルームの配置換えに精出した。

ついでにメダカを水槽に移した。


人間よりメダカのほうが好きになってきている。
夕刻から宮本輝著・「にぎやかな天地」を読む。
同年齢ということもあって若い頃に読みふけった小説家だったが、なんだったかある小説を読んだ時、このひとが嫌いになってしまい、10年ぶりの再会がこの小説だった。
発酵食品を主題とした一風変わった上下二巻の長編だ。
上巻で論語を引用している。
「死生、命あり、富貴、天にあり」と書いている。僕はこの言葉を座右の銘に加えよう。

2010/07/24 (土) 土曜日の朝

昨晩の事務所には「ふるさと語ろう会」のメンバー6人が集まった。
発会式での記念講演が「溝江氏四代」だったので、次は堀江氏に関する講演をしようか、ということになった。
メンバーも少しずつ増えてきている。

今朝の6時に、S氏が来訪。長靴を履き網を持ってメダカを捕りに行った。


海老や鮒も沢山捕れて成果は上々だった。

2010/07/23 (金) もう週末か

聴力障害の陶芸家・福島伸彦さんの「癒しの世界展」が喫茶・「森のめぐみ」にて開かれています。
場所はえち鉄・大関駅の近く。是非ご来場ください。

昨日の午後、リサイクルショップに中古のソファーを買いに言った。友人のK君の軽トラックで買いに行った。ショップに着くと店頭に一間幅のソファーが置いてある。
値段札を見ると「¥100-」と書いてある。

勿論購入したが、不思議だ。この値段では100均ショップと同じだ。

2010/07/22 (木) 厚生経済常任委員会視察研修

一昨日は岐阜県の中津川市役所へ。
市役所で島崎藤村記念館についての説明を受けたあと、記念館のある馬篭.街道へ。
藤村の小説「夜明け前」の舞台となった場所だが、生憎と僕はこの小説を読んでいない。
街道は賑わってはいなかったが、往時がしのばれる雰囲気を持っていた。


昨年度の記念館への入場者数は約6万人。ビッグネームだからこれだけのひとが来館するのだろう。入場料は¥500/人。全くの独立採算とのこと。
説明する館の女性職員に給料を聞いたところ、市職員の給料の2/3程度との答えが返ってきた。
昨日は、犬山市役所へ。
「歴史のまちのみちづくり事業」についての説明を受けた。
三つの課からの説明を受けたので、聞くのに疲れてしまった(笑)。
犬山市といえばなんと言っても日本最古の天守閣を持つ国宝・犬山城だ。
(隣・坂井市の丸岡城の天守閣が潰れなければ最古だったのになあ)

犬山城へは近年観光客が大変増えている。
理由として
①城周辺の道路をへんにいじらず、昔からのコミュニテイを守り
電線を地中に埋設したこと。
①名鉄と提携し、公共機関輸送を模索したこと。
それらの大規模で多角的な誘客努力を聞いて、僕は敬意を感じた。

説明のあと町並みを歩き、犬山城へいった。
右足に違和を覚える私は、城に上らずふもとでみんなが帰ってくるのを待っていた。

炎天下で汗を出しながら待っていると、犬山市の女性職員が寄ってきた(年齢は30くらいか)。「暑いので車に入りませんか?」と誘われた。
ふたりは車のなかで、おたがいの市政についての意見交換をした。わたしはついでに沖永良部という南の島の話もした。

2010/07/20 (火) 夏到来

きょうと明日は、厚生経済常任委員会の視察研修。

2010/07/19 (月) 昨日の一日

祭り中日ということで忙しい一日だった。
毎年思うことだが、山車巡航は、宵山に限る。


神道は、皇国史観であった時期を除いて言うならば、仏教のようなイデオロギー宗教ではない。
司馬遼太郎が言っていたように「清浄にして清浄」そのものを賛美するだけなのだ。穢れを排斥する。
神主の詔に出てくるのは「払い給へ清め給へ」は死の穢れを対象としていることを意味する。
それは「記紀」におけるいざなぎ・いざなみの物語でも明らかだ。
僕はこの詔を聞いていて苦しくて仕方なかった。

夕刻から
私の事務所へも数人の来訪客があった。山車巡航見物が一応の目的だが、内実は来年の統一地方選挙を話のツマミにしての缶ビール並べ飲みだった。
来客が帰ると、急に寂しくなった。
ひとり、宮沢賢治を読む。

「永訣の朝
」 宮沢賢治


けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる


かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとす


それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら


ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
  (そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ




2010/07/18 (日) きょうは就職相談

きょう(18日)の金津祭り山車巡航表
昨日は意義ある一日であったような気がする。
午後一番に坂ノ下八幡神社の例祭に行った。例祭の始まる前に、区長や理事たちと議会の話になった。
「国会議員であれ、あんたら地方議員であれ別に何人いようと構わない。だけど、みんなボランテイアでやればいいんや。所詮員数集めの議会や」と言われた。
ボランテイアという言葉で職業としての議員を否定するのは先進過ぎるかもしれないが、一理ある。ただし、政務調査費はつけるべきだろう。
次の国会で国会議員定数削減あるいは議員年金廃止の法案が出てくる可能性がある。
議員定数削減になると例えば国会の場合は少数野党が消えていくし、地方議会の場合、地域のすみずみの声が反映されにくくなるので、むしろ市民みんながボランテイア議員となる道をさぐったほうがいいのではないかと僕は思うのである。
僕の敬愛するY先生は「例えば地区の区長がそのまま議員として任務をこなせばええんじゃないか、涙金で。」と言っている。地方議員は地域住民と一体という観点にたてば、うなずける理屈だ。
問題は「区長が市政の監視役という立場を維持できるかどうか」だ。
昨日、一気呵成に読み終えた吉村昭著「羆嵐」は実に読み応えのある小説だった。大正4年に北海道の入植村で起こった「日本獣害史上最大の惨事」を著者の思い入れを省いて冷静にたどったドキュメンタリーだ。頭の頂から足先までが2・7m、体重が383kgの巨大羆が6人の入植者を食い殺し住民を恐怖のどん底に陥れる。

巨大羆に襲われた妊婦が足を食べられ胸の肉を食べられながら、「子宮の胎児だけは食べないで!」と懇願するシーンで、僕は白土三平の劇画のあるシーンを思い出した。
飢餓状態にある農村で、妊婦が盗んだ米をむさぼり食っている。盗人を捕らえるために現れた官憲の眼の前で必死に食っている。
妊婦は「この米を欲しがっているのは私じゃない。私の腹のなかにいる胎児じゃ」と言いながら必死に食い続ける。忘れられないシーンだった。

最後に現れた荒くれ羆うち名人猟師・銀四郎が主人公といえば主人公だ。

生態系の維持と称して現代人は獣と人間の住み分けに必死だが、それは人間界の勝手な理屈で山間地の生息動物にとって、生息領域を拡張する人間達はインベーダーでしかないのだ。
写真の整理をしていたらなつかしいものが出てきた。
伊井・応蓮寺境内の太子塔前にてマイクを持つわたし。
10年程前のものか・・・若々しい。

2010/07/17 (土) もう週末か

昨晩の雷鳴には驚かされたが、一夜あけた本日の未明、東の空にはあかね雲が浮かんでいる。


もう梅雨明けしたのかもしれない。私はテレビを見ないのでそういう情報には全く疎いのだ。

一昨日開かれた坂井地区介護保険広域連合運営協議会でわかりにくいところがあったので、昨日は市庁舎へ行ってきた。話は千路に乱れて保険料滞納のことになった。
国保と比べて介護保険の滞納が目立つという。殆どの人が医者にかかる。だから3割負担で済む国保は自分自身にかかわることという意識が浸透している。
しかし介護保険については
「わしは介護などの世話にはならんなれん」というひとが多いそうだ。
確かに、ユニットケアと多床室のことなど会議保険には問題点が多い。けれども公・民間を問わず保険は自身が該当者になるかならないかではなく、みんなでお金を出し合って運用していこうよ、という互助会みたいなもんだ。

2010/07/16 (金) 昨日の一日

昨日の朝は、久しぶりの友人が来訪。四方山話に花が咲いた。友人は「本年度で仕事からさよならし、来年度からは好きなことだけをする余生に入る」と言う。
僕も好きな人とだけ付き合う人生に梶棒を切り替えなければならない、と思っている。

友人が帰ったあと、図書館へ。借りて読む本読む本が面白いのでこのところ図書館に行くのが楽しみになってきている。それにしても閲覧室が2階フロアーにある金津図書館はどうにも解せない(これについては6月議会で一般質問した)。
借りる本には幕末ものが多い。日本史の三大エポックは「壬申の乱」と「戦国」と「幕末」とよく言われるが、分けても「幕末もの」はついきのうのことのようで臨場感に浸ることができる。
人生論めいたものを読むのは、すっかり嫌になってしまった。

午後は、坂井地区介護保険広域連合運営協議会。気になることがふたつみっつあった。
今月の27日に「坂井地区介護保険広域連合議会」が予定されているので、それまでに、考えをまとめるつもり。

運営協議会終了後の帰路、H氏宅へ。畑時能ゆかりの鉄笛について聞く。
「水滸伝」「太平記」「八犬伝」はH氏の独壇場でした。

昔読んだ井沢元彦のエッセーに「古事記は虚実ないまぜ」と書いてあったが、人生そのものも虚実ないまぜだろう。本当の自分なんて、他人にも自分自身にもわからない。わからないから人生が、時折、退屈でなくなる。

今朝の3時過ぎに、事務所の戸をノックするひとがいる。「衆人寝静まる時刻に訪問するのはさては悪党か?」と、おそるおそる戸を開けたらそこには二人の警官がいた。
「玄関戸があいていたので・・」と言われた。
ぼくには戸とチャックを閉め忘れる癖がある。自戒した。

2010/07/15 (木) 昨日の一日

昨日の午後、井ノ部氏と県議一人市議二人の僕たちは、坂井市・あわら市の主なところを挨拶周りした。
車中、井ノ部氏から捲土重来の思いを聞いた。既に辻立ちを始めているという。国政選挙が政党選挙であるとはいえ、比例区とは別に、選挙区選挙は候補者本人の識見と人柄の浸透がものを言う。

55年体制の終焉、冷戦の崩壊で民主と自民は互いに溶融し合ってきている。民主に自民的なものが自民に民主的なものが入りこんできている。
55年体制における社会党の末裔としての社民党が、いわば原理主義政党として小さく存在しているのが今日的な政治状況といえるだろう。

鳩山前総理のピュアな思いとは裏腹に、その政治指導力の疑問符故に「普天間問題」は頓挫した。社民党が政権を離脱したのも当然だし喜納昌吉が落ちたのもある意味当然だ。

大手新聞やテレビの報道から僕たちは遠ざかったほうがいいだろう。腰の入った情報は月刊誌や単行本のなかで読み込もう。
リアルタイムという観点からは、インターネット情報がある。
ぼくはひとりの友人ブログを読んでいるだけだが、リアルタイムという観点からはとても新鮮。

2010/07/14 (水) やっと雨がやんだ

一昨日、昨日と民主党支持者or反民主党支持者を問わずのいろんなひとの来訪および電話があり、考えさせられた。

昨年の衆院選と比べて、民主vs自民の対立軸が不鮮明になり、それに党内抗争も絡んで選挙のための選挙というカタチになったことは有権者にとっても不幸だ。

僕の机の上に一枚のファックスが置いてある。
「・・・小生は今回初めて!?棄権しました!たった1票ですが、入れる責任に自信がない!?」と書いてある。

このファックスの送り手のようなひとが仮に投票所へ行った場合に入れたのは「みんなの党」のような具体的イメージの定着していない未知に対する期待票だったともいえる。

それにしても、共産党の小池晃や社民党の保坂展人のような理論家が落ちたのにはびっくりした。

2010/07/13 (火) 未明に雨音を聞きながら

昨日の午前中は、Hさんとともにポスター看板撤去作業に従事。正午に作業を終えたあと、埋文センターへ向かった。或るものの歴史的価値についての意見を伺うため。

午後は事務所の整理整頓にいそしんだ。
隣接のコンクリートブロック建物解体に伴い一時保管した諸々の仕分けをしていた。

思うにモノは周囲に無ければ無いほどいい。住居は小さくて十分。
「方丈記」を書いた鴨長明の方丈とは、およそ一間四方の移動式住居を指す。鴨長明はこの移動式住居で京都の郊外を渡り歩いた。

夜は布団のなかで中村半次郎=桐野利秋伝を読んでいた。
幕末に同じく人斬りと呼ばれながらも、親分・武市半平太に内心疎まれ非業な最後を遂げた岡田以蔵と比べて、親分・西郷隆盛との間に別格の信頼関係を結び、西南戦争で生涯を閉じた中村半次郎=桐野利秋は幸せな一生を送ったというべきか。

2010/07/12 (月) 無題

民主党に投票してくださったかたがた、大変申し訳ありませんでした。

2010/07/11 (日) 無題

暗きより 暗き道にぞいりぬべき
     遥かに照らせ   山の端の月

紫式部と同時代人だった和泉式部は、愛娘・小式部内侍の死を悼んでこの歌を詠んだ。
暗闇に道が全くわからなくなる状況のなかで、山の端に昇る月があたり一面を照らしてくれるのを期待するという構図だ。
けれども、今の僕は花鳥風月が大嫌い。
むしろ
紫陽花剪る なほ美しきものあらば 剪る  津田京子
がいい。
参院選最終日の昨日は、午前10時半に管総理が丸岡町の霞ヶ城公園に来た。


明けて、きょうは投票日。皆さん、こぞって投票に行きましょう。

2010/07/10 (土) 達川さんちのゴーヤさん

合間を縫って、以前にこの日記で紹介した達川さんの会社のゴーヤの生育状況を見てきた(写真はゴーヤ&達川社長)。


微糖珈琲をいただきながらいろんなことをお伺いしたが、この会社のある伊井工業団地も、造成後20年を経過したそうだ。
工業団地は寄せ集めの場ではあるけれども、年月を経るに従って絆が強くなっていく。今年は団地全体でのイベントを計画しているとのこと。
加えて、伊井地区には古墳や遺跡発掘現場があり、匠の技を持つ職人の集落としても有名であった。「近代工業を支える基礎は匠の技」という言葉は世間に流布している。

2010/07/09 (金) お千代さん

参院選も、本日を含めて二日間を残すのみとなった。本日も明日も大物政治家の来訪がいろいろ予定されている。

コンクリートブロック部分の解体作業が完了した。
夜に帰宅した妻が、「きれいさっぱりになったのう」と言う。確かに、僕たちはおおかた不用品に囲まれて日々を暮らしている。

今朝、清王地区をポステイング歩きしていた時、路傍に見つけた一輪の朝顔。


朝顔に つるべとられて もらい水
は加賀千代女の代表作だが、その加賀千代女の作品にこんなのがある。

起きて見つ 寝て見つ蚊帳の 広さかな

そして僕がすきなのはこの句に対する返歌というか返句というかつまり江戸川柳。
         
お千代さん 蚊帳が広けりゃ はいろうか

2010/07/08 (木) 帰宅してお湯割り焼酎を飲みながら

本日も忙しい一日だった。未明にチラシポステイング(勿論合法的なチラシです)を終えたあと、二区選対事務所前で朝立ち(注 朝立ちとは黄色いシャツを着て黄色い旗を持って行き交うドライバーに対してこうべを下げることです)。
朝立ちを終えたあとは、推薦状を頂いた団体に対するお礼まいり。

途中、坂井地区介護保険広域連合事務局に寄って、7月議会の焦点についての話を聞いた。

午後は黄色いシャツを着て、旧金津町内を歩いた。

途中に僕はグループを抜け出して「ラーバンの森動物病院」工事現場へ。完了検査だ。検査主管つまり官僚はエライので現場で待ち続けた。これを三顧の礼という。
政治主導だけでは、官僚の優秀な頭脳を生かしきれないのです。

2010/07/07 (水) 無題

あと四日間・・・・。

本日午後12時半。いねすで遊説する岡田外務大臣。


本日午後5時半。イーザ前で、若泉議員・糸川議員とともに壇上に立つ谷亮子。


五輪金メダル二個、世界選手権優勝回数数知れずの百戦錬磨の彼女のことだ。さぞかし頑丈な手だろうと思っていたが、握手をしたら、マシュマロのような柔らかい手だった。

ということで握手について考えた。
「岡田さんや谷さんと握手したんだぜ」と知り合いの女の子たちに言うと、「牧田さん、あたしと握手してえ」と言って私に握手を求めてくる。この場合、私との肉体的接触を求めているのではない(いや、もしかすると求めているのかもしれないが・・)。
手の間接接触は気を運んでくると思っているに違いない。握手が挨拶の形態として日常化している欧米人には考えられないことだろう。

2010/07/06 (火) 静かな夜明け

昨日は、ポステイングで歩きずくめだったので右足が棒のようになった。痛みが足から腰に越境入学してきてしまった。疲れからかというと、そうではない。一昨年暮れの大病によって固定化したマヒのせいだ。
「生老病死」は宿命で、今、元気なひとたちもいずれカラダに障害を感じるようになる。
潜在的障害者が顕在的障害者となっていくのだ。障害者問題は決して他人ごとではなく自らの問題として日ごろ考えていくことが必要だと思う。

進む某所の解体




2010/07/05 (月) 本日は広報編集委員会

昨日は、敢えて言うならば節目の日だった。

流れる読経をずっと聴いていたのだが、思ったことがある。
29才で出家したお釈迦さんは、キリスト教イスラム教と並ぶ仏教のファウンダーだが、その仏教が中国経由で百済から日本に入ってきたのは538年だ。経典は中国語なのでお経を聞いていても、何を言っているのかわからない。
わからないと時間の経過が意識されるだけになる。
「わからないからありがたさがある」という声をよく聞くが、意味がわかってこそ自分との距離感を測定することができる。
中国語のお経を日本語に翻訳すべきだ。わたしは昔からそう思っていた。

2010/07/04 (日) 雨の日曜日

今朝は坂ノ下八幡神社境内の清掃奉仕。


雨が激しく、体が冷えてしまった。帰宅し熱い風呂に入ってやっと気が凪いだ。

2010/07/03 (土) タイムイズマネー

きょうの早朝に名泉郷をまわっていると雨が降り出した。
繊細な神経の持ち主のわたしは、ちょっとした気候の変化で風邪をひく。
そこですぐに帰宅したのだが、途中知人宅に寄って、熱い珈琲を所望した。おいしい珈琲だったのでもう一杯所望した。ついでに菓子パンも所望した。



珈琲を飲んでいる時間もタイムイズマネーなので、ノートパソコンに向かっていた。

きょうはびっくりしたことがあった。
事務所のトイレに入っておしっこをしていたら、足の甲がムズムズガサガサする。
見下ろすと体長1mほどの蛇がわたしの右足のまわりで動いていた。赤い下をチロチロさせながらわたしを見つめる。

蛇はタオル掛けのところに逃げていった。

2010/07/02 (金) もう週末か

手話サークルのひとたちが帰ったのは昨日の午後9時半。
冷酒をコップ一杯飲んだあと寝床にもぐりこんだ。かなり疲れていたので、すぐに夢の世界に入り込むかと思ったがなかなか寝付かれない。
字毒の僕は仕方なく柳田邦男著・「人間の事実」を読んでいた。

この有名なノンフィクション作家は、息子さんの自死を契機として作風が変わったように僕は思うのだが・・・。

今でこそ公害防止技術世界一とか原発の安全管理世界一とか、そのあたりの技術力を世界から評価されており、鳩山政権時に政権下の重鎮たちは「これからの日本はモノを売るのではなくて技術をシステムを売っていかなければならないと言っていた。
しかし、例えば公害防止技術でいうと、1970年代に入ってから大きくクローズアップされてきた「水俣病」などで生の地獄を味わされた患者たちの犠牲の上に成り立った技術」だと言わざるを得ない。
そのことを綴った文章の白眉は石牟礼道子著・「苦海浄土」だろう。
そういえば舞台俳優・砂田明さんが一人芝居「天の魚」を三国町の友人のお寺で上演したのも70年代の終わりだったと思う。
技術屋の僕には、上演後に車座になって中央で石牟礼を語った砂田さんの苦渋の横顔をスケッチする文章力はないが、社会から抹殺されようとする世界の深淵にこそ言葉の本来的な意味での崇高美があるということだけはわかった。
管総理が来福したので、きょうの午後はJR福井駅前にいた。
糸川さんの司会で各国会議員及び井ノ部候補の演説が続いたが
最後に管さんが登場するとボルテージは一気に盛り上がった。
官さんは、自分の新婚旅行先が芦原温泉だったと言っていた(あわら市民として嬉しいですね)。
気がつけばまわりは人・人・人である。

いつも思うのだけれども
言葉には、しゃべり言葉と書き言葉がある。しゃべり言葉の媒体は空気の振動で書き言葉の媒体はインクの染みだ。
そして耳から入ってくるしゃべり言葉は情緒を喚起させるほうに軸足が傾き、目から入ってくる書き言葉は思考を喚起させるほうに軸足が傾く。

2010/07/01 (木) 念入りな歯磨き

中古で買った¥15,000のノートパソコンが結構役立っている。
僕がパソコンを利用するのは、①CADと②ホームページビルダーと③メモ帳の三つだけなので高性能パソコンは不要だ。気が向いたら北潟湖のほとりで、剣岳地区の山裾で、竹田川のほとりでキーボードを叩いている。大容量バッテリー付きなので、時間ぎれの心配もない。

手話サークルのみなさんへ
ほんじつの手話サークルのテーマは「芦原中生徒への手話指導」です。