2011年02月

 
 2011/02/26 (土) 無題


禁煙を決意してから何ヶ月も経った。微妙な言い回しだが、禁煙してからではなく禁煙を決意してからであって、稀に密かに喫う時がある。
つくづく意思の薄弱な男だと思う。


10数年前に、京福武生駅の便所に入った。
小便器の前に立った時、洗い流しのボタンスイッチの横に貼られてある白い紙が目に入った。そこには、こう書かれていた。
「あたしを 捨てないでね・・・たば子


これは、「小便器に吸殻をなげすててはいけない」という程の意味だったのだが、今、再考してみるに、「完全禁煙は煙草メーカーとして寂しい」という意味にもとれる。

2011/02/25 (金) 無題


ニュージーランドで多数の若い日本人が巻き込まれたCTBビル崩壊の原因として、エレベーター周りが他の箇所と比較して強固だったことによって捩れ現象をもたらしたこと及び地盤が液状化したことを地震専門家がテレビでしゃべっていた。


捩れ現象については昭和56年の新耐震基準施行のなかで、「偏芯率15%以下」とその許容値を定めている。
液状化については、昭和23年発生の福井大地震でも多く見られた現象である。


ビル崩壊が人災なのか天災なのかは、その国が定める耐震基準にのっとっての調査結果に負うことになるだろうが、結果がどうであれ100人以上の若い命が散ったという現実は変わらない。


大変に悲しいことではあるけれども、僕は、巻き込まれた人たちよりも、そのお父さんお母さん方に思いがすりよってしまう。


世間の騒ぎが収まった頃から、空虚感・寂寥感が増し、悲嘆が続く。半狂乱はずっと続く。
お定まりの慰め言葉はその感情をさかなでするだけだ。


その意味では、江戸初期の禅僧・良寛が友人に送った手紙のなかの「・・災難にあふ時節には災難にあふがよろしかろふ・・」という言葉に僕は深い人間愛を感じる。
良寛は本当に偉い人だ。

2011/02/24 (木) 本日は手話サークル


昨日は全員協議会が開かれ、三月議会提出議案の説明があった。
提出議案は次の通り


ところで、協議事項のなかに「議会基本条例検討委員会の設置について」というのがあった。これは、議会を市民に向かって開かれたものにするための条例をつくるべきかどうかを検討する為のものである。勿論、個々の議員としての姿勢を問うことも含まれている。


というようなことを聞いていて、私は昔の失態を思い出してしまった。


☆あわら市議会が29チャンネルで映像発信されることになったのがいつだったかは忘れたが、その第一回目の一般質問で第一番目に質問席に立ったのは私だった。
理事者に向かってマイクでしゃべり始めた途端、スーツ(英国製)の胸ポケットが「リリリリルルルル」と鳴った。バカな私は、携帯電話を控室に置いてくるのを忘れてしまったのだ。
携帯電話スイッチの切り方など簡単なはずなのに、動揺した私にはそれができず、質問席後ろに座っていたY議員・O議員の両氏にむかって携帯電話をポイと投げてしまった。


今思い出しても穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
けれども、最初にそういう失態があったからこそ、立居振舞に隙のない今日(こんにち)の私があるのだともいえる。


本日の夜は、坂井地区介護保険広域連合運営協議会が開かれる。
いつも午後7時には布団に入る私も、きょうは起きていなければならない。晩酌もできない。
ということはさておき
2000年4月にスタートした介護保険制度は私たち日本人の介護観を、大きく変えたような気がする。平成23年度は第5期計画にむかっての策定の時期となるのだが、設立された当初のいわば原点に戻って考えることが大切だ。
一生懸命勉強しよう。

2011/02/23 (水) 二月も終盤


会って話をしていると、「あいつはどうのこいつはどうの・・」と共通の知人を揶揄するひとがたまにいる。それを聞いていると、僕は嫌な気分になる。
「・・ああ、このひとはどこかで僕のことをこういうふうに揶揄しているのだろうなあ・・」と思うからだ。
気弱な僕はうすら笑いを浮かべて聞いているだけだけれども、内心、「本人の前で言えないことは他で言わないほうがいいぜ。他人に言うならば、先ずその前に本人に言うのが道徳というものじゃないか」と思ってしまう。


2月25日の午後7時から「湯のまち公民館」において、講演「杉田鶉山翁の生涯」があります(無料)。どうぞ、ご来場ください。
(杉田鶉山翁については、市政掲示板にとんぼさんも書いています)。
2011/02/22 (火) 快晴の朝に


「低温火傷」という医学用語がある。
勿論知っていたが、自分自身が低温火傷になってしまった。炬燵のせいだ。
デジカメ撮影でここにアップロードしようかと思ったのだが、場所が下半身右太股であるだけに、女性読者のことを考えるとできない。


昨日の朝は、治療のために主治医に診てもらった。
「知覚が鈍ってきているからだろう」と言われたのだが、確かに体や心の反応が鈍くなっているのを感じる。


還暦を過ぎたのだから老化は仕方ない。しかし、そのことによって(自分にとっての)新しい発見がある。


昔だったら、ひとつのことが気になると過去未来への連想で心の浮き沈みが激しかった。しかし、知覚が鈍ると連想は浮かんでこなくなる。そのことによって淡々とした気分が維持される。
人口に膾炙した言葉に「枯れた人間」というのがあるが、この言葉は、人間が本来は動物であることをにおわしているのではないか。


人が過去を記憶し、未来を予測しようとするのは、現在を現在とかんじることが出来ないからである。他のあらゆる生物は、現在のみを生きている。    
                     別役実・「当世悪魔の辞典」

2011/02/21 (月) 昨日の一日


昨日の午前中は、坂井市に居た。宇野さんの県議選出馬事務所開きがあったため。
特別ゲストとして来福した国民新党幹事長・下地幹郎さんの挨拶が面白かった。


挨拶のなかでの、「・・我々はいろいろ議論をしていかなければならない・・。しかし、わたしは妻に対してはいつもイエスである。白を黒と言われてもイエスである・・」というくだりで、私は「そういえばあわら市内にもそういうことを言うひとがいるなあ」と思った。


午後は「三国観光ホテル」へ。
「福井政策フォーラム21・定期総会」が開かれたため。
総会終了後は「末延吉正 講演会」。演題は「メデイアは真実を伝えているか」だった。
歴代の内閣中枢と至近距離にいたジャーナリストであり、裏話を含めた話は大変にうまい。ユーモアもある。しかし考えてみると、裏話の類(たぐい)はインターネット世界で既に充分語られていることである。「しゃべりがうまい」ということと「しゃべりがココロに残る」ということはべつものだ。


私にとって「ココロに残る」ひとのひとりは藤純子だ。
ということで、夜は「緋牡丹博徒」をみていた。この映画は昭和40年代2大スター・藤純子と高倉健の華麗な共演だ。典型的な美女とか典型的な美男というのは顔だけで我々大衆をひきつける。
みている間、私もいっぱしの侠客になっていた。

2011/02/20 (日) 忙しくなりそうな日曜日


何故か知らないが、昔から本を読むのが好きで、中学生の頃には松本清張シリーズを家の縁側でごろ寝して読むのが癖だった。


あれから幾星霜。
この冬はあのシリーズをDVDで見ることに夢中だった。
活字世界を映像世界に置き換えてストーリーを再体験することで改めてみえてくるものがある。映画監督の構成力やね。

男の夢の職業としてあるのは「クラシックコンサートの指揮者・プロ野球監督・映画監督」の三つだそうだがなんとなくわかる。


私は建築設計監督ならば経験し続けてきたが、映画監督の持つスケールとは桁がちがって矮小だ。だから時間をみつけてはDVD映画を楽しんでいこうと思っていたが、最近はそうとも言っていられない。


春の兆しが見えてきて、人間社会が活動期に入ったためだ。
仕事の依頼が俄然多くなってきた。ま、悪いことではない。


閑話休題
この一週間だけでも、何人のひとから「歩き方がおかしいですねえ」と話しかけられたことだろう。マヒが進行しているのでそう見られても仕方ないのだが、特に右踵と右腿の感覚が鈍ってきている。
先日、友人の電気店主人に相談したら、「登山靴を履いて歩いたらいいんじゃないか」と言われた。しかし、タートルネックに登山靴は似合わない。
カラダがどうであろうと、ダンデイでいること。これは男の美学だ。


それはともかく、カラダの動きに指示を与えているのは脳だ。だから、カラダの動きの(普通のひとから見ての)異常は、脳の異常と言っていいだろう。
異常がいいか悪いかという価値判断は別の次元のことだけどね。


2月25日の午後7時から「湯のまち公民館」において、講演「杉田鶉山翁の生涯」があります(無料)。どうぞ、ご来場ください。(杉田鶉山翁については、市政掲示板にとんぼさんも書いています)。

2011/02/18 (金) 雨降りの朝 


朝、目がさめると雨が降っている。外界はぬるみ始めている。
しかし、凛とした空気とおさらばするのは、北国の人間として悲しいことでもある。


ということで、私は北国・ノルウエーの画家ムンクの「叫び」を思い出していた。
私は、はるか昔に神戸市長田区にある貞松浜田バレー団に通っていた。止まり木に右手を添えて「アン ドウ トロウ」の練習に明け暮れていた。
プリマドンナをめざしていた(これは冗談です)。


その稽古場横の階段室に「叫び」(複製)が貼られていた。橋の上に立ち両手で耳を押さえた骸骨のような表情はおどろおどろしく、例えばコッポラ監督「地獄の黙示録」の一シーンを思い出させるものだった。


橋の上の(多分)少年は、何をみてあるいは何を思ってあのような表情をみせたのだろうか。爾来40年間、私の脳髄にはあの表情がこびりついている。
優れたアートとは不思議なものだ。
鑑賞者の肉眼が捕らえた一瞬が、その後の人生のなかに見え隠れする。


その意味では、私もアーキテクトという名のアーチストでいてよかった(知っている人は殆どいないが、ま、死んでから名のでるタイプ=ゴッホタイプなのだろう)。

2011/02/17 (木) 未明に新聞を読みながら


人の出入りの多い昨日だったが、夕方の来訪者の発案で夜は三人宴会の場となった。三人のうちのひとりは料理のプロなので手造り刺身が美味しく、焼酎やラガービールもどんどん進んだ。途中、「事務所の灯りがついていたので」という来訪者も加わり、夜は更けていった。


大勢の宴席は苦手だしコンパニオンガールズの現れる宴席も苦手だが、「友あり 近方より来たる。又 楽しからずや」で、気心の知れた少人数の飲み会は掛け値なしに楽しい。


ところで、飲み会の話のテーマが何だったかと言うと
確か「明治維新前後について」であったような気がする。

2011/02/15 (火) 日本人は尺貫法を使わねば


今朝の午前8時。
私は芦原温泉5丁目の蔵移設工事現場に立っている。
蔵の栗材柱は5寸5分角。小舞竹は大分産の一寸丸竹。大分産は肉厚があるのだ。
私はこういう古い建物の再利用が大変好きだ。


しかし、ご存知のように蔵には間仕切り壁がない。
外壁の漆喰壁だけでは現在の耐震基準を満たすことができない。



そこで3尺1寸間の栗柱のあいだに1寸5分3寸5分の筋交を入れて建築確認申請の条件をクリアーした。
言うなれば
和風漆喰壁と洋風トラス構造との華麗なる統一だ。





棟梁が「絵になりますねえ」と言いながら、写真を撮ってくれた。

2011/02/14 (月) 昨日の一日


昨日の午前中は高速道路を使って金沢へ行ったが、連れていってくれたひとがインテリKさんだったので、車中退屈はしなかった。
いろんな話を聞かせていただいたが、「まきちゃん、総理の鳩山や管が失敗した理由はどこにあると思う?」という質問に対して僕が考えていたら、「彼らが理科系の頭だからや。理科系は技術屋であって、与えられた課題をこつこつこなす才はあったとしても、課題そのものの正否を論じる能力はないと思うね」と言う。
確かに歴代総理でこういうひとたちは珍しいのかも知れない。


「20世紀の人間はさまざまなものを開発してきた。悪魔の武器としては原爆がその最たるものだ。開発した技術者たちはそれをどこかで使いたくて仕方なかったはずだ。カネとか名誉とかじゃなくて技術者魂としてだ。核を抑止力と言うのは言葉のごまかしだ」とKさんは言う。
確かに、ヒロシマ・ナガサキの悪夢は、戦時内閣が天皇制護持を降伏の条件とするために降伏を引き延ばした結果だという風聞をよく耳にする。
アメリカは内地戦を避けるためには止むを得なかったとアホな自己弁護をする。
しかし原爆を当時の米大統領ルーズベルトに強く進言したのは、マンハッタン計画の立案者たちなのである。ソ連が対日戦に参加してきたため、米大統領は戦後の冷戦を視野に入れて原爆投下を許容したのである。


何故ヒロシマ・ナガサキだったのか。
米は対独戦に於いてドレスデン無差別攻撃などをやったが、原爆投下は対日本に限定した。勿論これには人種差別感・白人優位主義がその深層にあるのだろう、と南方系(色黒系)日本人の僕は思う。後の米大統領はドレスデンを謝罪のために訪れたが、広島・長崎を今だ訪れてはいない。


「まきちゃん、個人の生き死になんて小さいことだぜ」とKさんは言う。
僕は去年の三月以降、こういうトーンの言葉に安堵する。
というか、「胡蝶の夢」だ。人間は「生きている」というよりも「生きているという夢をみている」のだろう。



午後はCADに専念。
夕刻から講演「杉田鶉山翁の生涯」案内チラシ(詳細は市政掲示板にとんぼさんが書いています)を持って知人宅をまわった。


事務所に戻りうつらうつらしていたら、女がひとり入ってきた。
手に持ったものを見て「ああ、バレンタインデイなのか・・」と思ったが



あけてみると、それは極上焼酎・「琥珀蔵人」だった。





2011/02/14 (月) 久しぶりの歯磨きで凛とした気分


昨日は、CADに奔走し雪かきに汗を流したあと、DVDで「私は貝になりたい」(1959年・フランキー堺主演)を見た。


少年だった頃、隣の家の縁側のテレビ画面で見たこの映画には格別の思い入れがある。先日、中井正広主演の同映画を見たが、やっぱりフランキー堺主演がいい。


10数年前に「BC級戦犯の記録」(読売新聞社編)を読んでから、BC級戦犯を裁いたアメリカ法廷のいい加減さに辟易し、裁かれた日本軍兵士の死及び家族の判決後の辛酸に涙を禁じ得なかった(ステレオタイプだけど、こうとしか言いようがない)。


改めて、戦勝国アメリカは非道い国だと思った。しかし、ロスに住むセッドくんやニューヨークに住むメアリーくんなどの知り合いは可愛らしいので、国家と国民は別なのだろうとも思う。


閑話休題
映画で涙を流しているところへひとりの女が来た。右手にチョコレートを持っている。
バレンタインデイのことなどすっかり忘れていた。


女が「市長選のことどうなっているの?」と聞くので、僕は噂のOさんへ携帯コールをした。何やらごちゃごちゃ言っていたが、よくわからない。

22011/02/13 (日) 北潟国有林


昨日の午後は、ツバキ回廊を歩いた。



僕は何度かここを歩いているが、いつも友人たちと一緒のぶらぶら歩きだ。


今回は、福井県自然観察指導員の会会長・組頭五十夫氏の引率の下に歩いたので、植生学習的散策となった。



途中から湿気を含んだ雪となり手がかじかんできた。回廊を抜けると、荒れ狂う冬の日本海が眼前に広がる。
そういう厳しい自然のなかでひっそりと咲く赤椿は、エリザベス・テーラー的妖艶というよりも、オードリー・ヘプバーン的可憐。思い出に残る回廊歩きとなった。


足元が心配だった僕は杖を持って行った。
何人かのひとから、「修行僧のようだわ」と言われたのだが、言われて悪い気はしない。「永平寺から参加しました」と答えた。
杖に合うのは作努衣なのだから、春になったら作努衣を着て歩こうと思う。

2011/02/12 (土) きょうはツバキ回廊を歩こう


昨日は旗日だったのでDVDを観ていたのだが、そこへ電話がかかってきた。
おしかりの電話だ。


「もう民主党なんか支持せんぞ。あの名古屋市長選や愛知県知事選での民主党のていたらくはなんや」というもので、これは誰彼からとなく言われる。


続けて、「なんで糸川後援会の看板を相変わらず事務所に貼り出しているんや。次の市議選で牧田は100%落ちるぞ」と言われた。


この言葉には、釈然としないものを感じる。


糸川さんと初めて会ったのは、何年前だったか事務所で車座集会を開いた時だ。
その時の彼氏のしゃべりの内容や物腰に魅力を感じ、私も未熟ながら応援しようという気になったから看板を貼り付けたのであって、(彼の責任でもない)現在の民主党の混迷故に看板をはずしてしまったら、これは私の任侠道に反することになる。
外道への転落だ。


もひとつ。
市議は、与えられた任期をせいいっぱいやることだけが全てだ。それ以上でもそれ以下でもない。これが市議としての任侠道であって次を考えることなど論外だ。


もひとつ。
何故、任侠道などという珍しい用語を使ったかというと、たまたま観ていたDVDが高倉健だったからだ。

今朝の朝日新聞で、心動かされる記事を久しぶりに読んだ。
東京・私立明晴学園だ。


東京だからこのような学校がつくれるのかもしれないが、手話はろう者の母語だ。しかし現在のろう学校は「口話法」で授業をしている。
確かに、口話教育のほうが実利的ではあるが、「口話法」はろう者を健聴者世界に近づける手段・言い換えれば健聴者中心の考え方からくるものだ。


私はイスラム教徒ではないけれども原理主義者でありたいと思っている者で、原理主義者の目から見れば、ろう者世界は「手話」という「音声語」に比肩する言語世界の住人なのである。
ろう者が「音声語」を学ぶことは不可能だが、健聴者が「手話」を学ぶことは可能だ。
よってお互いの交流は、健聴者の手話学習によって始まるとしかいいようがない。


「ろう者」を「聴力障害者」と呼び変えたり、あるいは「障害者」を「障がい者」と呼び変えたりするのが最近の風潮だけれども、そういう言葉殺しをやるよりも彼我の本質を考えることが原理主義者の仕事です。

2011/02/11 (金) もう週末か


建築設計事務所に勤務していた時代に可愛がっていただいた先輩のKさんから電話がかかってきた。
「既存鉄骨建築物の改修計画があるので、設計を手伝ってほしい。一緒に金沢まで来てほしい」という内容のもの。


三月議会までのしばらくのあいだは比較的ゆったりした気分で過ごすことができるので、快諾した。私にはK基金を確保しなければならない義務があるのだ。


昨晩、私は妻に右足をさすってもらった。毎晩コタツで寝るせいか、太股あたりが低温火傷となっている。加えて全体がむくれている。
「3年前の脳内出血から奇跡的に回復したカラダや。ありがたいと思って気をつけなければならない。毎日雪かきをやっているけど、雪かきはカラダの負担にもなり得る。
整骨院で診てもらうことが大切や」と言われた。
そして妻は禁止事項を列挙した。
・塩分のとり過ぎはダメ
・ミルクはダメ
・煙草はダメ
エトセトラだったが、私の一番好きな「〇はダメ」とは言われなかったのでちょとだけ安心した。
私は冬の澄み切った空が好きだ。見上げていると凛とした気分になる。
けれども、現代人はその空に対して懸念を思わなければならないのかもしれない。


例えば
山谷えり子議員「電磁波に関する質問主意書」


きょうの昼、私は名泉峡へ議会報告のためにS氏を訪ねた。
なんせ今回の市議選で最下位当選だった私の数少ないかつ顔のわかる支持者だ。
私は資料片手に最近の議会状況を懸命に報告した。
S氏の家を出るとあたりは雪だらけだ。


あわら市は広い。

2011/02/10 (木) 坂井地区介護保険広域連合議会


朝飯を食ってリハビリを兼ねての雪かきに精出していたら、小雪が舞い降り始めた。
きょうも寒い一日になりそうです。


午後5時、ただ今「坂井地区介護保険広域連合議会定例会」を終えて事務所に戻りました。
本日の一般質問者は3人で、私は先陣を切って質問席に立ったのですが、質問者は、民主党・共産党・公明党とバラエテイに富んでいました。


ですが
地方政治に政党など関係ないと思います。
私も一応民主党員となっていますが、実体は自分でもようわからんのです。
質問の骨子は、後日このホームページにアップロードするつもりです。


連合長の橋本氏は議会終了時に「今回の議会が連合長として最後の議会です」と挨拶していました。


何故ならば、春にあわら市市長選があるからです。
任期いっぱいつとめあげてご苦労さんでした、と私は言いたい(義理でもね・・笑・・)。

2011/02/09 (水) きょうは原稿書き


昨日の夕刻に来訪した知人男性から僕は誉められた。ひとからけなされることはあっても誉められることなど絶えてなかったことだ。


「4年前に学校問題で荒れていた頃、普通に常識的に発言し行動していた議員は、XさんとYさんと牧田さんだった。常識的に振舞うということはむつかしい。」というのが誉め言葉だった。


僕は非常に嬉しくなって、思わずにこっと笑った。
「そうそう、その笑顔が魅力なんや。忘れたらあかんよ」といわれた。


それはともかく
結果など気にせず自然体で生きていりゃどうしても地味になる。しかし地味で常識的な態度こそが大切だと思うのだ。
ツバキ回廊を歩こう♪
本日の午後、組頭先生が持ってきてくださったパンフをアップロードしました。
組頭先生とは風発のことはじめいろんなことを話し合ったのですが、ここでは詳述を差し控えます。

2011/02/08 (火) 熱々珈琲を飲みながら


数日前の来訪者と大相撲八百長問題に話のテーマが移った時、来訪者は「地位を維持するため生活を維持するためや。八百長がないはずないやろ」と言った。


本日の福井新聞22面に「角界存亡・暴露の2人同日に死去・同じ病院同じ死因で」の記事が載っている。
元横綱の八百長を週刊誌に暴露した元大鳴戸親方とそのタニマチが1996年の同じ日に同じ病院で同じ死因で亡くなったという極め付きの不自然さを書いているものだ。
当時、僕もこの週刊誌を毎週買い込んで興味深く読んでいたのを覚えている。


問題は、協会がこの暴露を相手にせず、マスコミもこの記事に言及することがなかったということだ。
①協会の名誉・威信を傷つけたくない。
①青少年の夢を壊したくない。・・このあたりがその理由だろうが、勿論、それは本末転倒だ。


相撲社会にも、一般社会と同じく闇社会があるのだろうが、その闇社会の一部がメール送受信によってあらわになってきたのは極めて今日(こんにち)的な現象といえる。メール覗きという個人情報保護違反重々承知的行為によってあらわになったという意味で。


連日のように誰彼からともなく、「〇〇氏(旧金津町在住)はあわら市市長選挙に出るんですか?出ないんですか?」という電話がかかってきて、当事者でもない私は返事に窮してしまう。
〇〇氏は15年前からの知人だし、〇〇氏の懐刀とも言うべきひとは、僕の中学時代のクラスメートなので、双方から話を聞くことはよくあるが、もうひとつ底意のわからない部分がある。
思うに
ひとが一番わからないのは、自分自身のことじゃないだろうか。
私なぞいくつもの顔を持っているが、その顔が実像なのか仮面なのか、自分ではわからない。
清潔なのか不潔なのかわからない。厚顔なのか従順なのかわからない。場当たり的なのか慎重居士なのかわからない。陽性なのか陰性なのかわからない。
もてるのかもてないのか・・これだけはわかる。


今朝竹田川堤防に行ったら、2月7日の日記に書いた緊急進入路の捨雪がキレイに除雪されている。



坂ノ下区長さんが、市役所に言いに行ってくださったおかげだと思います。
関係者の方々、ご苦労さんでした。

2011/02/07 (月) 昨日の日曜日


昨日の午前中は坂ノ下青壮年団出初式と檀家寺の護持会総会に出席。
総会のあとに出された弁当を持ち帰り、ウイスキーをなめながらぱくついた。


午後はコタツに入って就寝。連日の雪かきで疲れていたせいかなかなか寝覚めない。
夕刻に起きて妻手作りのラーメンを食べてから又就寝。
起きたのは今朝の5時半だ。
結局、15時間ほど寝ていたことになる。


やらなければならないことがいっぱいあるのに、俺はなんと怠惰な男なんだろうとひとまずは思うが、いいのだいいのだこれでいいのだ人生なるようにしかならないのだと、思いはすぐ切り替わる。
名古屋市長選で圧勝した河村たかし氏は自転車行脚が好きなひとで、(確か)昨年福井へ来た時も、小雨降る西武前を自転車で走っている。
「10%減税」が妥当なものかどうかはよくわからないけれども、「市議報酬半減」はわかる。
いくら大都市とはいえ、名古屋市議の報酬は高過ぎると思う。

私の自宅の後ろの竹田川堤防沿いに消防車進入路がある。
そこが捨雪で一杯だ。モラルの崩壊だ。もしも近辺で火災が発生した場合、取り返しがつかないことになる恐れがある。
こういう緊急進入路での捨雪を是非とも止めていただきたい。

2011/02/06 (日) 昨日の一日


昨日の午前中は、国際交流会館で民主党県連第12回定期大会が開かれた。



大会終了後は、国会議員藤村修氏を囲んでの昼食会。


裏話を聞けてこちらのほうが面白かった。


夜は芦原温泉某旅館で八幡会新年宴会。
隣席は大の競艇ファンだ。そのひとから、競艇の奥深さをたっぷりと教えていただいた。


ビールと焼酎ですっかりいい気持ちになってトイレにたった時、旅館の女将から廊下で声をかけられた。
「牧田さんのブログをたまに覗いてます。いろいろ大変でしたね」と言われて思ったのだけれども、こういう場合にすぐにうちとけることができるのもブログの効用かもしれない。


今朝の福井新聞24面に「えひめ丸 事故10年 米元館長が心境」の記事が出ている。
このての記事をみると、どうしても子をなくした親のほうに気持ちがすりよっていく。気持ちが制御できなくなる。正気と狂気の交錯だ。


2011/02/05 (土) 昨日の一日


昨日の朝、僕は松葉杖のカタログを眺めていた。
実に沢山の種類があり、値段もピンキリだ。和服用のものなど数万円もする。


しかし
19世紀の有名な建築家が「機能的なものは美しい」という名言を残している。確かに美は機能性の追求から生まれてくるのだ。
加えて言うと
徹底的な追及は、結果としてカタチをシンプルなものとする。「シンプル イズ ザ ベスト」なのである。


午後、僕は鉄骨構造計算ソフト「SS3」を動かしていた。ソフトプログラムの調子がどうもおかしい。メーカー代理店と電話連絡をとりながら四苦八苦しているところに、「ふるさと語ろう会」のK氏から電話が入ってきた。


2月25日(pm7:00-)に開かれる、山本幹男氏講演・「杉田鶉山翁の生涯」の会場「あわら湯の町公民館」に、鶉山翁のお孫さんがはるばる東京からかけつけてくださるとのこと。
興味のある方は是非ともご参加ください(無料です)。



晩酌ののち、コタツで浅田次郎著・「中原の虹」を一時間ほど読んだあと事務所にもどり執務に励んだ。「6時半就寝午前2時起床」という昼夜逆転の男は、普通の「早寝早起き」男に戻りつつある。いいことだ。

2月2日の日記に誕生日プレゼントのことを書いたら、あるひとから「私以外にもいたのね」と言われてしまった。日記とはいえ、プライベートなことを書くのはもう止めようと思う。
注、同じ2月2日の日記で同級生から間違いを指摘されました。
僕は63歳ではなくて62歳になったのだそうです。

2011/02/04 (金) きょうは命日


この数日、相撲界は八百長疑惑で大変だが、ラジオ派の私もニュースと大相撲だけはテレビ観戦するので、相撲界の今後が気になる。


20数年前、週間ポストに某暴力団親分の手記が載った。
親分は先代若乃花(花田勝治)と一緒に桟敷で相撲を見ていたのだが、土俵上の力士ががぶり四つになった時、若乃花が「あのやろう、また注射しやがって・・」と苦々しくつぶやいたというもの。


「注射」は八百長の隠語だが、私は若乃花のつぶやきに大変感心した。
力士が四つになった時は静止の状態だ。素人目には力が入っているのかいないのかわからない。けれども卓越したプロにはわかる。四肢や尻の筋肉のはり具合から力の流れを読み取ることができる。


人生も同じだ。
一生懸命やっているように見えても(見せても)パフォーマンスだけのひとがいたり、怠惰に暮らしているようにみえても内実はその逆であったりする。
自分の生き方を評価できるのは自分しかいないのだ。


そしてここが肝心なのだが
世の中にはひとの人生を見据えることのできる達人がいるということだ。

2011/02/03 (木) 無題


昨日の午前中は、市役所職員I君の葬儀に参列した。私もいろいろと世話になった職員であり43歳という若い年齢での死であることからも、残された遺族の衝撃がしのばれる。


「残された遺族の心中を察するに・・・」という異口同音の弔電披露を聴いていて、私は「・・・心中を察することなどできないだろう」と思った。


11ヶ月前に長男をなくした私が葬儀の時に喪主としての挨拶をする際、出てくる言葉は夢現(ゆめうつつ)から出てくるそれだった。頭のなかは全くのからっぽだった。涙を流す余裕など勿論なかった。


落ち着いて涙を涙を流すことができるのが何年先か何十年先か、それはわからない。
それまでに死んでしまうだろうが、しかし私には残された愛するふたりの子供と愛する妻がいる。
その宝がいる限り、生き続けようとするのが私の義務だ。


今朝、立正佼成会あわら支部で支部長と話をしていて、改めてその意を強くした。

2011/02/02 (水) 熱々珈琲を飲みながら


20数年ぶりの豪雪も峠を越したようで、この時刻(午前4時半)の空気に昨日までのような肌刺す冷たさはない。
ところで
豪雪に悲鳴をあげている最中に私は62歳になってしまった。
妻が煙草の大きさほどのチョコレートケーキを食卓に置いてくれた。
お袋が「忘れていたけど、誕生日おめでとう」と言ってくれた。
妹が「ハッピーバースデイ」の電話をかけてきてくれた。


何人かのガールフレンドたちが人目を忍びそっとプレゼントを持ってきてくれた数年前までと比べると、隔世の感がする。
これはいわゆるひとつの人生の真実というものなのだろう。
50歳までの私が持っていた(自分でいうのも変だが)美しい肌と容姿の端麗さが衰えつつある。
衰えないものをひとことで言うと人格か。
この言葉をキーワードにすることで、私の余生は開けてくる。


ところで
この歳になって初めて日々の忙しさに追いかけられている。
周囲を見渡しても還暦をすぎたひとたちの頑張りが目に入る。社会的義務から解放され、自分が本当にやりたいことをやれることの充実感がそこにあるようだ。


ところで
私の今朝のしごとは、事務所駐車場の氷砕きから始まった。一面に張っている氷のスコップの刃先が入らない。
仕方がないので、道具箱から金鎚を取り出し堅い氷に立ち向かった。ひとしごと終えて一服していると、自宅横の路上からざわめきが聞こえてきた。


市のゴミ回収車が積雪のために立ち往生している。



私と妻は台所からお湯をバケツリレーして救出を支援した。

車が動き出した時
回収車の乗組員ふたりの若者は、「ありがとうございました」と頭を下げた。好青年たちである。
若かった頃の私にあのような礼儀正しさがあっただろうか。

2011/02/01 (火) 無題


今朝はあわら市議会臨時会が開かれた。
議案
議案第1号 専決処分の報告について(平成21年度 金津中学校屋内運動場耐震補強・改修工事請負契約の変更)
議案第2号 専決処分の報告について(平成21年度 北潟小学校校舎耐震補強・改修工事請負契約の変更)
議案第3号 平成22年度あわら市一般会計補正予算(第5号)
議案第4号 芦原温泉上水道財産区管理委員の選任について
以上です