2011年12月

2011/12/31 (土) 年末の挨拶


この日記を御覧の数少ない善男善女のみなさん。みなさんにとって今年一年はどういう年であったでしょうか。


3月11日に発生した東日本大震災による大津波・福島原発事故が私達にもたらした精神的影響の大きさは計り知れないものがあります。私が青春時代を過ごした神戸を襲った阪神淡路大震災の時と比べて、受け取り方に大きな違いがあるような気がするのですが、うまく言えません。


しかし
その後大合唱となった「頑張れ日本!」のキャンペーンは、ひねくれ者の私には少々異和感の残る言葉であり、むしろこの言葉の網の目から抜け落ちていくひとたちと目線を同じくしなければならないのではないか、というのが私の思いでした。
東北の地へ奉仕活動に行かなければと思っても、この体ではどうにもなりません。彼の地のひとたちに迷惑をかけて野垂れ死にするのが関の山です。


心と体に落差のあることは、それはそれで悲しいことです。
社会に対しての「何故なんや」という思いと、自身に対しての「何故なんや」という思いが交互にこだましあうというのが、実人生の宿命ではないかとさえ思います。


その意味で、今年吉崎で講演した山折哲雄さんの発したキーワード「無常」は、その後の私の心をとらえています。
個人の死の累積の上に共同体としての日本社会が存続しているわけですが、共同体の死ももしかしたらそんなに遠いところではないのかもしれません。


そんなことを考えながら下向き加減に道を歩く私の顔は、黒い顔から黒く暗い顔に変貌しておりました。
そこで、来年は明るい顔をして歩いていこうと思います。


そのための座右の銘は、やはり次の言葉です。


生きている限り 死は来ず
死んだときには われわれは存在しないから
したがって 死を恐れる必要はない   エピクロス



ではみなさん、いいお年を。


2011/12/30 (金) 昨日の続き


昨日の日記に3年前の入院のことを書いたところ、いろんな思い出がよみがえってきた。
入院病棟は社会の縮図である。


四人相部屋隣のベッドは高速道路での交通事故入院患者。事故による衝撃のすさまじさを何度も聞かされた。
リハビリを一緒にやっていた若い女性は「今回が二回目の脳梗塞発作入院で、私はもう駄目かもしれない」と言っていたが、退院後に私は新聞「おくやみ」欄に彼女の名前を見た。
高校生の時に脳発作で倒れ、以来、社会へ出たことがない、というひともいた。
癌で余命いくばくもない、というひとの語りは無常観を持った哲学者のそれのようだった。


ロビーで夜な夜なこういうひとたちから話を聴くという数ヶ月の体験が私の人生観に影響をおよぼしたことは当然で、薄汚れたしゃばでは会得できない貴重な体験だった。


生と死の端境にあろうがなかろうが、私たちひとりひとりは懸命に生きている。


2011/12/29 (木) 無題

昨日の午後は、三人の「ふるさと語ろう会」会員が来訪。話題は吉崎のこととなった。わたし達にとって吉崎と言えば蓮如、蓮如と言えば吉崎である。
蓮如上人記念館のホームページを開くと、第三回清浄講(2009年)に講師として立松和平が来ていたことがわかる。

当時の私は脳内出血で倒れ退院後に自宅療養していたが、作品「春雷」に惹きつけられ、その後本が出るたびに読んできた。


近年は小説よりも永平寺の開祖・道元のことを書いたりして、どうも越前との関わりを深くしてきた。このあたり、彼の兄貴分・五木寛之とよく似ている。
平成22年に多臓器不全で死んでしまったが、私よりも一歳年上。
脳溢血で倒れた男の手記・「大熱血闘病記」(永倉万治)を読んでいたら、自分と重なるところが多いのに驚いた。
私が脳内出血で倒れたのは3年前の10月。意識不明下、救急車で大学病院に運ばれ、意識が回復してからも絶対安静の点滴責め。やっとベッドの上に座ることができるようになってからも大学病院からは雑誌の閲覧を厳しく制限されていた。リハビリ以外にすることがないのはなんとも辛い。唯一の楽しみは看護婦さんに介添えしてもらう週二回の入浴だった。
私は白いノートにボールペンで日記をつけ始めた。退院時、ノートは150頁ほどにもなった。
新居完成後、引越しの時にそれを発見し改めて読み返してみたのだが、殆ど読めない。行は斜めに走り行間はてんでばらばらだ。90%以上がひらがな(というより読めないひらがな)で、思うに頭は分裂状態だったのだろう。


二日ほど前、妻にそれを話したところ「倒れる前も倒れたあとも現在でもおんなじや。話がいつもばらばらに脱線する」との答えが返ってきた。


2011/12/28 (水) 機関車先生


伊集院静原作の「機関車先生」をDVDで観た。


昭和30年頃、唖者の青年教師が瀬戸内海の小島の小学校に臨時教師として赴任してくる。受け持ち児童と青年教師との心の交流を描いた映画。


耳が聞こえないひとのことを聾唖者と言う。そして、聾は聞こえない、唖はしゃべれないを意味する。聾の場合、自分の発声を自分で聴くことができないので健聴者には不明瞭な発音となってしまう。つまり二次的な障害としての唖であり、聾唖と呼ばれる所以だ。


私はそういう人たちとの付き合いはあるが、青年教師は剣道の大会で喉元を突かれ「唖」となった。という設定で登場する。
「聾」にしろ「唖」にしろ、思いを運ぶ容器が手話であることを改めて実感した。


ところで、原作者の伊集院静はギャンブル(特に競輪)と酒が大好きな小説家だ。今の妻は篠ひろ子だが、前妻は美人モデルとして有名だった夏目雅子。癌で早世した。


彼女がどこかの化粧品会社のモデルとして世間の注目を集めていたある年の夏、ポスター写真の片隅に「夏してますか!」と書いてあった。


そして、その夏に届いた私のGFからの暑中見舞いにも「夏してますか!」と書いてあった。私は「暑いのでしてません」と、返事を書いた。


数日後電話がかかってきて、「バカねえ、牧田くん。あれは、「夏を楽しんでますか」という意味なのよ」と嘲笑されてしまった。懐かしい思い出だ。


ということで昨晩は芦原町でビールを飲んで騒いでいた。
「飲酒運転をしない」を主義としている私は、車を置いて家に帰り、今朝の未明に徒歩で車をとりに行ってきた。徒歩時間45分。いいリハビリだった。


2011/12/27 (火) 昨日の一日


昨日の午前中は、広報編集特別委員会。今までの「議会だより」の編集は事務局に任せっきりだったのだが、それぞれの割り当て記事に関して委員が校正までを受け持つというカタチになった。
来年度からの「議会だより」は、いい意味でもわるい意味でも読んでの印象が変わっていくだろう。


昼食をはさんで午後からは議会活性化特別委員会が開かれた。主題は「議会基本条例」素案のチェックと、先日開かれた「議会報告会」に関しての反省。両委員会はいずれも今年最後の会となった。


夜は某居酒屋にて10人集合の納会が開かれ、私は牡蠣フライをサカナにした寡黙酒を楽しんだ。


白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
      酒はしづかに 飲むべかりけり  若山 牧水

                                なのである。


夜半にほろ宵で居酒屋を出た。
見上げると漆黒の闇だ。そこから風のうなりが聞こえてくる。
現世に居るのか冥界にいるのかわからない不思議な気分を私は感じた。


 2011/12/26 (月) 昨日の高校駅伝 

雪模様の昨日は一歩も外へ出ず、事務所で「議会報告会実地報告書」を書いていた。疲れてTVをつけたら全国高校駅伝をやっている。
一位を独走しているのが広島県の世羅高校だったので、先月の厚生経済常任委員会を思い出した。


研修三日目に訪れたのが世羅町役場で、同町がやっているデマンド交通を説明してもらった。説明が終わってから、役場職員の「年末の高校駅伝、世羅高校をよろしく御贔屓に」と言われたので「福井の地から、優勝を祈ってます」と答えたよ。


世羅町は中国山脈の山あいにある人口1万7千人の小さな町で、住民の気質もおっとりしているように思えたが、その町の縦横に延びる上り坂下り坂を駅伝部員は練習路として日々懸命に足腰を鍛えているのだ。多くの市民が駅伝部に対してボランテイアサポートをしているとのこと。


ダントツの一位優勝でよかったよかった。福井の鯖江高校も大健闘でよかったよかった。


 2011/12/25 (日) 昨日の朝


予定時刻までに工事現場計測を終了した私は、車を加賀の片野海岸へと走らせた。
海岸べりの喫茶店で焙煎コーヒーを飲みながら眺める日本海の荒波は激しい。サーフィンスポットとして知られる所以だ。





吉崎古道を通っての帰り道、堤に浮かぶ一匹の鴨を発見した(助手席撮影)。




遠くシベリアから避寒のためにやってきたのだろう。

 2011/12/24 (土) 今年もあと一週間だ


「昭和の名演説」をDVDで観た。
戦前において、永井柳太郎は中野正剛と並ぶ名演説家だったという。
観ているうちに、永井道雄が画面に出てきた。そして、「父の思い出」を語り始めたので私は驚いてしまった。


永井道雄は昭和のある時期に文部大臣をやっていた。その頃、福井市の文化会館で全国図書館大会が開かれ、来賓のひとりとして彼も出席した。
彼の挨拶をたまたま手話通訳したのが私だったので、「世の中には縁というものがあるんやなあ」と驚いた次第。


永井道雄のしゃべりや物腰は柔らかで、今思えば気品に満ちていた。「世の要職を占める全ての人間は、権力闘争を勝ち抜いていくのだから、その裏側で二枚舌をつかって狡猾さを育てていく」というのが若い時からの私の信念なのだが、彼にそういうものは感じられなかった。


育ちなのだろう。育ちの環境のなかに余人には獲得できないものが絶対にある。
「敦賀気比の松原に天女がたまのような赤ちゃんを置いていった」というのが、知る人のみぞ知る私に関する噂なのだが、「立居振舞に独特の優雅さがある」と、ひとから時々言われる所以であるのかもしれない。


 2011/12/23 (金) もう週末か


昨日の午前11時から、「ふるさと語ろう会」の忘年会が「よしの」で開かれ、顧問の小説家・中島道子さんが、タイトル・「北の庄落城異聞」の講演をしてくださった(私は司会の任をこなした)。





講演のなかで,三大大衆文学作家と呼ばれる人たちに触れた。
「山岡荘八はごたくを並べる。司馬遼太郎は女を描けない。男も女も描ける吉川英治が小説家らしい小説家だ。」と言っていたが、その三人のなかで司馬遼太郎だけを読んでいる私は「確かに司馬小説に女性は出てこないなあ」と思った。


「ビールを友として美味しい料理に舌鼓をうちながら、中島さんの話を聴く」というシアワセな時間帯を過ごしたのち事務所に戻った。
ソファーでうとうとしていたらVIPが高級焼酎を持ってきた。





夜になり、来訪者三人が帰ったあと、ひとりになった私は志野焼の猪口に少量を入れて一息に飲み干した。芋の上品な匂いがからだじゅうに拡がった。
自分が悲しいのか嬉しいのかわからなくなってくる。要するに酩酊で思考がマヒしてくる。
八百万の神が日本人男性に与えた最高の送りものは、(女性を除けば)芋焼酎ではないかと思った。


一昔前、日本列島では、「安楽死」をめぐっての論争があった。私自身は安楽死を望むものであるが、安楽死のなかでも最上級のそれは酔っ払って死ぬことつまり「酔っ払い死」ではないかと思う。




 2011/12/22 (木) 無題


昨晩も一昨晩に引き続いての議会報告会。会場がいっぱいになるほどの来場者の数だった。俺は一時間半立ち続けで、報告会が終了した時は、足腰と頭が非常に萎えていた。


本日の質疑応答で出たテーマとしてどういうものがあったかというと
①剣岳地区の(殆ど使われていない)広場についての利活用
①議会活性化基本条例素案のなかに、議員報酬の件が含まれていないのは何故か
①給食センター敷地購入に関して
①国民健康保険の赤字補填について
①旧金津町の金津祭りに対する行政補助の件
①整備新幹線の動向について   エトセトラだった


「議会報告会」の報告書をまとめ、あと一回の「広報編集特別委員会」をこなせば、今年の議会活動はほぼ終了の予定。
大変に忙しい下半期だった。


 2011/12/21 (水) 昨晩


昨日の晩は、「湯のまち公民館」で「議会報告会」が開かれた。
議長挨拶→議会活性化特別委員会委員長報告→総務文教常任委員会委員長報告→厚生経済常任委員会副委員長報告→質疑応答の順で会は進んだ。
質疑応答の時、参加したひとたちから多様な質問が出て、沢山の議員たちが答えていた。翻って俺自身は口を真一文字に結んで会終了までの一時間半、ひたすら手を動かし続けていた。


手話の聴き取り通訳をやっていると、質疑応答時に意見するひとのなかに通訳しやすいひと通訳しにくいひとのいることがよくわかる。
通訳しやすいひとの言葉とは
①論旨が明確
①言葉を飾らない
①話が冗長にならない   が挙げられる。
そしてこれらの感想は、健聴者の場合にも当てはまるだろう。


手話表現には、「日本語対応手話」と「伝統的日本手話」の二種類がある。
「手話の世界」が「音声の世界」にひきずられて、TVの手話ニュースや講演会の通訳は前者が支配的だが、手話の本当の魅力は後者にあるのではないか、と俺は思う。


これはつまり文化的アイデンテイテイの問題で、伝統とは翻訳することのできない部分を大事にすることができるかどうかの問題だ。自主独立路線・天上天下唯我独尊路線維持の問題だ。


 2011/12/20 (火) 朝刊を読んで


本日の朝刊は、「金正日死亡」一色だ。外交筋がこれからの北朝鮮の行方をさまざまな角度から予測しているが、日本人にとって拉致問題がどうなるかは最大の関心のひとつだろう。


子どもたちと共に特別機から出てきた地村さん夫妻が再び日本の地を踏んだ時のTV映像は今でも鮮明に覚えている。
いつだったか、地村さんの奥さんのお兄さんの講演を聴いた。未帰国の拉致被害者たちへの連帯の言葉は深いものだったし、拉致指示者・金正日に対する怒りの言葉は激しいものだった。


金正日死亡特集記事の片隅に、東日本大震災に関するこういう記事を見つけた。
「・・・震災から9カ月、ニュースの中心は死者から「復興」に移った。しかし、一番悔しい思いをしているのは、いつまでも死者である。その亡くなった人たちの「自然災害で死ぬな」というメッセージを私たちが受け取らなければ、2万人は浮かばれない。師走。復興も大事だが、自戒を込め、死者に対する思いを致す時間を持ちたい。」


ぼくにはそうとも言えないような気がする。一番悔しい思いをしているのは、亡くなった2万人の肉親・近親だ。

悔しい思いを忘れることができればどんなにいいだろう。しかし、決して忘れることはできない。


 2011/12/19 (月) きょうは手話の勉強


近所の庭の樹々の葉にうっすらと雪が積もっている。
去年と違って、今年はタイヤを既にスノータイヤに入れ替えた。よって、こういう風景を安心して見ることができる。(同じように配偶者を入れ替えたらどうなるのかな?・・・と思ったが、これは冗談。)


心あてに 折らばや折らむ初霜の 
          置きまどはせる 白菊の花     凡河内躬恒


百人一首のこの歌を初めて目にした時、「よっぽどの近眼でない限り初霜と白菊を見間違えるはずはない。変な歌や」と思ったものだが、歳をとるに従がってこの歌に味わいを感じるようになってきた。


事実認識などどうでもいいことで、眼前のモノが自分にどう映るかは自身の心の問題だ。心象風景だ。
どのみち、モノは全て朽ちていく。この世からなくなっていく。俺もどこか遠いところからこの世にやってきて、しばらくの間仮住まいをして、そしてどこか遠いところへ去っていく。


閑話休題
昨晩、某女性から文庫本(「永遠のO」百田尚樹著)をいただいた。今、読みふけっている。読了ののち、感想文をこのブログに書こうと思う。


 2011/12/18 (日) 昨日の一日


午前中は手話の勉強に追われた。議会用語の相当数は手話辞典に載っていないので困る。どう表現すればいいのか、自分で考えなくてはいけない。概念としてむつかしいものではないのだが、市民のひとたちが日常使う用語ではないからだろう。


疲れて昼寝をしていたら、「ふるさと語ろう会」の会長・Yさんから電話が入って「会がもう始まったぞ」と言われた。俺は大事な会ほど忘れてしまう癖がある。
急いで会場へ行ったら、Sさんが報告者として「姫川吟社」の歴史を語っている。折に触れ、鋭い質問が会員から出る。
「どうしてこうも話巧者が多いんだろう。人はだてに歳とっていくのではないなあ」と俺は思った。


会終了後事務所に戻りDVD「ルワンダの涙」を観る。噂にきいていたが「1994年に起こったフツ族過激派のツチ族に対するジェノサイト」のドキュメンタリー映画だ。音声が静かである分だけ狂気の進行が衝撃的で、あわら市民必見の映画ではないかと、俺は思った。


夜の事務所は、メインエベント・「ワイン的ビール的焼酎的本年度総括討論会」の場となり7人が集まった。議会報告会のことも話題となり、瞬く間に時間は過ぎていった。
有意義だったのか有意義でなかったのかはよくわからないが、とにかく忙しい一日だった。


 2011/12/17 (土) 身体について


昨晩読み終えた辺見庸著・「恥」のなかで、辺見は脳内出血で倒れた2004年からの数年間を振り返っている。


右手がマヒし、左手で字を書くという不自由。発語の試行錯誤。右足を使用できない故の歩行困難。エトセトラは、私自身と重なるところが随分あるので驚いたが、この高名な作家の私と決定的に違うくだりは以下の記述にある。


・・恥とは脳梗塞で心身が不如意となった自己身体を恥としてとらえる人間観の、狭さと尊大さにあるような気がします・・・


確かに入院中の私は、辺見と同じように「世の中から形骸とみなされながら生き続ける人びとを沢山みた」のだが、そこで感じたものは単なる薄っぺらい連帯感でしかなかったような気がする。


 2011/12/16 (金)


昨日が議会最終日の予定だったのだけれども、追加議案が提出されたので、本日も議会となりました。


なお、追加議案は
 議案第87号  坂井地区介護保険広域連合規約の変更について
 議案第88号  坂井地区環境衛生組合の解散について
 議案第89号  坂井地区環境衛生組合の解散に伴う財産処分について
 議案第90号  三国あわら斎苑組合の解散について
 議案第91号  三国あわら斎苑組合の解散に伴う財産処分について
 議案第92号  坂井地区水道用水事務組合の解散について
 議案第93号  坂井地区水道用水事務組合の解散に伴う財産処分について


 2011/12/15 (木) 国宝「山中常盤物語」


昨日の午後は、福井工業大学の大講義室に居た。小説家・中島道子さんの講演「岩佐又兵衛の人生と芸術」があった為である。





齢(よわい)84歳を感じさせない矍鑠とした話し振りは、男女差別の激しかった昭和の20年代に教師となり55歳で職を辞したあと一念発起して上京し歴史小説家となってから20数冊の本を世に問うたキャリアに裏打ちされるものなのだろう。


岩佐又兵衛は福井藩二代藩主・松平忠直(菊池寛の忠直行状記で有名なあの忠直)をパトロンとして数々の絵を描き一世を風靡した絵師として福井県内では有名だが、忠直が日向の国に転封されたあとは江戸へ向かい、春日局を通じて将軍の庇護を得ることとなる。


又兵衛の出自などをしゃべり終えてからの後半は、代表作「山中常盤物語」をDVD大画面で写しての絵解きだった。


平清盛の世。
幼名・牛若丸は金売り吉次に連れられて京の鞍馬山から北陸道を奥州平泉へと向かった(余談だが、その途中に牧田家住宅前を通り過ぎたはずだ)。


母・常盤御前は息子恋しさのあまり侍女を伴い平泉へと向かうがその途中、山中関原の地で山賊に襲われ殺される。


復讐を誓った源義経(牛若丸は既に藤原秀衡から義経の名を頂戴していた)は、母を襲った山賊7名と単身で戦う。壇ノ浦の源平合戦で有名となったあの「八艘飛び」で空中高く舞い上がり、ある賊を胴体輪切りまっぷたつある賊を秋刀魚の開きのように脳天からの袈裟切りにする。


復讐を終えた義経は次ぎなる敵・木曽義仲との戦いのために京の都へと向かうのであった。


 2011/12/14 (水) 深夜に熱々珈琲を飲みながら


今のスーツがよれよれになったので、新調した。




今度のは国産品だ。ぼくは、国産品でも着やすい品のあることを初めて知った。


さて
昨日の午後は、議会活性化特別委員会が開かれた。基本条例の案もほぼまとまり、来年四月からの適用に向けて進んでいる。今月20日、21日に予定されている議会報告会での各委員の役割分担なども確認された。


それにしても、とぼくは思う。
今年の秋以降、なんと忙しかったことだろう。各種委員会や個人的スケヂュールが重なるほどに満載でその調整に余念が無かった。反面、忙しいことはいいことだ。アタマが空っぽになって、余計なことを考えなくてすむ。


委員会終了後は、坂井地区介護保険連合へと、車を走らせた。第五期介護保険計画に関してのよくわからない点をチェックするためだ。介護保険制度そのものが複雑でなかなかわかりにくい。しかし、歳を重ねるに従い誰もがこの制度を利用する可能性がある。
坂井地区介護保険広域連合ホームページを御覧ください。


 2011/12/13 (火) 昨晩


昨晩の事務所は来客多数の宴会。妙齢の女性ふたりは、ぼくの両隣に座った。宴席でこういう構図になることが多いのだが、その理由はよくわからない。


人生のおおかたは「苦」なのだから、こういう時こそ楽しまなくてはいけない。バカな四方山話で我々は大変盛り上がった。


宴会が終わってから、湯けむり横丁へ行ってラーメンを食った。総じて中華料理はなんでも美味いが、人口に膾炙している格言に次のようなものがあるという。


「男のシアワセは、日本女性を妻としフランスの住宅に住み中華料理を食べること




 2011/12/12 (月) 書斎派の一日


昨日の日曜日は、御母堂が三国町生まれである曽野綾子著・「部族虐殺」を読んでいた。週刊誌などでの短いエッセーは別としてまとまった本としては「沖縄戦「集団自決」の謎と真実」以外に読んだことがなく、この本のなかでの大江健三郎批判に対しては首をかしげるところが多かった(裁判はもう結審したんじゃなかろうか)。つきあいのあった沖縄人から集団自決の真実性をいろいろ聞かされていたからだ。


けれども、「部族虐殺」では共感するところが多かった。NPO法人に対する(否定的な)見方など、日頃ぼくが感じている思いそのものだったし、ペンクラブ会長・梅原猛に対する批判は痛快そのものだった。


そういえば一昨年だったか、講演のために彼女は旦那(三浦朱門)を連れて(あるいは三浦が彼女を連れて)吉崎・蓮如会館へ来たそうだが、何かの都合で聴きにいけず、残念。



 2011/12/11 (日) 無題


学生時代の友人で広島在住のMクンから、生牡蠣が送られてきた。
お袋がワイワイ言いながら牡蠣の殻を剥き、妻が牡蠣フライをつくり、俺はビールのつまみとして食べるだけだったが、すこぶる美味い。スーパーなどで売られているものなど比較にならないこの味をどう表現したらいいのかわからないが、とにかく美味いのだ。
昔から牡蠣が大好物だった俺には至福の時間帯だった。


そういえば、昨日はNさんからこういうものをいただいた。



20年間寝かせておいたという酒で、ワインでいうならロマネコンテイに匹敵する。
こういう酒をひとりで飲んではいけない。雪の降る晩、友と飲もう。


2011/12/10 (土) 週末に思うこと


一昨日に読了した高橋克彦著「東北の誘惑」(1997年刊)で、ぼくは今年3月11日発生の東日本大津波大震災が日本という国家の基底にある文化の二重性を強く意識した。


若い頃、訳知り顔の大人たちから、「京の都から見てここ越前は「愛発の関」で隔てられた陸の孤島や」とよく言われたのと同じように、東北も又東京にとって「白河の関」の向こうにある夷の住む異郷」という潜在的な蔑みを意識してきたのだろう。


ただし越前の場合は、継体天皇を生み京の都に隣接した土地柄であることから、中央権力に対してもみでをする面従腹背の気風が育っていった(自分を考えればよくわかる)。


ここが大化の改新を前に大陸仏教文化をバックボーンとした蘇我氏との戦いで敗れた神道の守護者・物部氏をいだいて追い詰められていった北の地で造られた東北の国々との大きな違いだろう。


勝者の歴史書である正史から抹殺された辺境の地であることを自覚し、そこに精神世界の根をしっかりとおろしたひとたちから、魅力的な作家が輩出される。
宮沢賢治、太宰治、寺山修司、草野心平、井上ひさしエトセトラで、ここが越前と大きく違う点だ。


松本清張著・「砂の器」は出雲地方に残る東北弁を謎解きし殺人犯を追い詰めていく推理小説だが、高橋克彦は、出雲に残る東北弁を天孫降臨族の大国主命に対する侵略戦争つまり「国譲りの神話」とリンクさせて考え、出雲の人びとは大和朝廷の迫害から逃れる為、東北に集団移住しその地で新しい神々をつくったと考える。


この点、梅原猛の言う「近畿=弥生人vs東北=縄文人」説との整合性はどうなるんだろうか、とも思うが・・。


それはともかく
後世に於いて、辺境越前若狭は関西電力の電気を原発立地県として引き受け、辺境福島は東京電力の電気を同じく原発立地県として引き受ける。
そして今年の3月11日に未曾有の大惨事が引き起こされるのだが、実際のところ、子を失った親にとっての悲しみは、傍目に大参事であるかどうかなど関係ない。要するにワン オブ マスではない。引き裂かれたという虚無感は傍目に感得できるはずもない。


そのならいで言えば、この地球上にゴマンと残っている大陸弾道弾核兵器の大量使用によって60億か70億かしらんが人類そのものが瞬時に消滅することが、「引き裂かれずみんな一緒に死んでいける」という意味でシアワセなのかもしれない。
ということで
「飛ぶ鳥 あとをにごさず」を唱えながら事務所整理にいそしんでいたらこんなものが出てきた。



三年前に逝った親父のかたみ「軍隊手帳」だ。
太平洋戦争時、この手帳をもってフィリピン戦線で鉄砲の弾をかいくぐっていたのだと思うと胸が熱くなる。
親父に近かったひとから、戦時下での親父の武勇伝をよく聞かされた。ぼくの友人の何人かにその時のデイテールを語ったこともあるが、仮にぼくが文章力をもっていたら、一冊のリアリズム小説ができあがっていただろう。
お袋に迷惑をかけっ放しだった親父。口下手故か寡黙だった親父。だけど、男気(おとこぎ)だけはだれよりも持っていた親父。近いうちに会いに行く。


2011/12/09 (金) 昨日の一日


昨日は厚生経済常任委員会。
所管は市民福祉部で、「デマンド交通の進行について」の説明に質疑が集中したような感がある。


来年四月から施行予定のデマンド交通方式は、従来の「空気バス」と揶揄を込めて呼ばれていたコミュニテイバス方式に変わるものだ。各地区に停留所が配置され、配送センターに電話予約すればあわら市民の誰でもが利用できる。デマンドの日本語訳は「予約」だとのこと。
市内を三つのブロックと共通ブロックと共通ポイントに分け相互乗り入れを可能とするもので、かつ、行政側のねらいの主軸は交通弱者への配慮にあるので、市内それぞれの開業医のところにも、停留所が置かれることになる。


タクシー車体を使うのでひとり利用も複数名利用も可能。確かにこの方式だと、市内のどこからも乗ることができ、どこで降りることもできるし効率はよくなる。


問題は利用料金だが、これは競合するタクシー業界との刷り合わせあるいは当あわら市の市税の補助をいくらとするかによって決まる。

委員会が思いのほかはやく終わったので、帰途、三国のえち鉄電車を見下ろすことのできる行きつけ喫茶店へ行った。
遥かに日本海の白波を眺めていると、「冬来たりなば春遠からじ」の語句が頭に浮かんできた。


夜。
聾唖者二名と手話通訳奉仕員一名が事務所を来訪。
彼等彼女等は、新装なった牧田事務所駐車場に車を留めた。
駐車場地盤もようやく落ち着いてきたようだ。


2011/12/08 (木) 追憶


昨晩は、VIPがやってきたので、ぼくは「大吟醸・越前岬」をふるまった。





とは言っても、この酒は彼が10日ほど前に持ってきたものなので、「ふるまった」は言い方として正確ではない。

彼はPTA時代の同志で、飲む酒のつまみはその頃の思い出話だった。
冬の夜に男ふたりで大吟醸を飲みながら追憶に浸るのも悪くない。


午後9時に彼を見送ったあとは、DVDで「罪と罰」を鑑賞。昨日、「とんぼ」さんからお借りしたものだ。
現在のような混乱した先行き不透明な社会の成員として生きていること自体が後世のひとたちに対する罪であり、罰をどのようなかたちで受けることになるんだろうか、と思うことが時折ある。


 2011/12/07 (水) 昨日は総務常任委員会


昨日は、総務文教常任委員会を傍聴した。
印象に残ったもののひとつが政策課所管の「ふるさと創造プロジェクト 概要(案)」で、これは「JR芦原温泉駅」と「(仮称)生涯学習館」を結ぶ散策の道づくり構想の素案提示だった。


素案の説明に対して所管議員たちから疑問の声がたくさん挙がったが、傍聴者であるぼくにも懸念の思いは確かにあった。
この構想のイメージは、これから市民の間(あいだ)に広がり関心を引き起こしていくだろうし、それに応じて案が変遷していくだろうが、拙速にならないことを望む。


午後は事務所に戻って、「ふるさと語ろう会」のメンバーを応対。メンバーは、中島道子先生の講演・「北の庄異聞」予定をしゃべった。
豊臣秀吉に攻められ北の庄が落城する際、「茶々・初・江」の三姉妹の命が保障され、柴田勝家とお市夫妻が天守閣で自害したのは定説。しかし実はお市は城を脱出し船便で九頭竜川を下り、三国町新保村に逃れ身分を隠しつつ余生をその地で送った・・という異説を、ぼくは新保村の寺の住職から聞いたことがある。
しかし中島先生の言う異説とは「お市はさらに新保村を脱出し、伊賀の国に足を運んだ」というもの。


歴史はロマンである。英雄も我々俗人もひとりひとりの人生の軌跡はものがたりとなる。



 2011/12/06 (火) 昨日の一日


昨日の午前9時半からは議会定例会一般質問で、午後3時過ぎに終了。
そのあとは広報編集特別委員会。広報編集特別委員会が終了したあとは、議会活性化特別委員会が開かれた。議会活性化特別委員会での中心テーマは、議会定例会終了のあとに開かれる議会報告会のこと。


6時前に事務所に戻り、山本一力著・「欅しぐれ」を読了。3年ほど前から未来志向の薄まったぼくは、江戸期を時代背景とした藤沢周平や山本一力の世界を多く読むようになってきた。
惹きつけられる理由として主人公にしろ脇役にしろもはや現代人には皆無の芯の通った立居振舞が描かれているからで、腑抜け者のぼくには、期待される人間像のように思えるからである。


 2011/12/05 (月) 新しい週


本日は本会議一般質問。
明日・明後日(6、7日)は総務文教常任委員会。
8、9日が厚生経済常任委員会です。


一昨日の講演会の風景


 2011/12/04 (日) 昨日の一日


昨日の午前中は、県教育センターに於いて、TPP学習会。講師は衆議院議員・松宮氏だった。
いただいた資料のうちの一部を写し書きすると


日本経済の実相
(1)長期縮小経済
①GDP(名目ベース)
483.2兆円(1992)→475.8兆円(2010)


②一人当たり国民所得
388.3万円(1992)→371.6万円(2009)世界2位→19位


③国富
3531兆円(1990・過去最高)→2712兆円(2009)


④税収
61兆円(1991・過去最高)→41兆円(2011) 


⑤歳出(当初予算ベース)
総額   89.3兆円(2000)→92.4兆円(2011) 
社会保障17.6兆円(2000)→28.7兆円(2011)


⑥国際競争力(IMDランキング)
首位を争う(1990前後)→26位(2011)中国・韓国より劣位


⑦人口
2005より減少


(2)グローバリゼーションの進展
①海外生産比率
2%台(1980代後半)→10%超える(1998)→約20%(現在)


②海外利益の著増
上場企業利益中の海外シェア 7割超(20113月期)
海外子会社からの配当収入2.9兆円(2010)10年間で3倍


(3)日本経済の「六重苦」
・法人税
・円高
・電力料金
・諸規則
・CO2対策
・デフレ経済


2国政の主要課題
・デフレ対策(成長戦略)
・社会保障制度改革
・消費税
・TPPと農業改革
・エネルギー戦略
・郵政改革
・東日本震災対策(含徐染対策)
・選挙制度の見直し


3主要県政課題への取り組み
・中部縦貫道路
・北陸新幹線
・足羽川ダム
・環日本海拠点港整備
・原子力問題(含もんじゅ)


日本経済の8割までが海外交易に関係している現在、TPP交渉に臨まざるを得ないだろうというのが、松宮氏の論調だった。



学習会を早退し、牧田事務所に戻った。
12時半に男性3人、女性1人が来訪。一台の乗用車で、坂井市丸岡町の高椋公民館へ。
そこでは、講演会「古代越前国の荘園ー西大寺出土の赤江庄関係木簡が伝えるものー」が開かれていた。


講師は、種智院大学人文学部教授西大寺清浄院住職・佐伯峻源氏。佐伯氏は古代における奈良の都と越前坂井郡荘園との関係を二時間しゃべった。
機関銃のようにしゃべるので、どうも僧侶という感じがしない。敢えて言えば生臭坊主か。その意味で好感がもてた。



午後6時半。
男性3人・女性3人が事務所に集まった。久々の宴会だ。昨晩のテーマは何故か男女間のこととなった。外はしとしと雨だったので、白熱の論議はまるで源氏物語「雨世の品さだめ」のように盛り上がった。
10時半を過ぎた頃、VIPも来訪。
ただし早寝の習慣から逃れられないぼくは夢うつつの状態で、ひとの話を聴くばかりだった。


 2011/12/03 (土) 本日はスケヂュールだらけだ


門松は 冥土の旅の一里塚
     めでたくもあり めでたくもなし

と頭蓋骨片手に辻立ちして、一休はうたった。

年が改まって気分は一新されるけれども、歳がひとつ加わって(昔のひとの年齢は満ではなくて数えだった)死期が近づくなあ、というくらいの意味だろう。



正月に門松を立てる家は全く見られない社会となったが、この意味でも昭和は遠くなってきている。


降る雪や 明治は遠くなりにけり   中村草田男 
をもじって言うなら


刺す風や 昭和は 遠くなりにけり    牧田牛庵
となる。
 


2011/12/02 (金) もう週末か

昨晩は、聾唖者夫妻と手話初心者二名が来訪。手話で話し合いをしながら思ったことがひとつある。


「議会活性化特別委員会」が基本条例の制定を目指しているが、この条例の基本は本会議や委員会でのやりとりを原則全て市民に対して公開することにある。公開とは傍聴・映像・資料etcを指す。


だけど聾唖者が傍聴しようとしても映像を見ようとしても手話通訳の保障が無い限り、聾唖者にとっては公開とならない。


圧倒的多数の健聴者(耳の聞こえる人)にとっては瑣末的なことかもしれないが、当の聾唖者にとっては大きな問題だ。


健聴者のみなさんもこのことに留意してほしい。



2011/12/01 (木) きょうから師走

きょうから師走。一般に師走は「師が走るほどの忙しい季節」と解されているが、「シハツル→シワス」が語源との説が真相のようだ。


その意味でこの世が末世に入ったのではないかと、ぼくは思う。だって今年一年間の世の混乱は尋常ではなかった。蓮如の「朝に紅顔であるもゆふべに白骨と化す身なり」という言葉や、山折哲雄さんの吉崎講演会での「無常ということ」についてのしゃべりが折に触れ耳に囁く。


こういう時代を生き抜く源をどこに求めればいいのか。
ひとり荒野に立たされているような気分を払拭するてだてはどこにあるのか。


というようなことを考えているうちに夜が明けてきた。
12月の風は冷たい。新居での喫煙が不許可なので、戸外で一服したあと室内に入り、熱々クリームシチューを飲んだ。体がみるみるうちにあったまってきた。