2011年01月


2011/01/31(月) 白い悪魔


昨晩は日曜日だったので、DVD「日本の首領」(飯干晃一原作)を観た。
私は辰巳周平(鶴田浩二)になったような気分で布団に入ったが、早朝に眼が覚めるとあたりは真っ白だ。本当の敵は官憲でも関東ヤクザでもなく天空から舞い降りてくる雪だった。これを「白い悪魔」と言わずしてなんと言おう。


午前5時。重装備した私はスコップを持って戦いに挑み始めた。


8時に小休憩。
昨日に兄弟分からさずかった「幻の宰相・小松帯刀」を飲む。体があったまってきた。




さあ、再び戦闘開始だ。


自宅隣の市道で立ち往生している車がある。
運転者は若い青年だ。「市役所に電話したんだけどねえ、来てくれないんですよお」と言う。
行動する議員でありたいと思っている私は懸命に除雪を手伝った。
車がやっと動いた時は嬉しかった。


2011/01/30 (日) 雪かきを終えて


本日の福井新聞2面に「(江)ちなみ官民で誘客」記事が載っています。


昨年暮れに「江」を出版した歴史小説家・中島道子さんが、本年5月22日に湯のまち公民館で講演することが決まっているのですが、昭和39年度から43年度まで金津中学校で教鞭をとっておられた中島先生のことを御存知の方は、あわら市内に多いと思います。是非とも、講演会にいらしてください。


市会議員のはしくれとして思うのですが
市政であれ国政であれ政治が総体的にプラクチカルなものであるとしても、その基底にあるものは人間認識であります。人間認識は空間軸と時間軸というふたつのベクトルを持っていて、時間軸が歴史認識に支えられていることは当然です。
「政治と文学」or「政治と歴史」が時評コラムのテーマとしてよく扱われているのもその意味でよくわかります。


ひとが生きるとはどういうことか、ひとが死ぬとはどういうことか。
私は去年一年間、そんなことばかりを考えながら生きてきました。
古来、賢人哲人が書いていることでさえ多岐にわたっており一見無定見でありますから、ボンクラ頭の私には身分不相応のテーマであって、深夜の布団のなかで油汗を流したことも何べんかあります。


けれども、何日か前に養老猛司著・「運のつき」を詠み終えて少し光明が見えてきたような気がします。この解剖学者は、「悲しんだり喜んだりするのはではなく人間だ」と書いています。

2011/01/29 (土) 昨日の一日


昨日
あるお母さんからの「隣市の学童保育運営について調べてほしい」という依頼を受けて、坂井市三国支所へ出かけた。10数年前僕が金津小PTA会長をしていた時、学童保育のことで金津町役場へ日参していた経験があるので、学童保育については特別の思い入れがある。
知らなかったのだが、この運営については自治体ごとにいろいろ違いがあるようだ。


三国支所を出てから、坂井町の坂井地区介護保険広域連合へと向かった。
一昨日の運営協議会での会議の内容を精査するため。
三年前に脳内出血で倒れた僕は、その後遺症だろう、記憶力がひどく低下した。よって他の議員よりも数倍の努力をしなくては普通でいられない。
悲しいことだが、それが現実である限りそして議員をしている限り、努力を惜しんではならない。



2011/01/28 (金) 忙しくなりそうな週末


昨日の午後、私は坂井地区介護保険広域連合の運営協議会会場へ車を走らせたのだが、道中雪が降りしきり視界もさえぎられた。
前の日まで四国に居たので、その天候の違いを実感。


運営協議会の協議事項は
(1)第37回広域連合議会定例会予定議案について
1 平成22年度坂井地区介護保険広域連合一般会計補正予算(第2号)
2 平成22年度坂井地区介護保険広域連合介護保険特別会計補正予算(第4号)
3 平成23年度坂井地区介護保険広域連合一般会計予算(第2号)
4 平成23年度坂井地区介護保険広域連合介護保険特別会計予算(第4号)
5 坂井地区介護保険広域連合介護保険条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例について


実は四国での旅のさなか、夜空を眺めながら煙草をふかしながらあわら市議会議長とふたりで介護保険制度のこれからに対する懸念を論じ合っていたので、昨日の運営協議会では、そのことを頭に入れつつ協議会委員諸氏の意見を拝聴していた。


印象に残ったのは医師会代表の口から出た「レスパイト入院」という言葉。
畢竟するに、介護と治療の間のバリアフリー化の具体的なかたちだろう。
近いうちに詳述します。
昨晩は手話サークルの例会日。
ということで聾唖者夫妻が事務所に来たのだが、降雪のせいか他に誰も来ない。
手持ち無沙汰の夫妻は早めに帰って行ったが、その横顔がいかにも寂しそうだった。
夫妻の気持ちがよくわかる。

2011/01/27 (木) 本日は坂井地区介護保険連合運営協議会


今回の二泊三日の旅は、議員報酬を積み立てた議員会主催のもので、あわら市と姉妹都市を結んでいる高知県・香美市への表敬訪問以外は気楽なものだった。
その分だけ逆に感じるところの多いものであったような気がする。


私にとって一番は桂浜。


高台から桂浜を臨みながら私は考えた。



桂浜から見渡す大海原の向こうに米大陸カリフォルニア州をみた龍馬は沢村惣之丞と共に土佐を
脱藩する。そのあとの志士としての活躍は司馬遼太郎の「竜馬が行く」に詳しいし、彼の明るいキャラクターイメージがこの小説によって国民の間に拡がっていく。
しかし実のところ脱藩は脱藩を幇助した次姉の自殺という悲話を含んでいる。
物語には必ず光と影があるのだ。


竜馬の行儀の悪さは有名で飯を食べながら飯粒をぼろぼろこぼし、ところかまわず髪をかきむしりフケを落としたそうだ。しかしそれが母性本能をくすぐり女性によくもてたという。
このあたり私と似ていなくもない。


慶応3年に近江屋で暗殺された龍馬は、日本国のグラウンドデザィナーであったとしても長州人薩摩人のように明治政府を築く権力者にはなれず、文明開化の騒がしさのなかで世のひとから忘れられてしまった。


その龍馬が再び歴史の表舞台にたったのは日露戦争前夜であったと「竜馬が行く」が書いている。
即ち明治天皇の皇太后の夢のなかに龍馬が現れて日露戦争の勝利を告げたのだとのこと。
日露戦争といえば秋山兄弟だ。秋山兄弟といえば同じく司馬遼太郎の「坂の上の雲」だ。
私たちは「坂の上の雲ミュージアム」を訪れた。このミュージアムの設計者は建築家・安藤忠雄。安藤のモチーフはコンクリート打ちっ放しの壁面にある。
建築ファンならば知らない人はいないといわれている安藤忠雄と、知るひとのみが知っているといわれている某建築家(あわら市在住)との対比を思ったわたしは思わず微笑んでしまった。


秋山真之と正岡子規との交友は有名だ。正岡子規と夏目漱石との交友も有名だ。ついでに言うと、越前の幕末歌人・橘曙覧を世に送り出したのは正岡子規である。
ミュージアムでこれらのひとたちの相関図を眺めながら私は「日本近代国家の青春は明治にある」とつくづく思った。


2011/01/26 (水) 讃岐うどんと坂本龍馬に魅せられて


午後8時半、四国での湯治を終えて帰宅しました。


道後温泉・本館前にて(撮影者・九州からの旅の人)



土佐国で桂浜をバックに坂本龍馬像を仰ぐ



香美市役所の市長以下VIP諸氏



香美市のミュージアムにてアンパンマンとともに



土佐のはりまや橋

2011/01/23 (日) 春近し


昨日の午前中は、民主党・県連事務所へ。


午後は暇なのでDVD・「仁義なき戦い」を観た。
終戦直後から始まり70年代初頭にほぼ収まった実録広島ヤクザ抗争史だ。
この時代は僕の誕生から成人式までと重なり、終戦直後の焼跡闇市に流れる「リンゴの歌」から70年代初頭のネオン街に流れる藤圭子の「夢は夜開く」までの沢山の映像BGMはとてもなつかしいものだった。
まさに「歌は世につれ世は歌につれ」だ。


余談だが
20歳の頃、僕は「貞松浜田バレー団」というプロのバレー団稽古場に、数ヶ月出入りしていたことがある。止まり木に右手を添え、「アン ドウ トロー」という指導者の掛け声のもとにつま先をはねあげる練習はハードなものだった。
しかし練習後の飲み会は楽しかった。
僕はバレリーナを夢みる少女たちに持ち歌をひっそりと聞かせていた。
今でこそ僕の持ち歌は「港町ブルース」だが、当時のそれは「圭子の夢は夜開く」だった。
帰り際に手作りのサンドイッチを僕にそっと手渡してくれたバレー少女・A子ちゃんは今頃どこで何をしているのだろうか。


話がそれてしまったが、僕にとって「仁義なき戦い」のなかで一番光っていたのは主役の菅原文太ではなくて準主役の北大路欣也だった。
実は、今までにこのひとの出演映画を観たことはなかった。だけど周囲のひとたちから「牧田は北大路欣也に似ている」と、よく言われた。やっと出演映画にめぐり合い、「なるはどなあ」と思った。

昨日の日曜日は午後5時に仕事を切り上げ自宅に戻った。大相撲千秋楽を観たかったためである。予想どおり白鵬が14勝1敗で初場所の幕を閉じた。


私見で史上最強の相撲取りはというと、それは白鵬でも大鵬でも双葉山でも谷風でもない。雷電為右衛門そのひとである。
10年程前に「雷電為右衛門伝記」を読んだことがあるが、現役時代の彼の負け数は
Σ10、勝率は9割6分2厘だった。
伝記によれば、天明の大飢饉で路頭に迷った彼は、生まれ故郷の信濃国を離れ江戸にでる。モンゴル出身の白鵬もそうだったろうが、まことの強力(ごうりき)はハングリースピリットによって育てられるのだ。


2011/01/22 (土) もう週末か


昨日の午前中は、全員協議会が開かれた。
協議事項は
第51回あわら市議会臨時会について
議案第1号 専決処分の報告について
(平成21年度 金津中学校屋内運動場耐震補強・改修工事 請負契約の変更)
議案第2号 専決処分の報告について
(平成21年度 北潟小学校校舎耐震補強・改修工事 請負契約の変更)
議案第3号 あわら市一般会計補正予算(第5号)


午前中で全員協議会が終わり、午後はCADに専念。

2011/01/21 (金) 本日は全員協議会


一昨日のDVD・「戦場のピアニスト」に独・ソ連軍に翻弄されるポーランドの姿を観て、つくづく「日本は島国やなあ」と思った。この思いにはどちらかというと、「島国に生まれてよかった」的肯定気分がある。


勿論日本の歴史も、戦国時代・幕末・大東亜戦争などファナテイックな時代を経ており僕達はそれらを負の遺産として背負い続けていかなければならないのだけれども、それにしてもゲシュタボによるユダヤ人に対するホロコーストなどは一般の日本人にとって到底理解できないことだ。
人種と宗教の違いがひきおこす血みどろの戦いは国どおしが隣接していることによって、より増幅される。


その点、島国日本は大陸からの文物・文化を流入の最終ゴール地として受け入れ、日本流にアレンジした。結果として神道の地に仏教が流れ込んできたのだが、仏教の保護者であった聖徳太子は「和をもって尊しとなす」と言った。


この言葉は、信念の人ではなく現実主義者の人の言葉だろうが、マ、「あれもよしこれもよし」の精神が微温社会形成の礎となってきたのだと思う。

2011/01/20 (木) 熱々珈琲を飲みながら


「人間はいつどんな災禍に見舞われるかわからない」ということは、新聞の社会面などからも明らかだ。


加えて
「人間はいつ失踪するかわからない」ことを、昨日考えさせられた。
役所に行けば、戸籍抄本や住民票などでその人の在不在を確認することができる。
しかしそれは書類上のことであり、書類自体は「インクの染み」でしかないのである。


実際に書類を頼りに相手先を訪ねていっても「該当者存在せず」に直面することがありうるのである。そこには事件の匂いもする。
警察の刑事さん方は日頃それを感じているだろうが、我々小市民が普段それを意識することはまずない。


僕が、本来は机の引き出しにしまっておくべき日記を公開ブログにしている訳は、十数人の友人及び少数の読者諸氏に対して、「わたしはきょうも生きています」というメッセージを送っているからに他ならない。

2011/01/19 (水) 小雨降る夜明け


今年に入ってから「老齢やけど仕事を探してほしい。でないと一家心中や」という電話があった。僕は職安ではないのだけれども、擬似的職安を要請されることもある。


考えさせられたのは、一週間ほど前の相談だ。
要約すると
ひとりぐらしの老人が死亡した。その場合、その老人名義の固定資産は、兄弟などの近親者に相続されることになる。しかし該当者が相続するためには同じ兄弟などから実印入り相続放棄証明書を集めなければならない。ところがその兄弟に連絡したところ音信不通。住んでいるはずの自治体に問い合わせたところ、該当者存在せずとのこと。いわゆる「蒸発」なのだけれども、こういう場合の法的措置を調べなくてはならない。


「大人は子供の夕暮れ」という人口に膾炙した言葉がある。
僕は人生のラストステージは子供に戻っていくことだと思う者だし、事実そうなりつつある。
上記のようなごたごたのないゆったりした終末を迎えることが理想だと思うのだが。
僕の一日の始まりは午前3時。
この時刻から8時半までが来客なし電話なしの全くの自由時間帯だ。この日記を書いたり雪をかいたり雑煮をつくったりDVDを観たりしている。
昨夜はDVD・「日本の首領」を観ていた。この映画で佐分利信が右翼の大立者として主演している。
佐分利は画面に現れている間、一度も笑い顔をみせなかった。
そこに真性右翼の右翼たる所以があると思った。
(金集めだけのバカ右翼ではない)国を憂うる真性右翼には笑っている暇などないのだ。
笑わないからこそ男の気品が漂うのである。

2011/01/18 (火) 一杯のラーメン


三日に一度ずつメールチェックをしているのだが、先日の遠方の友からのメールに「母が脳梗塞で、自身も心身ともに老いを感じ始めています」というのがあった。


僕の場合、3年前に脳内出血で倒れ、奇跡的に助かりはしたものの、長い入院生活とその後のリハビリの過程で人生観がすっかり変わったような気がする。老いを加速度的に感じるようになったのもその頃からだ。


脳内出血を患ったあとでの老いというのはビデオテープを早送りしているようなものだが、しかし老いることによる利点というのもある。


①言語化能力が衰えたため無口になった。
昔から お袋に「男のおしゃべりはよくない。巧言令色少仁やぞ」と言われて育ってきたが、ようやくその域に達したようだ。
①猥雑な気分がなくなった。
青い空と森の緑と土の匂いがあればそれだけでいい。きれいなねーちゃんは眼の毒だと思うようになった。これも達観といえるだろう。

①たまには楽しいこともある。
例えば
昨晩は湯けむり横丁へ行った。ラーメンを一杯注文し、どんぶりをふたつ頼んだ。
一杯のラーメンをふたりで分け合いながら食べるというのは清貧の行為だが、気障と思うことなく食べることができた。
ラーメンは大盛りだったがそれはともかくとして「一杯の掛けそば・ラーメン版」を実践できたわけだ。

2011/01/17 (月) 阪神大震災


1995年(平成7年)1月17日つまり今から16年前のきょう、6400人が犠牲となった阪神大震災が発生した。

3700人が犠牲となった1948年(昭和23年)6月28に発生した福井地震の年度に生まれ地震っ子と呼ばれながら育った僕は、阪神大震災発生数週間後に、現地へ行った。
学生時代の同棲相手から、購入の仮契約をしていた中古住宅の被害状況を診てほしいと頼まれたからだ。
その折宝塚・西宮・芦屋周辺をいろいろ歩いたが、予想以上の惨状を見聞きしながら結論的に思ったことは「この世は仮の住まい」ということだった。「生きるも死ぬも紙一重」ということだった。


あの年から阪神間を訪れたことはない。
一度訪れてみたいと思う。


2011/01/16 (日) 今朝の私


今朝は坂ノ下区の婦人会総会に来賓として出席。
吹雪のなかを区民館まで歩いて行ったので、頭から足先まで真っ白だ。
玄関先で出迎えたふたりの御婦人に顔の白さを笑われてしまい、僕はとても恥ずかしかった。


挨拶で、平成23年度の行政の焦点となるであろう幾つかのことをしゃべった。


挨拶の終わったあと、区長とともに総会を退席。
岐路、区長から坂ノ下区で問題となっていることをいろいろ聞いた。
事務所に戻ってからは、再び雪かきに専念。積雪量は多くないのだが、なにしろ風が冷たくてどうしようもない。
そこへ、東京から二日間帰省していた妹が来た。
午後一時発のJR特急で帰ると言う。
昔はそんなに強くは思わなかったのだけれども、やっぱり家族・兄妹のつながりは特別だ。
妻の車に乗ってJR芦原温泉駅へ向かう妹に「元気でなあ」と手を振った。

2011/01/15 (土) ゆったり気分の週末


今回の内閣改造で国交大臣になった大畠章弘さん


何年前だったか、このひとが芦原温泉某旅館の大ホールで演説をした。演説は非常に上手くてインパクトのあるものだった。
演説後の立食パーテイで確か郵政民営化についての話をふたりでしていた時のこと。
ウイスキーグラス片手の僕は酔っていたためか手元が狂い、彼が手にしていた手帳の上に中身をこぼしてしまった。
「いやいや たかが手帳です」が僕が謝ったときの彼の返答で、非常に気持ちのいいものだった。
ミーちゃんハーちゃんの僕はいっぺんにファンになってしまったのです。

「友あり近方より来たる」で、昔からの友人はいいものだ。
昨日来訪した友人から、DVD約100枚をいただいた。これでレンタルショップへ行く必要もなくなった。
とりあえず昨日は「極道の妻たち」(家田荘子原作)シリーズNO1を観た。

2011/01/14 (金) 熱々珈琲を飲みながら


昨日の夕刻に所用で某場所に車で出かけた折、助手席が「牧田さんの誕生日はいつ?」と聞く。
「一月三十日」と答えると、助手席は「水瓶座は理性と知性の宝庫よ」と解説する。
(僕には全く興味のない)血液型とか誕生日による運勢というものをいつも話題にしているのが女という種族なのだろう、と僕は思った。


助手席が「牧田さんには、いつも沢山のひとに囲まれて生きているというイメージがあるわ」と続けて言う。年々、孤独志向の高じている僕としては痛し痒しだ。


夜の手話サークルには5人が集まった。人数の少なさは、道路が凍てついているせいなのだろう。
昨日
久しぶりに朝のTVモーニングショーを見ていたら、三屋裕子が出ていた。
このひとは十数年前、金津中学校創立50周年事業で金津中学校へ来たことがある。
人気者に関らずの折り目正しさ控えめさに僕はおどろいた。
司会者が「福井県には日本一が多い」と言いつつ具体例を挙げ始めたとき、勝山出身の彼女は手をあげて喜んでいたが、僕は「そういう数値比較ではない誇りが越前にはあるぞ」と思った。


勿論、継体天皇出身の地であるということ。
古代・中世・幕末を通じて歴史の要(かなめ)にいたひとがいて要となった地のあることが越前の特徴だ(他の県のことを知らないからそう言うのだが)。


ということで「ふるさと語ろう会」が関係している今後の行事としては
例えば
二月 「杉田定一」についての講演会
三月 「横山古墳群」についての講演会
五月 歴史小説家・中島道子さんの講演会
などが予定されています。

2011/01/13 (木) ハ・メ・OO


昨晩は、坂井市春江町で会議があった。
会議を終えて外へ出ると吹雪だ。マイカーでの帰途、視界がさえぎられて低速走行となった。かっては2.0を誇った私の裸眼視力も随分と落ちた。この原因が永年にわたる設計製図稼業にあることは勿論だ。


雪降れば 木毎(きごと)に花ぞ 咲きにける
             いづれを梅と 分きて折らまし


新古今だったかに収録されているこの歌は、木+毎=梅とする戯れ歌だが、梅の枝に雪が積もったくらいで梅の花がわからなくなることは、梅=白梅であるとしても通常ありえない。
私のように視力の減退した年寄りが詠んだ歌だと思う。


今朝はやく電話が鳴った。「行政の対応を聞いてきてほしいので事務所へ行く」という趣旨のものだ。毎日毎日その種の依頼があるが、仕事を与えてくれるだけありがたいと思わなければならない。

2011/01/12 (水) ジェームス・デイーン


昨晩は、某会の幹部会員6名が事務所に集まり会議が開かれたのだが、Hさんがぜんざいとウイスキーとつまみを持ってきたので、会議は場末バーでの集まりのような雰囲気になった。
ぜんざいとウイスキーの組み合わせはユニークだけど、これはこれでわるくない。
ぜんざいの甘さウイスキーの辛さの双方とも冬の夜にはかかせないものだとわかった。


会議の焦点は人事。
NHKの後任会長人事はもめにもめているみたいだが、こちらの会長人事は満場一致ですんなりと決まった。


閑話休題
この数年間、僕の胃は焼酎しか受け入れなかったのだが、最近はウイスキーも受け入れるようになった。要するにTPOなのだ。

例えば
先週の日曜日にホームビデオで「ジャイアンツ」(ジェームス・デイーン主演)と「真昼の決闘」(クラーク・ゲーブル主演)を観たが、鑑賞スタイルとして焼酎カップ片手は似合わない。洋画はやはりウイスキーグラス片手に限る。


余談だが
若い日のジェームス・デイーンとクラーク・ゲーブルを比較した場合、僕の若い日の容貌はどうしてもジェームス・デイーンと重なる。
単なる色男でしかないクラーク・ゲーブルに対して
、ジェームス・デイーンの横顔には翳りがある。世の不条理に対する怒りが見え隠れする。

2011/01/11 (火) 日々修行


昨晩は6時半に就寝し、寝覚めて事務所に入ったのが今朝の午前3時。
この時刻から夜明けまでが私のゴールデンタイムだ。


皆が寝静まっているこの時刻に近所を歩き回り、「不審火はないか、夜盗がいないか」を調べる。つまり深夜の自警から一日が始まる。


自警が終わってから事務所に戻りストーブに火を点け、前の日の来客との会話を反芻する。気になる言葉があったら、この日記に書き込む。


それからしばらくの間、座禅をする。高校生の時、曹洞宗大本山永平寺で座禅修行をした経験があるので座禅のしかたはわかっている。


「不立文字」を基本とした道元禅師の心に少しでも触れたいと思いながら座禅に励む。


最適の季節は冬だ。底冷えのする凛とした空気のなかで、猥雑な思いは全て姿を消し無心になることができる。


座禅が終わると、部屋にゴミひとつ落ちていても許せない気分になる。


そのうち夜があけてくる。
日の出を拝むことができるのはシアワセだ。

2011/01/10 (月) 冬の陽射しのなかで


大多数の他の地区と同じように、昨日は坂ノ下地区の初寄り総会が開かれた。
昨年の行事報告、本年の行事予定案、区役員改選をもって総会は終了。



明けて今朝は快晴だ。ついさっきまで坂井市三国町の建設業者と打ち合わせをしていたのだが、窓外からのまばゆい光を浴びながらの打ち合わせは気分がいい。
建設業者が帰ったので外に出てモクを一本吸った(家族には秘密だけど、一日に数本どうしても吸ってしまう)。

吸っているうちに何日か前の来客の言葉を思い出した。


その来客が、「牧田はんは何故市民から嫌われているか知っているか?、前回の選挙で何故最下位となったか知っているか?」と問うてきた。


僕は「そりゃあ、中学校問題で仮に学校が統合された場合有力な候補地だった坂ノ下区に住んでいながら、二校存続を訴えたからやろ。勿論、裏でいろいろあったことも知っている」と答えた。
相手は「それもある。しかしもっと大きな要素は、牧田はんが議員報酬値上げ案に賛成したことや。反対した議員は正義で賛成した議員は不正義と有権者からみなされたんや」と言う。


僕は、「そう思われるのは構わないけど、もし私が値上げ案に反対するならば(どのみち可決承認される)値上げ分を、あの当時の任期が終わった時点で市に対して返納or寄付するという心構えを持ってのそれしかなかっただろう。私はそれができるほどの人格者じゃないし、第一生活の問題もあった」と答えた。


2011/01/08 (土) 本日は「嶺北消防組合出初式」


昨日の朝、知人がふらっと現れ、二時間近く世間話をして帰っていった。
世間話の内容はともかくとして
知人の趣味は囲碁で、碁会所でいろんなひとと碁を打ちながら、まちの噂を聞いてくるのだという。碁を打つことは床屋談義を楽しむ場所でもあるということだ。


無趣味の僕には、そういう場所がない。これは不幸なことなんだろう。
だからなのか、日一日と厭世観が募っている。
ながくはない余生をできるだけはりのあるものにして終えたいという願望とは裏腹だ。


昔、友人と「我々は人間が好きなのか嫌いなのか」というテーマで延々と議論をしたことがあるが、結論は「どっちも同じ」だった。


僕は例えば
咳しても一人 尾崎放哉  の句などが好きで、ひと付き合いが苦手で、竹林の庵に住むことを夢とする。
これを格好よく言えば「孤高派」で、格好わるく言えば、「偏屈派」ということになるか。
今朝9時半からはトリムパークで「嶺北消防組合出初式」
先ずは屋内で表彰式。



そのあとは屋外でパレード、放水等。




圧巻ははしごの上での曲芸だった。命綱なしでやるのだからすごい。


2011/01/06 (木) 昨晩は11時間就寝


昨日の夕刻に、ホテル藤田三階にて「連合福井新春旗開き」が挙行された。
来賓として知事や国会議員など県内著名人が多数出席。
こういう場合、挨拶する側も一人や二人では済まない。八人ほどの方の挨拶が延べ1時間ほど続いた。挨拶する側が誠意を持ってしゃべっているのは充分伝わってくるのだが、聞く側としては少々つらい。のどを潤したくもなるし、胃袋に何かを入れたくもなってくる。


思うに
挨拶は、せいぜい三人くらいで充分なのではないのだろうか。
加えて
挨拶は禅用語で「挨」には「押す」、「拶」には「引く」の意味がある。つまりシンプル イズ ベストなのである。

2011/01/05 (水) 昨日は広報編集委員会


昨日の午前中は、広報編集委員会だった。
午前中に終了しすぐ事務所に戻ろうとしたのだが、庁舎内で市職員に呼び止められ相談を受けたので事務所に戻った時は既に二時前。


夕刻に友人Tさんが来訪。
「今の高齢者は社会の片隅に追いやられている。培った技術を持っているのが高齢者なのだから、その技術を発揮できるような共同体つまり高齢者自立村をつくりませんか」と言われた。


話のさなか、Kさんから電話が入り「ふるさと語ろう会」の今後の日程の打ち合わせとなった。この会もはやいはなしセミリタイアたちの集まりだ。


自分自身が高齢者になりつつあるのだから当然なのだが、自分の友人も(一部の女性たちを除いて)又高齢者たちだ。


夜、晩酌後にビデオで「北斎漫画」を見た。
葛飾北斎といえば「富嶽三十六景」が有名だが、晩年に浮世絵「蛸と海女」を描く時のシーンが印象的だった。
横たわった裸女に生きた蛸をからませ、「どんな上品な奴にも心の奥底に魔性という奴が必ず潜んでいる」とつぶやきながら絵筆を進める。絵筆を持つ北斎の形相のすごさ。

2011/01/03 (月) 無題


今朝は、午前6時に起床。雑煮をつくって五つ食べた。昨晩、妻が義姉宅からもらってきた「幻の大吟醸」を飲もうかと一瞬思ったが、こらえた。
これは来客のためにとっておかなくてはならないと思ったのである。
ただし



私の事務所の来客用駐車場は一面雪だ。そこで、雑煮を食べ終えてから雪かきにとりかかった。





今朝は今年一番の寒さということで、根雪は氷になっている。スコップの刃先ではいかんともし難いので、金鎚を取り出してきて氷をくだいた。指先が冷たくてかなわなかったが、八甲田山で凍死した明治期の陸軍兵士たちのことを思えば、なんてことない。
心頭滅却すれば 火も又すずし である。


さて
この年末年始にレンタルビデオを10本ほど見た。
見たビデオのなかには「日本誕生」も「日本沈没」もあった。よく考えると日本の始めと終わりを観てしまったのだから、ビデオ鑑賞はもう止めようと思う。


今朝の雑煮を自分でつくって五つ食べた。私の家は味噌味雑煮だが入れる味噌の量と煮加減が決め手だ。そして、自分でつくって食べるのが一番うまいこともわかった。
今年は、料理づくりを楽しみたい。


正月はすることがないので、雪かきを終えてから本を片手にお屠蘇を飲んでいる。
熱燗をお猪口で飲むとほんわか気分になる。雪を窓越しに見ながら冷たいビールを飲むのも乙なものだ。要するにアルコールは焼酎だけではないのだ。
今年は、焼酎・清酒・ビール・ウイスキー・ワインをバランスよく味わいたいと思う。


近年、喫茶店がめっきりと減った。僕の若い頃と比べると雲泥の差だ。
行くひとが少なくなったことが喫茶店文化衰退の原因だろう。しかし、そういう状況下でもなお開いている喫茶店には魅力的なものがある。去年、僕は加賀の国でそういう喫茶店を見つけた。
今年は喫茶店探しに挑みたい。

2011/01/02 (日) 雑煮を食べながら


降り続く雪を見ているとあちこち雪かきで大変だなあと思うし除雪態勢を隙の無いものにしてほしいとは、勿論思う。


反面、昔と住民意識が変わったなあとも思う。僕たちが若い頃、除雪は住民全体の共同作業だった。隣近所にひとり暮らしの世帯があればその家の屋根の雪おろしや玄関から道路までの雪かきを誰かが率先してやったものである(体力のない僕はできなかったけどね)。


最近は違う。過度に行政だのみをする人が増えたみたいだ。勿論、行政にしかやれない部分についての不備に関しては行政を叱咤しなければならないが、行政の領域を超える部分についての苦情も多くあるようだ。それをやることを当然とするような声もあるようだ。


除雪は危機回避の行為であり、危機管理は官民一体でやることが原則だが、共同体意識の薄れがもたらす現象なのかもしれない。


こんなこと書いていたら、住民の側に立とうとしない議員ということになるのかもしれないが・・。

昨日の元旦には沢山の年賀状をいただきましたが、私の家では不幸があったので年賀状を出しませんでした。欠礼をお詫び致します。

2011/01/01 (土) 一月一日にちょっと思ったこと


今朝は4時に起床。
昨晩の僕は、妻から幼児性を指摘されむくれたのだがその後ちゃんと謝罪し、気持ちよく眠ることができた。


元日の新聞は分厚くて重い。福井新聞を開くと、敦賀・小浜で積雪40cmと出ている。どうも嶺北より嶺南の方が大雪みたいだ。インターネットを検索すると、「鳥取県の国道9号線で自動車千台が立ち往生。自衛隊出動」と出ている。昔から「白い悪魔」とささやかれている雪の恐怖を太平洋岸に住むひとたちは理解できないだろう。


福井新聞39面に「高峰秀子死亡」の囲み記事が出ている。「二十四の瞳」で有名になった女優だが、僕にはむしろ聾唖者夫婦を描いた「名も無く貧しく美しく」の方が印象ぶかい。後年(こうねん)、僕が手話をやりはじめた動機がもしかしたらこの映画の鑑賞にあったのかもしれない。


午前6時半からの立正佼成会あわら支部元旦式典に橋本市長と共に来賓として出席した。
8時半に終了。外へ出ると牡丹雪だ。
この気象下で式典準備や駐車場整理にいそしんだ佼成会会員の皆さんのご苦労は大変なものだと思った。