2011年11月

 
2011/11/30 (水)  11月最終日


昨日は12月議会定例会初日。市長の行政報告や提出議案の説明などがあって、本会議は午前中に終了。
午後は全員協議会が開かれ、議会活性化特別委員会の丸谷委員長がこれまでの進捗状況を説明した。
委員長がこれからの議会or委員会が「全て原則公開」を目指している旨を伝えたところ、議員から「インターネット公開にすべき」との意見も出た。

今の議員の任期もあと一年半。
次の議会に誕生する議員さんたちは、新しい空気を吸うことになる。



お知らせ 牧田事務所駐車場が完成しました。
どなたさんもお気軽にどうぞ。


2011/11/29 (火) 本日は本議会


昨日の午前中は、「議会議員・商工会役員懇話会」が開かれた。出席議員は7名。
議題としては
(1)あわら市商工会の財政状況等について
 あわら市管内事業者・会員数等の推移
 あわら市商工会収支決算状況
 商工会の主要事業について
(2)今後の商工会運営について(意見交換)
 商店街活性化条例の制定
 中小企業振興対策補助制度の創設  の順で進んでいった。


ここ五年間で管内事業者数が百以上減っている。つまり先行きに見通しがなく廃業に追い込まれた事業者の数がそれくらいあるということだが、大手資本による市内中小企業者への圧迫が強く、商品の値段では太刀打ちできないのが実情であることは誰もが知っている。


行政には市内事業者の存続・育成に尽力する義務がある。
しかし商売は広域だ。バリアーがない。より安いところで買うのが消費者の本能であるとするのならば、どこかにセーフテイネットをかぶせて市内事業者を保護しなくてはならないだろう。


2011/11/27 (日) 昨日の一日


昨日の午前中、新居のウッドデッキに座って一服していたところ、車が止まってひとりのおじさんが下りてきた。


「あんたら議員はなにしてるんや。デマンドバスなんか賛成しやがって・・。わしら年寄りにとってコミュニテイバスは大切な足やったんやぞ。年寄りの足を奪うのに賛成するなんて最低や」と、えらい剣幕で言い寄られた。


デマンドバスは空気バスと呼ばれていたコミュニテイバスの欠陥を是正するためのものと思うけれども、問題は¥600-という利用
運賃の高さだろう。先日訪問した世羅町の場合は¥300-だった。


2011/11/25 (金) 手話サークル再開


昨晩は、約半年ぶりに手話サークルを再開。6人が事務所に集まった。新しい事務所で顔を合わせるのはやはり気持ちがいいもんだ。介護施設に勤めるニューフェースがふたり来て、手話の基本レッスン終了ののちは、第五期介護保険計画のことに話のテーマが移った。
そこで思い出したのだが、一昨日に坂井地区介護保険連合議会議長と話をしていた時、彼は「見守り介護」のことを盛んに言っていた。被介護者と介護者との間の自立的な関係。これがこれからの大きいテーマとなっていくだろう。


サークルの途中に金津町のVIPが酒を携えてやってきた。
「大吟醸・越前岬」

口に含むと甘くてマイルドだ。そのへんの酒屋には置いていないしろものだ。


午後9時半にサークルは終了。事務所の外に出るとしとしと雨だ。
「駐車場まで少し距離がある。君たち美しい女性たちにこの闇は危険だ。ぼくが送って行こう」とエスコートを申し出た。
「牧田さんは傘を持ってないのですか?」と聞かれたので、
「ないない・・・だから相合傘で行こう」と答え、一番美しい女性の傘に入った。


こうして昨晩は終わった。
2011/11/24 (木) 昨日の一日


昨日は、午前8時から坂ノ下村社・八幡神社境内の清掃から始まった。朝陽を浴びながらこういう作業をしていると凛とした気分になる。明治以前の日本神道には国家イデオロギーは付与されておらず「清浄にして又清浄」のみが教義であったことがわかる。



9時半には椚公民館へ。



かりんて祭の開会式のためだが、今年は30周年とかで、いつもの年と比べて、より、にぎやかな感じがした。知人と顔が会うと「牧田さん、脚が悪いんか?」と聞かれる。
脚がマヒしつつあるのは「生病老死」という人間の一生の自然過程をたどっているだけのことで、ぼくの場合は同年輩の同僚よりその過程がはやいだけのこと。換言するならファーストランナーなのだ。リハビリに励もう。


午後一番で越前市の福祉健康センターへ。



原子力・エネルギーの安全と今後のあり方を真剣に考える会「設立総会及び第1回勉強会」が開かれたため。
2011/11/23 (水) 本日は秋の例大祭


昨日の午前中は全員協議会。午後は元栗山町議会事務局長・中尾さんによる講演会・「全国に広がる議会改革」が開かれた。





議会改革・活性化は、二元代表制としての一方の側である議会の動きを市民の前に顕わにすることである。行政側とのやりとりや議員どおしの自由討議の全てを公開することである。


聞いていて思ったのだが
こういう動きの成果は小さな自治体の方に、よりその可能性がある。大きな図体では小回りがきかないのだ。


先日の視察研修で、京丹後市の議長は、「議会基本条例が議決されてからは地区推薦による議員が誰もいなくなった」と言っていたが、その兆しが当市にも見えてくるだろう。いいことだ。


2011/11/22 (火) 昨日の一日


昨日の午後1時半からは、兵庫県猪名川町議会広報編集委員会のみなさんを委員会室に迎えての広報編集委員どおしでの意見交換会。
出色の「議会だより」をつくっているわけでもないあわら市議会を訪問先に何故選んだのかは不明だが、それはともかくとして、猪名川町の場合には編集紙面の細部に渡ってが委員だけでの手作りであることを聞いた時、あわら市広報編集委員会側は感心したし、又、反省もした。何故なら紙面のレイアウト等を事務局に頼っているからだ。


議会活性化特別委員会は、現在、任務をふたつに分けて討議を積み重ねているのだが、そのうちのひとつでぼくの所属する議会条例策定分科会が3時半から開かれた。
条例づくりも文言整備の段階にまできているのだけれど、これには、先月視察研修した先である伊賀市議会・京丹後市議会での助言が大きく役立っていると思う。
そういえば、本日は、条例化先進市である北海道・栗山町の議会事務局長が当市を訪れ、市職員・議員対象に講演会を開く予定となっている。


ふたつの委員会が終了した時は既に7時を過ぎており、疲れた。
自宅に戻り熱い風呂に入ってから布団にもぐったのだけれども、なんとなくの不安が胸の中を去来して寝付かれなかった。
神経が繊細であるということは、人生で損な役回りを演じることであるのかもしれない。

2011/11/21 (月) 新しい週の始まり


昨夕は友人夫妻の来訪があり、夫婦どおし四人での懇親会となった。
「牧田さん、事務所が新しくなると外へ出たくなくなるのではないか」と言われたが確かにその通りで、ぼくのこれからの人生は、この事務所で肩のこらない来訪者たちと、あわら市のこと・歴史のこと・エトセトラを語り合うことが主軸となっていくだろう。


中国を行き来している友人夫妻との会話テーマは、必然的に現代中国世相論となった。夫妻は毎週土曜日に開かれる中国語学習会に参加しているとのこと。「この歳になってから母語以外の言葉習得のために頑張るのはスリリングで頭の体操になる」と言っていた。



2011/11/20 (日) 無題


金津図書館で借りた中国帰還者連絡会編・「私たちは中国でなにをしたか(元日本人戦犯の記録)」を読み終えた。戦後、ソ連に抑留され過酷な労働に従事する数年間を送ったのち、戦犯として中国(新生中華人民共和国)政府に引き渡された元日本軍人1000人のなかの何人かの手記だ。


戦後42年を経て1987年に発行されたこの本のなかでの投稿者つまりBC級戦犯たちはすべて実名だ。中国侵略の発動者たちは「平和に対する罪」として東京裁判の判決にその罪の軽重を委ねられたが、下士官を中心とする彼らはその尖兵として戦地に赴き、戦後、BC級戦犯となった。
戦時の狂乱のなかで民間人を殺し強姦した罪状を自ら告白し裁きを待つ身となったのだが、裁く側の中国政府もっと言えば周恩来首相の態度は、国際情勢の変化も理由としてあったのだろうが、ひとりを罰することもなく日本へ帰国させたのである。


帰国した側が、42年後に、自分の恥を省みずこのような手記を発行した気持ちもよくわかる。人間誰しも死期が近づくに連れて、暗部を告白したくなるものだ。それを善意と呼べるのかどうかはわからないが、人生を総括したいという思いが本能として出てくるのではないか。


2011/11/19 (土) 未明に熱々珈琲を飲みながら


今回の厚生経済委員会視察研修先。
第一日目は岡山県総社市だった。
「NPO法人 吉野工房ちみち」代表理事・加藤せい子さんが、まちの魅力再発見に取り組む姿勢を語った。



「行政依存ではダメ。市民の間での盛り上がりが鍵よ」と、まあ、最近ではどこでも言われていることを聞いたが、ここ総社市及びその近辺に4000程の古墳があると聞いた時には興奮を覚えた。さすが、吉備真備ゆかりの国だ。


二日目は島根県大田(おおだ)市。




「石見銀山遺跡」と「おおだブランド認証商品」を軸に市の活性化を図っているところ。
市内でつくられている食材やお菓子を認証するということは確かに新しい試みで価値があるとは思うが、じゃあ、認定されなかった商品はどうなる。可愛そうだ。商店どおしの対立を潜在的につくってしまうのではないか。ぼくはそういう懸念を抱いた。


「石見銀山遺跡」の説明については、自称郷土史愛好家のぼくは熱心に質問もした。
銀山が採掘を開始したのは戦国末期とのこと。当時の世界は銀本位制を採用していたので石見産出の良質銀は西洋世界から引っ張りだこ。世界の三分の一がここ石見という説明には、日本国民としての誇りを感じた。
銀山は約百年前に、四百年に渡る採掘の歴史の幕を閉じた。
今では数百人しか住んでいないこの地域も、採掘の最盛期には大都会であった。高給に惹かれて採掘人が集まってきたわけだが、粉塵公害のせいで、みな若くして冥界へと旅立ったそうだ。勿論その頃は公害保障の考え方などなかった。
歴史の栄光の陰には常に悲惨がついてまわっている。


三日目は、早朝に出雲大社を訪れたあと、広島県世羅町に入った。
余談だが、ぼくは出雲大社で、「先日紛失した財布が出てきますように」と祈願した。

そのかいあって、昨日、財布はマイカーから出てきた。心配してくださった同僚議員の方々に対しまして、心から御礼を申し上げます。


世羅町はデマンド交通で有名な町。下の写真は管制塔の作業風景だ。

デマンドタクシーは片道300エンという安さで、あわら市が来年度からやろうとしている料金体系との間にはかなりの差がある。
2011/11/15 (火) 夜明け前に熱々珈琲を飲みながら


ただ今午前4時。視察研修の為、6時20分には市庁舎を出発する。
でも、その為の準備をしているさなか、ぼくは大きなへまをやらかしてしまった。イージーミスで書くのもはばかれる。考えてみるとこのところトラブル続きで自己嫌悪に陥ったりネバーギブアップと自らを奮い立たせるのに忙しかった。


今、パソコンデスクの前に座ってつらつら考えるに、人間60歳を超えると後ろ向きになってくる。「大人は子どもの夕暮れ」という人口に膾炙した言葉があるが、実際、幼かった頃の思い出が走馬灯のように脳裏を巡ることたびたびだ。


それが是か非かはわからないが、人間の一生の流れはそういうふうに構成されているのではないかと、ぼくは思う。


2011/11/14 (月) 新しい週の始まり


外出せずひたすら自宅にこもっていた週末も終わり、きょうから新しい週が始まる。


今週は厚生経済常任委員会の視察研修が予定されており、次の週になると全員協議会があって12月議会定例会へとつながっていく。
忙しいスケヂュールのなか、気を新たにしてやっていこうと思います。


ところで、日本シリーズの第一戦と第二戦をテレビで見てていたが、どちらも見応えのある試合やったね。ぼくはひたすら阪神ファンだけれども、そのせいか日本シリーズではどうしてもセントラルチームを応援する。
一戦.ニ戦に出てきたピッチャーが双方一流なので投手戦となったが、紙一重で中日の勝利となった。あるいは、日頃変人と呼ばれている落合監督の底力が勝利を呼び寄せたのかもしれない。

2011/11/12 (土) 昨日の一日


昨日は議会活性化特別委員会が開かれた。先月行った伊賀市議会、京丹後市議会で聞いた条例化へ向けての問題点の洗い出しが意見交換の中心軸となったが、これまでの委員会の討議の積み重ねにつては12月議会前の全員協議会(11月22日予定)で、委員長が発表するてはずとなっている。参考までに、あわら市ホームペ-ジの「議会活性化特別委員会について」を御覧ください。


夜は、福井市の問屋センターで、連合福井地域協議会の「第三回定期総会」が開かれ、ぼくは来賓として出席した。
会が始まる前の控室で、隣に座っていた福井県社民党代表の若山さんに、「普天間問題どうなりますかね?」と聞いたところ、「決着するはずないでしょう」という答えが返ってきた。
会の冒頭挨拶で福井県民主党代表の糸川さんが、「TPPはじめ諸問題で、民主党内には両極の意見がありますが、福井県選出四人の国会議員は志をひとつにして一枚岩で頑張っています」と述べていた。
しかしどの方向に向けて一枚岩なのかよくわからなかった。
2011/11/11 (金) 昨日の一日


昨日の午前中は富津地区に居た。富津ブランド薩摩芋倉庫増築の現況計測が目的。計測する傍で年寄り男女がかいがいしく働いている。秋のいろんな収穫物の匂いがただよってくる。
まちうちに住んでいるぼくにとって羨ましいかどうかは別として、確かにほっとする生活空間だった。


午後は坂井地区介護保険連合運営協議会が開かれた。
主だった説明項目は、第5期介護保険事業計画策定について。



下の写真は去る10月14日の夕暮迫る丹後半島・宮津湾のほとりに佇む私。



2011/11/10 (木) 無題


去る7日に坂井地区介護保険広域連合議会が開かれたが、本日は運営協議会が予定されている。
昨晩の来訪者二人から、介護保険第五期計画のことをいろいろ聞かれて思ったことはやっぱり保険料の値上がりの可能性について。


現在の月額は¥四千百円なのだけれども、第五期つまり平成24年度からは¥五千数百円になるだろうと言われている。値上げせざるを得ないことはわかるけれども、実感としてその幅が大きくとまどいが残る。


国保もそうだが、経営が逼迫すれば値上げの方向に行かざるを得ないので、どうしても将来が心配になる。


2011/11/09 (水) 久し振りに


この一ヶ月間、ぼくはある問題に追われ続けてきたし続けている。当然このブログを書く余裕などなかった。


ある問題と書くと、読者のなかには「おおー、又、女性問題か!」と思われる向きもあるだろう。嫉妬を感じる女性も複数おられるだろう。


女性問題であったならば「死の棘」を書いた島尾敏雄のように人間存在の根源を問う契機としただろうが、生憎とぼくは卑俗でかつそれを可能ならしめる文章力もない。


ま、そんなことよりも、結論的には、このところの議会情報(大きいところではエルデイ利活用、給食センターのこと、第5期介護保険計画等)を発信できなかったことに悔いが残る。


今朝、この短文を書いていてわかったこと。
なんでもいいちょこっとでもいい、書くことだ。書くことがカタルシスになっている。

本日もぼくの安否確認の電話が二件。


「牧田、生きてるんか。生きてるんならなんでブログ」を書かんのや。生きてるんならそれでいい・・・ガチャーン」だ。


ぼくは団塊の世代としてことさら長生きしたいとは思わないが、生きている限りは生きていたい。・・なに言っているのかわからないようになったが、ある警句家が言った言葉・・「人生はB級映画みたいなもんだ。観ていてつまらないと思う、しかし途中で退席したいとは思わない」だ。