2010年10月

 
2010/10/31 (日) 日曜日の朝に


あわら市からの要望事項があったので、昨夕は民主党県連へ。
要望については比較的はやく終わり市長・市職員は帰ったのだけれども、僕は考えあぐねることがあったので、残って糸川議員と相談をしていた。
途中、秘書が「飛行機が一便欠航となる予定」と、報告に来た。
陸路と違って空路は天候に左右されやすい。「飛行機で飛び回るひとたちは大変だなあ」と思った。


県連事務所を出た僕は福井市内の通夜会場へ。
二年前に亡くなった親父の戦友も又亡くなったのだ。
「金津の牧田です」と、喪主=御子息に挨拶した。
御子息が「生前の父は、貴方のお父さんのことをいつも話していました。今は寂しい気持ちで一杯です。遠くから来られて、どうもありがとうございます」と、言う。
太平洋戦争の生還者も今は80歳代後半となり、生存者は極めて少なくなってきている。


帰宅し、晩酌がてら日本シリーズ・「ロッテvs中日」をテレビ観戦していると、妻が帰ってきた。「なんでこんな面白くない番組みてるの?」とチャンネルをかえられてしまった。
仕方なく妻と向き合った。
話題は
①太平洋戦争のこと及び現代における国防論。
②「ボランテイア」という言葉の持つ偽善性について。


いつもなら、妻が思いをしゃべり僕がうなづくという構図なのだが、昨晩は珍しく思いが一致し、お互いにうなづき合った。
2010/10/30 (土) 秋


きょうはあわら市文化祭。
12時半から功労者表彰、引き続いて野村万作の狂言・「金津地蔵」が予定されている。
芸術の秋・文化の秋です。


「文化」という言葉から縁遠い日常を送っている僕には、コメントすべき言葉がなにもないが、「ものの始め考」という本には、商いについてこういうことが書かれている。


・商い(アキナイ)の語源は、秋(あき)の行い(オコナイ)。


豊原瑞穂の国であった日本列島は、この季節になると米の収穫を終え、年一回の換金収入が各家庭に入ってくる。各家庭では温泉に行ったり、ほしいものを買ったり、あるいは地域での村祭りに興じたりするわけだ。
村祭りはさしたるレジャーのなかった江戸期においては格好のナンパ場所だった。


祭りで娘たちが輪をつくって踊る。
踊りの語源は、「男(オトコ)捕り(トリ)」→「オトリ」→「オドリ」だそうだ。そう考えると日本舞踊のやわらかい手先の動きが、男たちを誘う妖艶な動きであることがわかる。


若い頃、そういう場に仲間数人で何度も行ったが、成果はゼロだった。仲間たちの人選を間違った為だろう。
2010/10/29 (金) 深夜に牛乳を飲みながら


昨晩は、ぞっとすることがあった。


あるひとの家へ車で行き、玄関先で相手と立ち話をしていた。突然、相手が「あ!牧田さんの車が動いているわ!」と叫んだ。振り返ると路上駐車中の私の車がゆるゆると前進中だ。ふたりはとっさに車へ駆け寄った。
私が必死にマイカーの背後にしがみつき、連れ合いが運転席に乗り込みブレーキを踏んで車が止まった時、前方の路上乗用車との距離は数十センチだった。
ことなきを得たが、背筋に冷や汗が流れた。


エンジンを切っておかなかった私の不注意が起こした冷や汗だ。
日ごろ真面目につつましく生活している私だから御加護があったのだろうと思い、神に感謝した。
しかしもっと感謝しなければならないのは、四方山話をしていた相手だ。もしも玄関内で話をしていたら乗用車に追突していた。玄関先にいてかつ相手が目線を私の車の方向へ転じたからこそ事故を防ぐことができた。
私の感謝のしるしは、相手を一流レストランへ招待することでしかない。
なお、個人情報保護法案により、相手の名前は秘密です。


昨日・一昨日の二日間、私は東京・中野に滞在。
佼成会の議員懇話会ということで、全国から三百数十人の県議・市議が集まった。
圧巻は森政弘東工大名誉教授(森氏はロボット研究の創始者として有名)による講演・「物と仏教」。挨拶とか講演が胸に染み込んでくるのは、「自分の言葉で語ること」と「ユーモアのあること」だが、その意味で久しぶりの名講演だった。


「色即是空」という人口に膾炙した言葉がある。私はこれを「カタチのあるものはいづれ崩壊し無となる」と理解していたが、森氏によれば「即の意味は同時共存」とのこと。


たとえば「走る」と「止まる」は対立概念だ。
自動車で言うならば、アクセルを踏んで車が走り、ブレーキを踏んで車が止まる。しかし車の走行はアクセルとブレーキの両方使用が不可欠。つまり「走る」という統一的概念そのものは「止まる」という対立概念を内包しているというわけだ。
このような説明を皮切りにした二時間の講演は決して飽きないものだった。


夜は、十人くらいのメンバーで安酒場へ。
日ごろ妻から「晩酌の焼酎はコップ一杯」との厳命を受けている私だが、まさか福井から東京まで監視の目が行くはずがない。ビールを飲み、焼酎を飲み、ハイボールを飲んだ。


2010/10/27 (水) 深夜の冷え込みのなかで


北海道では雪が降ったそうで、日本列島が急に寒くなってきた。もう冬みたいだ。
昨夜の9時に帰宅した僕は、かみさんから冬のコートを出してもらった。


繊細な性格であるにもかかわらず服装には無頓着の僕だが、コートに関してだけはファッショナブル。これを一点豪華主義と言う。


昔、パリで買ったダーバン製のものを愛用し続けている。
長年愛用しているのでしわしわよれよれだが、だからこそファッショナブルだと僕は思う。


時々「刑事コロンボみたいね」と言われるのが嬉しい。少なくとも不愉快ではない。

2010/10/26 (火) 地方議員年金廃止へ

本日の福井新聞9面に「地方議員年金廃止へ」が、出ている。
平成の大合併で議員数が大幅に減り2021年に積み立て金が底をつくことに起因している。12年間の在職で受給されてきたこの制度が廃止となるわけだ。


12年以上の在職議員は、あわら市議会に7人(含私)。記事には「在職12年以上で受給資格のある現職議員は現行水準の受給を継続できるほか、希望者は掛け金総額の64%を一時金として受け取ることもできる。」とある。
なお、記事にも書いてあるが、国会議員の年金制度は2006年に廃止されている。


議員報酬についてはどうだろうか。
昔から言われていることだが、市町村議会議員、県会議員、国会議員の報酬は倍々の比率であがっていく。
そして、特に市町村議会議員の報酬が自治体によって差がある。
確かに都市部で報酬額が大きいのは当然だ。しかし、それも程度問題でその意味では川村たかし名古屋市長が議会と戦っているのもうなづける。


私のような最下位当選者がごちゃごちゃ言うべきではないのかもしれないけれどね(笑)。


2010/10/25 (月) 無題


昨日の昼に友人・S君が来訪。四方山話をしているところに某共産党市議が紳士を連れて入ってきた。僕よりも上品な感じのする紳士だが、「昨日は野宿をした」というワケアリのひとだった。
某共産党市議は、僕と共通の友人に携帯電話をした。友人はすぐに僕の事務所に来て、「数日は自分のところに泊まればいい」と言ってくれ、かつその後の善後策も講じてくれた。プライバシーの問題があるので詳述はしないが、しゃばには愛のひとがいる。


夕刻に井ノ部航太氏が来訪。夜の政治報告集会の進め方についての協議をした。集会場所へ向かう頃には雨模様。


夜7時に集会が始まった。
僕は冒頭の挨拶をしたが、聾唖者ふたりが来ていたので挨拶のあとは手話通訳に専念。二時間近く立ちっぱなしというのは疲れる。しかし、ネバーギブアップで頑張った。


僕は、通常の会話や講演の場合には手話通訳をこなす自信がある。しかし昨日の集会のように政治用語など特殊な用語が頻々と飛び出す会では、正直言ってうろたえる場面も多かった。手話キャリアはながいけれども、キャリアの密度が不十分というところだろう。
若いひとたちが勉強して国認定の資格を取り、プロの通訳として頑張ってほしい。

きょうの午後に金津中学校へ行った。耐震改修の進捗状況をこの目で見たかったからだ。来年3月までの完成を目指して南側校舎と体育館の改修が進んでいる。
現在の校長は、僕が金津小PTA会長だった時のPTA担当教諭だったので昔の話に花が咲いたが、本年度限りで退職とのこと。


公務員一般に言えることなのだろうが、教師も時間どおりにきちっきちっと動く稼業なので、退職後に新しいリズムをどういうふうにしてつくることができるのか心配だ、と言う。
僕のような自由業とは、かけ離れた世界みたいだ。

2010/10/24 (日) 日曜日の未明に

昨日は自治会館で民主党・細野豪志衆議院議員の講演があった。
(山本モナとの間で噂のあった人ですが、そういうことはどうでもいい)


興味を持って聞いたのは、「地方自治体議会がこれから変わる」ということ。
地方自治法でうたわれている「人口によるMAX議員定数」が撤廃され、各々の自治体議会の裁量になっていくということ。現在の市長vs議会という二元大統領制が国会の内閣制に近くなっていく、つまり市長サポーター側と市長監視側とに制度として分かれていくだろうとのこと。
議員がそれぞれの専門分野での腕の優劣で選ばれるあるいは落とされるようになるであろうとのこと。


これらを聞きながら僕は「もう、地区推薦選挙の時代ではないなあ」と思った。
地区の利害をになうのは区長であり、区費から報酬をもらっている。
しかし、市議は市つまり市民全体から報酬をもらっている。ならば、地元地区への利益誘導は市議の本意ではないはずだ。


昨年の市議選で地区推薦のなかった議員はたしかふたり。
そのうちのひとりは僕だが、僕の場合は人柄の悪さ・不誠実さによるものだ。
それはともかく
地区推薦はなくなったほうがいろんな面でいい、と思う。


まあそういうことですから
やる気のある皆さん、次回の市議選(二年半後)にはどしどし立候補してください。



2010/10/23 (土) 無題


「化学物質過敏症」と「繊維筋痛症」は症状が酷似しているとよく言われる。
昨日の午前中は「化学物質過敏症」の人と会い、午後は「繊維筋痛症」の人と会っていろいろ話を聞いた。


どちらも、難病に属し、日常生活を送る上での困難さは一部の人にしか知られていない。
一介のロートル地方議員にすぎない私がしなければならないことがあるとするならば、こういう人たちの存在を知ってもらうことに努力することだと思う。
その積み重ねが、最終的に福祉行政のグレードアップにつながっていく。


僕の唯一の趣味はプロ野球テレビ観戦。昨晩は巨人vs中日を観た。今年最初で最後のテレビ観戦だ。
中日0対2で迎えた8回裏の中日攻撃時に野本が同点2ランを放って巨人に追いついた。その時の巨人監督・原のがっくりした表情をみて僕は喜んだ。


僕は原の単純な明るさが決して嫌いではない。阪神タイガースの監督をしていたら、諸手をあげて彼を応援するだろう。ただし彼には弱点がある。それは、ハンサムだということ(今ふうにはイケメンか)。
僕はハンサム顔を信用しないことにしている。勝負師の顔がハンサムだとそれだけで画面の緊張感がうすらいでしまう。
監督の器(うつわ)としては、中日・落合監督のほうがずっと上だろう。

2010/10/22 (金) 「生きる」


昨日の朝は、金津小学校体育館で手話の講習会。



四年生全員を相手にしてのものだったが、ここ10年くらいの間にこの種のものが、随分増えてきたような気がする。

昨晩、手話サークルの会員が皆帰ったあと、僕はビデオ・「生きる」(黒澤明監督)を観た。
癌で自分の余命があと数ヶ月であることを知った市役所勤めの主人公・渡邊勘治に扮する志村喬が、子供のための公園づくりに奔走し実現させ死んでいく話だ。


市役所縦割り行政の愚かさがあぶり出されており、僕はこの映画を「市職員必見の映画」だと思った。


とても印象に残ったのは
①志村がブランコにのって「ゴンドラの唄」を静かに消え入るように歌うシーン。
②ナレーターの「渡邊は自分の近い死を知ってから、初めて生きた」という言葉。


勿論、ひとは皆自分の命が有限であることを知っている。しかしそれは漠然と知っているにすぎず、結果として日々は冗長だ。
しかし、自分の死の刻限を知った時、ひとの人生は変わる。


三年前、死に瀕し、幽体離脱を経験した僕にはこのことがよくわかる。

昨夕、学生時代の同棲相手・仁多見氏から電話が入り、近況を語り合った。
男であれ女であれ、昔の友人の声を聞くのはなつかしい。
お知らせ>「井ノ部航太・報告会」

2010/10/21 (木) 昨日の一日


昨日の午前中は、ネクストライフの打ち合わせに追われた。


午後は、金沢・内灘港へ。
この町は4年ほど前にあわら市議会が中学校問題で揺れに揺れていた頃、耐震改修のモデル校のひとつとして町内小学校を教育厚生委員会メンバーで視察に訪れたことがある。しかし、昨日の訪問は建築技術の専門家としてだった。



私が訪れた某鉄骨工場は小松製作所の四つの事務所・工場に隣接していた。小松製作所は数年前に小松からこちらに引っ越したのだが、港に置くことで海外諸国との交易を合理化させるねらいがあったものと思われる。


内灘からの帰途、「金津創作の森」に寄った。
森で例年開かれているアートフェスタ及びクラフトマーケットについて説明してもらった。
こういう施設に来ると、しゃばと隔絶した桃源郷に居るような気分だ。


夕刻に事務所へ戻ると、三人のひとが交錯的に来訪。夕方はいつもそのようになる。


夜は手話サークル会員が集まった。金津小学校・手話講座予定の前日なので、通訳練習だ。僕は手話をやり始めてから30数年になる。決して熱心ではなかったが、それでも継続はしてきた。バカ議員の私でも継続だけはできる。
そして、「継続は力なり」と思うのだ。


きょうの夕刻、僕は友人・達川氏の会社のある伊井工業団地へ行った。




帰途、伊井地区集落を車で走っていた時、突然視界が開け秋桜(コスモス)畑が目に飛び込んできた。
僕は車を降り、秋桜畑をひとり歩いた。
熟年女性が近づいてきた。歳の頃は40前後か。声音に色気はないが、容姿はマアマアだ。「写真を撮らせてください」と言う。
いろんな場所でこういう注文を受ける僕はなりゆきにまかせた。
2010/10/20 (水) 昨日思ったこと


昨日は健康長寿祭(金津地区)が開かれた。





元気な高齢者たちを見ていると、「あのひとたちに比べればまだ若い僕が、手や足に不自由を感じるのは情けないことだ」と思った。しかし、これは二年前の脳内出血による後遺症なのだから、情けないと思う必要もないのではないか。
「カラダがなんだ。ココロが自由であることのほうがずっと大切だ」と思うのである。


要は、老若男女には元気な人や元気ではない人、障害を持っている人などさまざまな人が居て、それぞれを特殊視せずに普通だと思えるような社会をつくること。
これも街づくりの大きなファクターだ。


ちょっと気になったこと。
・高齢者たちの座る席には机が置かれていなかった。それで肘をつくこともできず、足が疲れてしまったという声が少なからずあったとのこと。
・高齢者達には耳の遠いひとたちが多い。VIP達の挨拶言葉が聞こえなかったという声が少なからずあったとのこと。


夕刻の来訪者から、今の自分のありようについて、ずいぶんと叱責された。
人格者だと自分で思っているわりには、ひとから誉められることは滅多になく叱責されてばかりだが、実はこれが一番大切だ。

叱責されることによって、自己研鑽への道が開かれる。

2010/10/19 (火) 狂言・「金津地蔵」


10月30日に上演予定の狂言・「金津地蔵」のチケットが既に完売されているみたいで、僕のところにも「券があまっていないか?」という問い合わせが複数件あった。
狂言・能・歌舞伎といった伝統芸能を地方で鑑賞する機会が殆どないので、注目されているのだろう。


何年か前、代々江戸っ子という人と芸能の話をしていた時、相手は「自分が子供の頃、いつもおばあちゃんに歌舞伎座へ連れていってもらった。それがすごい楽しみだった」と言った。


ひるがえって、僕が若い頃に友人数人と一緒に金沢の能楽堂で能を観た時、僕は一時間の上演時間のうち55分間を睡眠に費やしていた。


伝統芸能というものは、古来、江戸・京・大阪といった大都市の高等遊民達によって支えられてきたもの。社会の変遷で、文化・芸能一般は大衆化されたけれども、伝統芸能だけは大都市を出ないだろう。いつまでも、国家の庇護の下にあり続けると思う。


「歌舞伎は日本が世界に誇ることのできる芸能」とよく言われるが、田舎者で歌舞伎鑑賞の経験を持つ者の比率は非常に小さいはずだ。


ともあれ、チケットを入手された方は、稀有の機会を十分に満喫してください。
2010/10/18 (月) 新しい週の始まり


朝日新聞が発行部数800万部を割り込みそうだとのこと。
朝日に限らず、4大誌はもっともっと減っていけばいいと思うのだが、その理由はマスコミが民意を代弁していると思い、あるいは自分たちが選良だと思い上がっていること。


昔、あるひとから頼まれて大手新聞福井支局にそのひとの書いた原稿を持っていったことがある。
支局長はその原稿を読みつつ「私たちのボンセンサスに合うかどうかが問題なのです」と言うので「ボンセンサスってなんですか?」と問うたところ、「知らないのですか?良識を意味するフランス語です」という答えが返ってきた。


フランスに行ったこともない日本人の僕にその意味がわかるわけもないが、彼らにとってはわかる層だけが民意の配達者としての資格を持つという意識がどうやら働いていると、僕はココロのなかで唾を吐いたものだ。


「瓢鰻亭通信」を書いていた前田俊彦さんがどぶろくつくりの講義のために福井へ来た時、僕は車で氏の送り迎えをしたが、氏のひょうひょうとした人柄に僕は惚れた。
マイナーな雑誌の編集者のほうが、大手のそれより魅力があると思うが、考えてみればそれは構造的に明らかだ。


JR牛ノ谷駅(無人駅)へ行った。




ホームに手摺が備えられ安全性がこうじられている。
2010/10/17 (日) きょうは日曜日


未明に自動販売機へ行き、五百円玉を入れたらおつりが六百円出てきた。
販売機故障と思いメーカーへ電話しようと思ったのだが、販売機のどこに電話番号が書かれているのかよくわからない。
「待てよ。故障ではなくて、先客がつり銭を引き出し忘れたのではないのか。それならば、つり銭をそのまま置いておくべきだ。
しかし待てよ。
忘れた客が戻ってくる前に、他のひとが来てとって持っていってしまうかもしれない。どうしたらいいのだろう」と考えあぐんでいるうちに夜が明けてきてしまった。
 2010/10/16 (土) 花の金曜日


カラオケは何年ぶりだっただろう。
昨晩は、森田の居酒屋で飲み、春江のカラオケで汗を流しながら唄った。



帰宅はごぜんさま。
たまにはこういう晩があってもいい。


明けてきょうの午前中は「ふるさと語ろう会」による金津地区史跡めぐり。
コースは
①溝江氏館跡
②金津奉行所跡
③金津地蔵
④坂ノ下八幡神社界隈
⑤多賀谷左近墓所
⑥熊坂大仏
⑦三体仏



しゃばには闊達なしゃべり手がいるもんだ。
 2010/10/15 (金) 新聞から


きょうの福井新聞30面に「工場解体市道に壁倒壊・女子高生死亡」の記事が出ている。


何年前か前の強風の朝、数人の来客(その中にはVIPもいた)と話をしているさなか、突然ドスーンという音がした。外へでてみると事務所敷地内のブロック塀(H2.5m)が倒れていた。
倒れた塀で隣家の乗用車は破損した。
心臓が止まる程のショックだったが、それは乗用車のなかにひとがいるかどうかを、すぐに見極めることができなかったからだ。


ひとが乗っていなかったのは不幸中の幸いで、ひとにもしものことがあったとした時を想像するだに恐ろしい。
昨晩の手話サークルは活気があった。
来週、子供たちに手話を教えるために金津小学校へ行くことが決まったので、各自がはりきっているからだ。
30年前、僕が手話を勉強し始めた頃は、こんな機会など全然無かった。
隔世の感がする。

 2010/10/14 (木) 晩酌をすませたあと


検察審査会が小沢一郎強制起訴の方針を出したことに対して、マスコミはその事実だけを大きくとりあげ、内部矛盾については決してとりあげないようにしている。
はやい話、前田某がかかわったさまざまの事例のなかで、小沢一郎の事例に対する関わりだけは出していない。
確かに今までの加熱報道を、自己否定するようになるのでしないのだろうが、小沢を敵視していた評論家たちまでもが「小沢、明らかに無罪」を言い始めたようで、となると小沢事件の結果がどう出るにせよ、数年先には国民の報道機関に対する目が大きく変わる。数年先に僕がどこでどうしているのかは全くわからないが、このことを見届けたいとだけは思う。



本日の午後2時から、坂井地区介護保険連合運営協議会が開かれた。
来月開かれる坂井地区介護保険連合議会上程議案に関する質疑応答のあと、テーマは世帯分離のこととなった。
ケアマネ代表は、「世帯分離を認める基準が、構成市であるあわら市と坂井市でちがうんですか?」と問うた。
世帯分離は、同一住宅に住んでいるとしても、水道光熱費、食費などが別扱いになっていれば分離として認められるのが原則だと、広域連合側は答えたが、「両市あるいは担当者によって、認定に微妙な違いがあると聞いている」と、ケアマネ代表は再度問うていた。
僕も市民から同じような意見を聞いたことがあるので、耳をそばだてて聞いていた。



晩酌をすませた僕は、ダーバンのコートに身をつつんで夜の散歩に出かけた。
街路樹を歩くと、枯葉が肩に舞い落ちてくる。
僕はずっと昔に、ハイジと一緒に歩いたセーヌ河畔を思い出した。
あの頃はやっていたシャンソンはシャルル・アズナブールの「枯葉」だった。


当時、僕はオーストリアにあるザルツブルグ音楽院の学生としてクラシック留学をしていた。ピアノはモーツアルトを専攻し、日々、師・ハインリッヒ教授の厳しい指導を受けていた。
ザルツブルグ音楽院は全寮制だったので、我々学生は私生活までもが厳しい監督下におかれていた。


ある夜、僕は、門限破りをして、深夜のパブに行きワインをひとり飲んでいた。そこには僕をじっと見つめるアルプスの少女がいた。


恋に言葉はいらない。ふたりはたちまち恋に落ちた。ふたりは人目を忍んで逢った。
秋の夜のウイーンはいつも霧が立ち込めているので、夜霧の忍び逢いだった。


数ヶ月に一度は大陸横断鉄道に乗って、パリへ出た。
凱旋門から眺める夜景は、芸術の都・パリを感じさせた。シャンゼリゼのカフェで通りを歩くカップルを眺めるのは楽しかった。そのひとたちのなかに、もしかしたらアラン・ドロンやジャンポール・ベルモントやツイッギーやカトリーヌ・ドヌーブがいたのかも知れない。


安宿に戻る前、ふたりはセーヌ河畔を歩いた。
ヨーロッパの美少女と東洋の若者が腕を組んで歩く姿は、当時としては珍しかっただろう。


プライバシー保護の問題があるので詳しくは書かないが、ハイジとの仲は二年四ケ月で終わった。
失意の思いで故郷に帰った僕は、ある夜、福井市の繁華街「片町」の酒場をはしごで歩いていた。雪の降る夜だった。

モーツアルトの「変ロ単調二番ソナタ」にモーツアルトらしからぬ凡庸を感じていた僕にとって「片町」の酒はまずい酒だった。


メトロ会館横の酒場を不愉快な思いで出た僕の耳に有線放送が流れてきた。
それは演歌だった。


日本を離れていた僕にその曲名はわからなかったが、その曲がかなでる物悲しさは、西洋クラシック音楽ではあらわすことのできないものだった。
大通りの赤電話を使って、スナック「調べ」のママさんに電話をかけ、その曲名が「港町ブルース」であることを知った。
昭和56年1月27日に、僕は森進一フアンとなった。
 2010/10/13 (水) 秋の夜

昨日の午後は、坂井地区介護保険広域連合議会の視察研修だった。
視察先は
①金津雲雀ケ丘寮「介護老人福祉施設」
②グループホームまるおか
③プライムハイツ春江

グループホームまるおかにて


来月2日には、介護保険連合議会が開かれる。
その時、一般質問をするつもりだが、昨日の各施設で受けた説明が資料として十分役立つと思った。


夜は、議会親睦会。
実は、他に郷土史がらみの会議予定が入っていたのだが、たまの親睦会なので他をキャンセルして参加。
親睦会は6時に始まったのだが、秋も深まった10月の夜はひんやりとしている。


旅に明け暮れた歌人・若山牧水はこう歌った。

しらたまの 歯にしみとおる 秋の夜の 

           酒はしずかに のむべかりけり


秋の夜にひとりしずかに飲む酒は、人生の哀歓を深く感じさせる。

今朝早く、僕は友人・達川氏が経営する会社の駐車場に居た。



今年の夏、ゴーヤスクリーン製作に挑戦しながらもなかなかうまくいかなかった達川社長だが、今度は茄子をつくっているとのこと。
 2010/10/12 (火) 熱々珈琲を飲みながら


この半年間は、ひとの死に関するいろんな本を読み、僧侶達から話を聞くという日々の繰り返しだった。


偶々昨晩はビデオで「あ々決戦航空隊」を見ていたのだが、この映画は太平洋戦争末期に南太平洋の島々が米軍によって陥落させられ戦局が絶望的になった時、「神風特攻隊」を発案した大西中将が主人公となった映画だ。


米内光政海軍相などが和平による戦争終結を模索したが、ヒトラーを倒したソ連が突如対日参戦を布告し、ソ連とアメリカによる戦後支配競争という様相を呈してきた時、日本は国体護持の道を裏で模索しつつポツダム宣言受諾無条件降伏ということになっていった。


8月15日を決して認めず、徹底抗戦一億玉砕を叫びながら彼は8月16日に割腹自殺をとげる。
特攻隊を指揮して多くの若者を死に追いやった彼は確かにファナテイックではあるけれども、心情的にはわかる部分もある。徹底抗戦だけが若者達の死に意味を与える行為なのだという一点で。
大西は米内を太平洋戦争に関しての和平派というよりも、中国戦線における拡大派として敵視していた節が伺える。


つまり戦争を指揮する側も、上層部からの戦争継続命令を不条理なものと認識しつつ、軍人という立場で職務に忠実だったということになるのではないだろうか。


ポツダム宣言を受諾したあとの東京裁判でA級戦犯などが裁かれることになるが、戦勝国による裁判は、米軍によるヒロシマ・ナガサキ原爆投下、全国81ヶ所への大空襲などで多数の民間人を殺した罪を不問のままとしている。


戦争は、従軍兵士や銃後の兵士たちを狂気の世界に引き入れる。
僕がふた夏をアルバイトで過ごした淡路島のある場所で知り合ったひとはいかにも好々爺という感じのおじさんだった。そのおじさんと夕食後に酒を飲む時必ず出てくるセリフは次のようなものだった。
「わしが中国戦線に従事していた時、奪った青龍刀でチャンコロの試し切りをさんざんやったものさ」だった。

2010/10/11 (月) ちょっと思ったこと


本日の福井新聞・「越山若水」は、大阪地検特捜部の証拠改ざん隠蔽事件について、元検事・郷原信朗の
「組織の閉鎖性、硬直性」を挙げる。国民の目が届かない一捜査機関が無条件で正義とされてきたのは異常」という意見を共感気味に載せている。
そして
「メデイアも同罪だ」という続けての意見に対して、「耳どころか胸も痛い」と書いている。


この記事の筆者は何を言おうとしているのだろうか。
自己批判ならば、痛い痛いと言う前に、かっては形容されていた「社会の木鐸」という本来の使命に戻る努力をするのが先だ。
勿論、地方新聞の場合、全国区の記事は共同通信社の配信によるところが大きいのだから、是正が簡単なものではないだろう。


であるならばなんにも載せないことだ。
地方新聞は地方新聞らしく、県内で起こった事件だけを載せて解説しているほうが、「瓦版」という雰囲気が出て、いいと思う。


人間嫌いになるのと反比例して、メダカが好きになってきた。



今朝、長靴を履いてメダカを捕りに行った。
メダカは基本的に群れをなして泳いでいる。得意げに先頭を走るメダカ、ついていくだけのメダカ、まれに群れからはずれたメダカとエトセトラだ。
どこかの議会に似ているなあ、と思った。
2010/10/10 (日) 昨日と今日

昨日の午前中は、民主党の地域戦略局へ。
午後は、CADに専念。
夕刻に女性客が来訪。最近の事務所来訪者は男性ばかりで、女性は大変珍しい。
「おごるぜ」と言って、彼女を喫茶店へ連れ出した。
私はブレンドコーヒーを注文したのだが、彼女が予想に反してケーキ付珈琲を注文したので、Σ¥1050-となり、千円札では足りない。「足りない分を出します」と言われて恥をかかずにすんだのだが、こういうケースでもおごったことになるのだろう。


事務所に戻ると、某氏よりながい電話が入ってきた。
「この数十年、特に高度経済成長以後、まちの暮らしや風景がすっかり変わってしまった。我々が子供の頃、周囲にあった風景つまり原風景を残しておかなければならない」とアジられた。


明けて今朝は、7時半から細呂木地区消防防災訓練視察視察。



担当されたみなさん、悪天候にも関わらずご苦労さんでございました。


閉会式が終わる直前に中座した私は某会場へ。
そこで私は、マイクを持って9月議会の報告をした。つまり、マイク・マキとなったのであります。一般質問のことや上下水道料値上げのこと給食センター方式のことなどをしゃべりました。


親父の三回忌行ったきょうは、私が幽体離脱をした日でもある。あれから三年の間にいろんなことが生起した。
私は「夢のような日常」を送っている。


2010/10/08 (金) 昨日の一日

昨日の早朝は、伊井地区の知人宅にいた。応蓮寺にある鉄笛のことで、これをあわら市民に少しでも知ってもらうための方法について相談に行ったのだが、進め方にいろんな選択肢のあることがわかった。
いつも思うことだが、自治体の魅力のひとつに、「そこにどのような歴史的文化財があるかを市民に向かってアピールしているかどうか」がある。人間の一生なんて「永遠のなかの一瞬」にすぎないけれども、人間の歴史は層をなして連なっている。


熱々珈琲を飲みながら、知人と歴史談義に興じているところに、民主党某サポーターから携帯コールが入ったので、中座してそのひとの自宅へ向かった。
そのひととの話は、来年の統一地方選へむかっての生臭いものとなったので、内容は割愛。


話を終えて事務所に戻ると、入れ替わり立ち代り四人のひとが来訪。
越前瓦の話をしに来たひと、絶滅寸前の山野草を保護する話をしに来たひと、古い蔵移設の話をしに来たひとエトセトラで昼飯を食う時間もないままに時がすぎた。


午後はCADに専念し、夕刻にビデオ・「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)を観る。四日前に「球形の荒野」(松本清張原作)を観て思ったことでもあるが、敗戦の数年あとに生まれた僕たち団塊の世代は、GHQつまり戦勝国アメリカによって方向づけされた教育で育っている。このことの功罪を一度じっくり考えたいと思った。


夜は手話サークル。会員たちは新郷小学校で手話を教えてきたそうで、お土産のバームクーヘンを持ってきた。最近、小中のこどもたちに手話を教える機会が増えているそうだ。それは勿論悪いことではないが、一方で「なにか変やな」とも思うことがある。
それを書くと長くなるので割愛。


親父の三回忌が近づいている。
親父は、俺が脳内出血発作で医大病院に運ばれ絶対安静を言い渡されている時に亡くなった。俺は葬式に出ることもできなかった。
親父はある意味乱暴者だったらしいが、俺と妹つまり子供に対しては寡黙で笑みを絶やさない典型的な庶民だった。
俺は親父の写真を財布に入れ、時折眺めている。
変な言い方だが
本来は俺のほうが先に死ぬはずだった。
それなのに今生きているのは、不思議だ。申し訳ないという気分にもなる。

2010/10/08 (金) 昨日の一日

昨日の早朝は、伊井地区の知人宅にいた。応蓮寺にある鉄笛のことで、これをあわら市民に少しでも知ってもらうための方法について相談に行ったのだが、進め方にいろんな選択肢のあることがわかった。
いつも思うことだが、自治体の魅力のひとつに、「そこにどのような歴史的文化財があるかを市民に向かってアピールしているかどうか」がある。人間の一生なんて「永遠のなかの一瞬」にすぎないけれども、人間の歴史は層をなして連なっている。


熱々珈琲を飲みながら、知人と歴史談義に興じているところに、民主党某サポーターから携帯コールが入ったので、中座してそのひとの自宅へ向かった。
そのひととの話は、来年の統一地方選へむかっての生臭いものとなったので、内容は割愛。


話を終えて事務所に戻ると、入れ替わり立ち代り四人のひとが来訪。
越前瓦の話をしに来たひと、絶滅寸前の山野草を保護する話をしに来たひと、古い蔵移設の話をしに来たひとエトセトラで昼飯を食う時間もないままに時がすぎた。


午後はCADに専念し、夕刻にビデオ・「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)を観る。四日前に「球形の荒野」(松本清張原作)を観て思ったことでもあるが、敗戦の数年あとに生まれた僕たち団塊の世代は、GHQつまり戦勝国アメリカによって方向づけされた教育で育っている。このことの功罪を一度じっくり考えたいと思った。


夜は手話サークル。会員たちは新郷小学校で手話を教えてきたそうで、お土産のバームクーヘンを持ってきた。最近、小中のこどもたちに手話を教える機会が増えているそうだ。それは勿論悪いことではないが、一方で「なにか変やな」とも思うことがある。
それを書くと長くなるので割愛。


親父の三回忌が近づいている。
親父は、俺が脳内出血発作で医大病院に運ばれ絶対安静を言い渡されている時に亡くなった。俺は葬式に出ることもできなかった。
親父はある意味乱暴者だったらしいが、俺と妹つまり子供に対しては寡黙で笑みを絶やさない典型的な庶民だった。
俺は親父の写真を財布に入れ、時折眺めている。
変な言い方だが
本来は俺のほうが先に死ぬはずだった。
それなのに今生きているのは、不思議だ。申し訳ないという気分にもなる。

2010/10/06 (水) 

昨日の午前中は広報編集委員会。
午前中に終わって事務所に戻った。同僚議員がふたり来訪。そのうちにひとりが、「おごる}と言ってラーメンを出前注文してくれた。
「ただより高いものはない」というけれども、ひとの好意はありがたく頂戴するのが、人間関係の潤滑油になると思う。


ふたりが帰ってからCADに専念。疲れを感じた夕刻にDVD「楢山節考」(今村昌平監督)を見る。
貧しい寒村の姥捨て山の話。
辰平(緒形拳)は70歳になった母親おりん(坂本スミ子)を背負って山へ捨てに行く。
おりんを背負い籠から下ろし、ふたりは抱き合う。その別れのシーンがとてもよかった。
生きることの背後には常に死があると意識することが大切だ。


夜、ふたりの友人が、缶ビールや焼酎や秋刀魚フライを携えて来訪。
2010/10/05 (火) 缶珈琲を飲みながら

きのうもどこかで高校生が少年によって殺されていた。
少年犯罪の凶悪化に対しては、社会構造や親子関係の変化に原因があると識者は分析・解説するし事実そうなのだろう。


ただ、僕はそういうことよりも不意に子をなくしてしまった御両親の気持ち一点だけが胸いっぱいに拡がってくるようになってしまった。半年前からそのような受け止め方をするようになってしまった。
一般的な受け止め方として、誰でもが「御両親の心中を察するに・・・」と思う。
けれども、当事者の思いと周囲の思いとの間には質的落差がある。経験した当事者でなければわからない思いを他者に言葉で伝えることは至難だ。
というか、わかってほしいとも思わないのが実情だろうと思う。
2010/10/04 (月) 食パンを食べながら

昨日は第7回あわら市体育祭ということで、金津トリムパークにいた。


トリムパークの会場で、同業者と立ち話をしていた。
「牧田さん、もう、匠が生きていける時代ではないなあ。そういう時代は終わった。組立キッズでものづくりが終わる時代がすぐそこまできている。悲しいことや」と言われた。


しばらくして急用ができたので、事務所に戻った。
ついでに、¥98エンのカップラーメンを食べていたら、某氏が来訪。某氏との話は長時間に渡ったが、煎じ詰めれば、政治と歴史の話だった。


国政を担う層がしっかりした歴史観、もっというならば歴史哲学をもっていなければ国がばたばたになってしまうのは当然なんだけれども、地方政治でもある程度そういうことがいえるのではないか、と僕は思った。


その意味では僕が議員をやっている資格など本来はないのかもしれない。


きょうの未明、僕はDVDで小林正樹監督の映画・「切腹」を観ていた。
福島家お抱えから素浪人となった仲代達矢(配役名は忘れた)が、娘と孫と娘の亭主を死に追いやった井伊家に対して復讐をする映画だ。
「仲代達矢の裂帛の気合はすごいなあ」と思いながら演技にみとれているうち、僕は学生時代を思い出した。


僕が通っていた大学には「凌美会」という名の絵を描くサークルがあった。
凌美会の会長・小川さんは文学好きなつまり変り者だった。ある日僕の下宿のドアが開けられ、彼が入ってきた。
彼は「今、俺の好きな女のところへ行ってきた。俺とあいつのどちらをとるんやと迫った。女は<どちらも好き。どちらかにするなんてアタシにはできないわ>と言ってわんわん泣くんや。女というものには決断力がない。男とは違うバカな種族だと思ったほうがいい。」と言ってうつむいた。


その彼が、いつだったか、僕に「牧田くん、君の虚無的な横顔は仲代達矢そっくりやねえ」と言った。


その時は仲代がどんな俳優かよく知らなかったので、僕の反応は「?」だった。しかしのちに黒澤映画などで彼を知ることになった時、「なるほどなあ」と彼の言葉を了解した。

2010/10/03 (日) 〇〇さん 心配の電話ありがとう


武田泰淳著・「ひかりごけ」を読んだのはざっと40年前。今朝の未明に、原作の映画化されたものをDVDで観た。
人肉を食った罪で裁判にかけられた船長(三国連太郎)と検事のダイアローグは、極限の場を経験したかしないかの差で全くおりあわない。不条理とも言うべきこの事件は、制度としての裁判などで語ることのできないものであることを裁判の場で告げている。


高橋和己著・「堕落」を読んだ時に感じたことでもあるけれども、人間の内面の暗部は同じ人間などに裁けるものではない、ということか。



昨晩は「糸川正晃政経パーテイ」に行った。おふたりを乗せて行った。
鳩山さんや下地さんが講演者として来ていたが、無礼講の飲み食いの時、下地さんと話をしていてびっくりしたことがある。
二年程前の冬、問屋団地のビルの通路でほんの4、5分間立ち話をしたのを覚えていてくれたのだ。国会議員の記憶力は素晴らしい。


帰りのエレベーターで野田さんと一緒になったのでツーショットを一枚撮ってもらった。
もう30年くらい前、僕は福井市役所に勤める友人の結婚披露宴の司会をしたことがある。




その時の媒酌人が野田夫妻だった。
ひとの縁というのはいろいろあるものです。

2010/10/02 (土) カップラーメンを食べながら


細野氏が訪中したことで、フジタの社員4人のうち3人が釈放されたということは、もっともっと評価されなくてはならないが、マスコミの扱いは小さい。この顛末は、細野氏が総理の親書を持っていかなかったことにあると思うのだが・・・。


今回の尖閣事件は中国問題でも米国問題でもなく日本問題であることを我々は教わった。
中国、北朝鮮、韓国、ロシアという近隣諸国との関係が平和・友好の一方で軍事衝突・戦争の可能性を秘めているのが現実なのだ。


今日の新聞によると、米国は今度の尖閣問題を契機に、レアアース輸入に関する脱中国化に転換したという記事が見える。これは外交そのものが目に見えない戦争であることを、端的に示している。


小林秀雄は、「何故、戦争は起こるのか」という問いに対して、「人生そのものが戦争だからだ」と答えている。


吉本隆明の随筆で、「戦争は軍事のぶつかりあいと日常の双方に横たわっている」という文章に出会ったことがある。


識者のこういう慧眼は、私の日々の立居振舞からも真理だと思う。即ち、私の心のなかには戦争と平和が共にある。言い方を変えれば、戦争と平和が顕在と潜在の関係にある。そしてこの位置関係が時折逆転している。


本日の午前中は、中央公民館で「第5回あわら市社会福祉大会」が開かれた。
森瀬さんと鈴木さんが手話通訳をやっていた。森瀬さんは手話通訳のかっての同志。
僕もかっては、手話通訳に一生懸命だったが、議員というヤクザ稼業に首をつっこんでから、通訳能力が後退してしまった。人生はちょっとした機縁で大幅に変わる。


VIPの挨拶と表彰式が済んだあとは、フルートとピアノのアンサンブル。フルートは達川さんちのお嬢さんが吹いていた。
僕が若い頃にザルツブルグ音楽院で専攻したのは学理であり、フルート鑑賞については門外漢だ。
それでもお嬢さんの腕が並でないのはわかる。
最近の彼女の音色には詩情がたちこめている。


さて
午後はろうあ者・健聴者が私の事務所に集まっての会議。

2010/10/01 (金) 昨晩

9月最終日ということで、昨晩の私の事務所は宴会の場となった。5年程前までは、連日宴会の場となることも珍しくなかったが、最近はめったにない。


参加者は女性4人、男性4人。
飲んだりしゃべったりするのは、肩の凝らないひとたちに限る。みんなは沢山飲んでいたが、僕は体調を考えてコップ1、2杯を口にしただけだった。しかしそれでも十分楽しかった。
今朝事務所に入ると手付かずの麦焼酎が置いてあった。はて?誰が持ってきてくれたものだろう。






今朝、僕は某氏の御自宅にいた。
某氏の抱いている猫は、毛がところどころ抜けている。




某氏は「この猫はエイズの猫や」と、言う。
僕はどきっとしたが
某氏が「だけど猫のエイズは人間にはうつらないんや」と続けて言ったのでほっとした。