2015年05月

2015/05/31 (日) ちょっと感じたこと

 昨日の午後は金津創作の森へ。そこでは森のコンサート「FLOWER OF LIFE]が開かれていた。
 
 司会をする音楽監督・山口さんの説明によれば、アタマに浮かんだ心象スケッチのオムニバスということで、スパーカッション.フルート.龍笛.マリンバ.バイブラフォン.パーカッション.イングリッシュホルン.クリスタルボウル等様々の楽器がそれぞれのプロによって奏でられる合奏曲10編だった。
 いただいたチラシによればバークレイ音楽院卒業後の山口さんは、クラシック.ジャズ.民族音楽などを包括する作曲活動を展開云々とのことで、「音楽とは演歌なり、港町ブルースなり」を信条とする私には、よくわからない部分が多かった。

 とはいうものの、目を閉じ全身耳になっていると、不思議なインパクトが入ってくる瞬間もあり、だからと言ってそれを言葉で言うあるいは書くことができない。げに、そもそもが高低強弱によってつくられる音の世界は言葉の世界を超えているんだろう。
 

 2015/05/30 (土) CAD画面に向き合いながら

 あわただしい五月も終わる。スケヂュール表を覗くと、六月はもっとあわただしくなりそうだが、頑張るぞ。
 阪神タイガ-スが四連勝と頑張っているのだから、ぼくも弱音を吐いてはいけないのである。

 2015/05/29 (金) 無題

 昨日の午後二時半の来訪者が帰ったのは、夜の九時半。実に七時間話し込んでいたことになる。ぼくにもまだ気力が残っていることを再認識できて、疲れたけれども楽しかった。
 きょうの朝一番で「仲仕組合創立総会之碑」の場所へ。
 写真のプロに碑文を撮ってもらうために、廻りの樹木の枝落としの必要が生じたためだが、作業はもっぱらとんぼさん。
 
 萎えたぼくの体での作業はむつかしい・・まあ、人生こんなもんだ。
 CADにいそしみながら疲れた時にCAD画面をほっぽりだし、昨日の来訪客との語り合いを反芻していた。
 学生時代に新左翼のたまり場となるロシア料理店を東京のど真ん中で経営し、全学連の組織者となっていた彼の店へ寄りついていたワンオブゼムの例えば立松和平や高橋源一郎の当時の人となりを聞いて、たまたま両者の小説を読み続けているぼくはすっかり興奮してしまった。
 彼から熱意を持ってカントの「純粋理性批判」やマルクスの「資本論」などに関する講義を受けたが、こむつかしい哲学用語は既に脳を患っているぼくには理解不可能で、しかし日本人が日本人であることの基礎にある「社稷の思想」の講義になった時には大いに共感した。


 2015/05/28 (木) 無題

 昨日の午後一時、「仲士組合創立総会之碑」の前で、プロによる拓本製作が開始された(陣頭指揮は印牧先生)。教育委員会その他の面々も集まった。
   
 ↑①  ↑②
   
 ↑③  ↑④
   
 ↑⑤  ↑⑥たまたま通りかかった女性
   
 ↑⑥終了して、印牧先生の御礼挨拶  

 

 2015/05/27 (水) 無題

 昨日、議会事務局へ行って聞いたところでは、議員団は下妻市へ行ったとのこと。
 ところで
 きょうは、おもしろい一日になりそうです。

 2015/05/26 (火) 疲れて昼寝

 昨日の午後は、仕事のために某建物の六階までの階段を二往復して、膝がガクガクになった。そのことを妻に言ったら、答えは「普通の人でもそうなるよ」で、僕は自分で自分を誉めてあげたい。
 今朝は、消防署署員と共に北潟湖畔の吉崎地区に居た。樹木の間を歩いていた。
 
 このあたりまで来ると、初夏の匂いが濃厚だ。
 蝶が舞ひ ()見やるれば 鳥浮かぶ
   おなご見えぬが 無念なりけり    牛

 「すばる歌仙」から
 月の夜の谷にこだまの返りくる
  板屋根乾く秋ざれの村

 長き夜を曲者どもとつきあって
  窓を突っ切り飛ぶ大やんま

 悲しやな趣味の写経の筆跡()の乱れ
  忘れがたみの似た片ゑくぼ

 迷い子もうっとりと立つ花ふぶき
  いづち行かめと霞む浮世や

 霊山も塵芥置場(ゴミタメ)と化す登山道
  富士が見えぬと怒る外人

 虫の音も月の出待つがごとき宵
  隣の庭に小萩見にゆく


 2015/05/25 (月) 新しい週の始まり

 昨日は、来訪客一人の応接をした以外は誰とも会わず、又、一歩も外へ出ずにひたすらソファでごろ寝。日曜日なので堅い本は避け、「すばる歌仙(丸谷才一 大岡信 岡野弘彦)をぺらぺらとめくっていた。

 安倍川といふ地名など思ひ出し
  土筆摘みつつうたふ童謡

 つたなさは遺伝子ゆゑとおやを責め
  蝶々はまぐり天文が好き

 思ひきやなつかしき名は訃報欄
  形見の櫛をつひに手ばなす

 迎へ酒やりつづけての蟵の月
  臓腑の無事はお家の自慢

 山の端に抜け出て大き月いづる
  おもかげさむく立つ女郎花

 

 2015/05/24 (日) 昨日の一日

 午前中は、とんぼさん宅にて、「仲士組合創立総会之碑」の拓本とりについての打ち合わせ。

 午後の来訪者・Yさんと、進退をも含めた今後の「ふるさと語ろう会」に対する諸々を話していた。

 なんというか、「どうでもいい」という気分。日々、建築設計の仕事ができて本が読むことができれば、他はどうでもいいという気分。

 2015/05/23 (土) 無題

 ぼくは自分にしか興味の無い人間で、人間関係で腹がたつことも数年に一度しかない。だから温厚な紳士だと、人からは見られている(らしい)のだが、昨晩の会議では激高してしまった。会議終了後、少しだけ反省。


 2015/05/22 (金) 今晩、私は事務所に居ません

 立松和平著「(風聞 田中正造)」を読み進めている。足尾鉱毒事件のことは、若かった頃に聞かされていて記憶に残ってはいたが、小説仕立てだと、田中正造の裂帛の気合いが胸底に沁みとおり、印象が格段に強くなる。
 鯰やノミ、シラミなどの小動物を擬人化して登場させ、鉱毒による悲惨を語らしめる手法は、後年の立松の仏教への傾倒を予感させる(越前・永平寺へも再三来ていたそうだ)。
 それはともかく
 きょうの午後は、某病院の「特定建築物・定期調査」に励んでいた。何回も来ているので看護婦さんの一部とは顔なじみになったが、それよりもデイケアゾーンに入ると、よぼよぼの爺さん婆さんが話しかけてくるのが面白い。若い看護実習生が爺さん婆さんに優しく語りかけている姿が微笑ましい。医者がその実習生たちを別室に呼んで「君のあの時の行動をどう自己評価するのかね?」などと言っているのに聞き耳を立てるのは快感だ。

 どのみち、自分は数年でこの世におさらばするのだが、人生に対して真摯に取り組んでいる若い人たちの姿をみるのは、いわゆるシアワセというものだ。


 2015/05/21 (木) ちょっと思ったこと

 昨晩の来訪客は三人。
 いろいろ話していて、最後の客が帰った時刻は10時で、当然のことながら焼酎一杯だけ飲んで本も読まずに即就寝。
 恐ろしいことに、一夜明けたら会話の内容を思い出せない。同じことが六日前にもあったので、いよいよ健忘症だ。脳内出血による後遺症としての物忘れが始まったのだろう。だけど、悲しむ必要はない。悲しい思い出を忘れることができたら、楽しい未来が待っていることになる。
 ということで
 今朝は八面六臂の忙しさだった。そこで昼食にトコロテンを食べたあと、疲れてソファに横たわっている。

 2015/05/20 (水) 無題

 私は朝起きると、先ず庭に咲いているドクダミの葉っぱをむしってたべる。
 
 ドクダミの名称は「毒矯み」(毒を抑える)から来ているので、咬んでいるうちに元気いっぱいとなるのだ。

 2015/05/19 (火) きょうは忙しくなりそう

 昨日の午前中、私たち三人(牧田さん、長谷川さん、吉村さん)は、仲仕組合創立総会之碑の前に居た。
  
 印牧氏から、「碑の拓本をとりたい」との電話があったので、拓本をとれる環境下かどうかを確認するためだ。
 そのあと、あわら市・文化学習課へ行き、打合せ。

 2015/05/18 (月) あったかいミルクを飲みながら

 昨晩の某工務店社長からの電話が、「明日の朝6時、打合わせに行きます」と言う。
 実際には5時半の来訪だったのだが、何の用であれ、午前2時以降であればいつでもかまわない。早寝早起きの習慣はもう変えることができないのである。

 2015/05/17 (日) 自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ    茨木 のり子 「自分の感受性くらい」
 満足な歩行の困難さを感じたり、友との数日前の会話が頭からすっぽりと抜け落ちたり、要するに老化による心身の弊害を恥じる時思い出すのがこの(うた)で、この詩によってネバーギブアップの心がまえが甦ってくる。

 本日は金津トリムマラソンということで、午前中を沿道ウオッチングに費やした。記憶で言うのだが、トリムマラソんは20年近く前に始まった。僕が初めて金津町議に当選した年のゲストはあの美人ランナー・谷川真理で、彼女が挨拶している間、来賓のひとりだった僕は、1mほどうしろで彼女の引き締まった太ももばかりみつめていた。
 若者たちの汗だくの走りをじっと眺める私
 
 号砲スターターを終えたばかりの坪田正武市議

 中学生5kmスタート直前

 

 2015/05/16 (土) ふたつの太陽

 立松和平著「ふたつの太陽」を読み終えた。昨晩、徹夜して読み終えた。一気呵成に読まずにはおれない、肺腑をえぐる描写だったからだが、天国の立松氏にひとまず合掌。

 以下、作者あとがきを紹介。
 「十九世紀後半の日本を野火のように走った戊辰戦争の記憶の断片を、私は子どもの頃より辻や等の遊び場の中に意識もせずに見てきた。路傍に放置してある文字も表情も消えかけた石碑や野仏が、戦死者の墓だったり顕彰碑だったり、歴史の闇に沈んで名も忘れられた敗者へのせめてもの鎮魂のしるしだったりした。
 そんな記憶が身辺にあふれているにもかかわらず、長い間私にとっての戊辰戦争とは、江戸の旗本たちによって起こされた何となく堪え性のない彰義隊の上野戦争であり、一族が根絶やしになるまで徹底抗戦したいたましい会津戦争なのだった。これは不思議な光景である。一般に流布されている史書の中から、江戸と会津の間が空白になっているのだ。
 歴史を闇の底から浮かび上がらせたいという気負いがあったわけではない。刻まれた文字が風雪に消えかかっている石碑に耳を傾けるというよりも、私の故郷に向かってあらゆる想像力をこらすうち簿明の彼方に立ち現われてくる影をペンでとらえていく、そんな微かな影がやがては一篇ずつの物語となっていったのである。
 出てくる地名は実在だが、登場人物は想像の産物だ。本書の主人公である深々とした闇は、あれから百数十年たった現在でも、私の故郷、いや日本のあらゆるところに息づいている。文学とは、黙契によって闇から力をたくされた者の(わざ)であると、私は思っている。
 想像力はどのようにでも展開していくのであるが、本書の舞台は私の故郷の野洲だけにとどめてある。私の故郷から北の人は、新政府軍を官軍といわず、西軍と呼んでいる。だがそれは後年明らかになってからの立場なのだ。闇の中で営々として生活の糸を紡いできた人々には、当時、太陽はふたつあった。時々刻々入れ替わるふたつの太陽のもとで、武士であれ百姓であれ猟師であれ、もうどうしてよいかわからなかったに違いない。それが本書の基本的なモチーフだ。・・・」

                             宇都宮の寓居にて  立松和平
  

 2015/05/15 (金) もう週末か

 昨日、ある人と、「お宮詣りと遊郭」というテーマでしゃべっていた時に、相手から、「聖と俗は共存できるのですか?」と言われてうろたえた。この歳まで生きてきてピュアな聖人に会ったこともないしピュアな俗人に会ったこともない僕にとって、聖が俗を俗が聖を含みこんでいるというのが即ち人間なのだと思われる。

 今朝、ユーチューブを観ていたら、佐高信が西部邁との対談で「クリーンなタカよりもダーテイなハト」と言っていて、まあつまりそういうこと。  

 2015/05/14 (木) 無題

 見るとなく涙ながれぬ。 
 かの小鳥
 在ればまた来て
 茨のなかの紅き実を啄み去るを。
 あはれまた、
 啄み去るを。    白秋
 ということで
 昨晩は、夜の遅くに、二人の来訪者あり。
 友あり 闇にあらわる 又楽しからずや
 きょうの午後、久し振りに宮谷石切り場跡を探検した。何度か訪れてはいるが、何度来てもこの幻想的な空間は素晴らしい

 昔、筑前琵琶の奏者と来た時、「ここで耳なし芳一を奏でたらどうですか。聴衆は感動しますよ」と申し上げたのだが、答えは「地下の湿り気が筑前琵琶の音程を微妙に狂わせてしまうのでむつかしいわねえ」だった。
   
   
   
 青く澄んだ水を眺めているうち、映画・横溝正史の「八つ墓村」を思い出した。
 主人公・寺田辰也が地下の鍾乳洞をさまよっているうち、田治見小梅の脂漏化した死体が浮かび上がってくる。その瞬間の怖いこと

  

 2015/05/13 (水) 深夜におからを食べながら

 昨日の午後にあわら市外の某大手病院へ行き、廊下を歩いていた看護婦に「牧田建築設計事務所と申しますけど」と言いつつ事務長への取次ぎを申し込んだら、「もしかして金津の牧田さんの旦那さんですか?」との質問を受けてドギマギした。「家族のことをブログには絶対に書かないこと」と妻から禁じられているので、後述は避けるが、人は確かに群れて住んでいる。

 帰途、白寿園へ寄って、長谷川さんから、現在僕が興味を持っている泰澄の生涯についてのエトセトラを聞いていた。
 長谷川さんのまとめ
 泰澄大師は謎の人物である。存在したか否かも不明である。おそらく庶民が複数の僧侶、修験者をモデルとして創造した(弟子の臥行者、浄定行者を含めて)超能力を有する僧侶、修験者であろう。だが当時の密教的性格を有した仏教(修験者的要素を帯びた)の形。仏教と神道との関わり(本地垂迹)、宇宙への畏敬、山岳崇拝など自然崇拝に敬虔な人々の存在も泰澄伝説に描かれている。
泰澄は謎の人物であるが、伝説には庶民が理想とする宗教人像が描かれている。越前に根付いた仏教観を理解する上でも、また興味深い。

 2015/05/12 (火) 渋沢栄一

 この二年間、いろんなことがあって、できるだけ外へ出ない引きこもり的生活を続けてきたのだが、何故か最近は人前でのしゃべりを要請される機会が多くなってきた。これはある意味で困ったことだ。二年前までの議員時代ならば、しゃべることが仕事なので抵抗はなかったのだが、その反動で無口人間になってしまったのだから。
 ということで、津本陽著「小説渋沢栄一(上)」を読み終えた。
 現代風に言えば、スーパーマンである。明治という国民国家草創期に、官民の垣根を越えてその礎を死物狂いで築いた快男児である。もう、こんな人は出てこないだろう。


 2015/05/11 (月) 昨日の一日

 昨日の午前中に、某VIPが来訪。四方山話のあと、ある会場へ一緒にでかけたのだが、挨拶の骨子は「今回の選挙での反省点はいろいろあるが、金津・芦原旧町どおしのいわゆる地域エゴを溶かしていきたい」だった。聴いていて思ったのだが、その為には一般市民との絶えざる接触が不可欠だろう。

 午後は越前市の武生商工会議所へ。明社運動福井県連絡協議会定期総会が開かれたためである。


 県内各市町は、明社会長に市町議員のなっているところが幾つかあり、彼らからは、「今回のあわら市長選、すごかったですね」と、異口同音に言われた。
 記念講演「地域貢献のあり方・進め方」は、個人的感想としては、可もない不可もなし。


 2015/05/10 (日) 無題

 今朝はいい天気だ。墓参りに行ってこよう。
 

 2015/05/09 (土) 楽しみは

 昨日は、設計競争入札案内の電話が入ってきて、なんとなく身辺があわただしくなった。去年、65歳つまり年金生活者になってからは旅に出る日々を送りたいと思っていたが、年金生活者にそれは無理だとすぐわかった。脳出血障害マヒによる体の不具合も思いのほかはやく進行しつつある。

 やはり、できるならば、長年生きてきて蓄えられた生活の知恵と残された四肢の動きを活用して、わずかでも現金生活を目指さねばと思う。 

 私にとっての生活の楽しみは、空の青さを眺めることと、歴史小説や宗教小説を読むことと、ウイスキーや焼酎を飲むことと、煙草を喫うことと、妄想にふけることだけでそんなにカネはかからない。シンプル イズ ザ ベストなのである。
 

 2015/05/08 (金) もう週末か

 藤沢周平著「風の果て」をほぼ読み終えた。文体に惹かれて、一時期、このひとの本ばかり読んでいたことがあるが、とにかく読みだしたらやめられないカッパエビセンだ。

 10年近く前だったと思うが、視察研修を終えた我々あわら市議は、深夜に北陸高速道路を走るバスのなかで、藤沢原作、キムタク主演の映画「武士の一分」を観ていた。
 映画に感動した誰かが、「あわら市議でこの映画をつくったらどうや」という声があがった。
 耳を澄まして聞いていると「主演のキムタク役はやっぱり牧田やろ」の声が圧倒的。
 たしかに
 金津町議時代に「金津町議会のアラン.ドロン」と呼ばれていた私は、あわら市議になってから、「あわら市議会のキムタク」と噂されるようになっていたのである。
 資金難でこの構想は実現しなかったが、もしも実現していたら、今頃は黒沢映画に準主役で出演し、銀幕で輝いていたことだろう。

 

 2015/05/07 (木)  昨晩の飲み会

 Yさんのニューヨーク国連本部からの無事帰国を祝って、昨晩の事務所は6人の男女で賑わった。
 Hさんがつくって持って来た鰹タタキが美味しく、加えて僕の横に妙齢の美しい女性が座ってくれたことで、ぼくは充分ご満悦。たまにはこういう楽しみがないとやってられないのである。

 それはともかく
 この連休中、どこへも出かけなかったが、来訪客は随分多かった。そこで、来訪客の居心地を良くするために、事務所応接ゾーンのインテリアを刷新し、床板の汚れをとり、テーブル表面を磨きあげた。一生懸命だったことについては自分を誉めてあげたい。きょうからは、仕事もせねば。

 2015/05/05 (火) きょうはCAD三昧

 午前中の来訪者から、「牧田はんには、郷土愛というものがないのか」と、お小言を言われた僕は、午後になってから森の中の喫茶店へ出向き
 
 隣のボックスの妙齢の御婦人から「写真を撮らせてもらえませんか」と、突然頼まれ、鷹揚に、「どうぞ・・構いませんよ」と答えつつ、「確かに俺の辞書には郷土愛どころか愛という言葉もない」と、ひとりうなずいていた。

 2015/05/04 (月) 昨日の一日

 朝一番にYさんが黒い子犬を連れてやってきた。「今から馬篭の藤村記念館を目指して二泊三日の旅に出る」と言う。そういえば、一昨日に別のYさんから、「ニューヨーク・国連本部への旅から帰ってきた」という電話があった。
 双方70歳前後だが、身体に衰えなく資金を持つその人たちがうらやましい。ぼくはその二つの条件ともに欠ける男なのだ。

 髪が伸び放題になっていたので、午前中に散髪屋へ。しかし、連休中だからか来客が多く、結局、二時間半待たされた。 散髪が終了しいい男になってから、福井駅西玄関口にあるアオッサを目指し愛車ケトラを走らせた。

 憲法記念日ということで、8階県民ホールにおいて

明大教授・浦田さんの講演があったからだ。

 「とにかく日本が戦争をする国になってはいけない」という思いを強くしつつ夕刻に帰宅。
 麦焼酎をロックで飲みながら、Uさんから借りている原康史著「日本大戦争第二十二巻・日清戦争と黄海開戦」を開く。
 明治5年だったか6年だったか、西郷隆盛が「おいどんは死んでもよか。全権大使として朝鮮へ行く」と政府首脳に訴えたのだが、叶えられず下野した背景が少しわかったような気がする。


 2015/05/03 (日) 連休なかび

 山本一力の「辰巳八景」を読み終えた。
 借金返済のために小説を書き始めたというのは有名な話だが、その割には江戸期の職人たちがかもしだす人情話が得意で、この本の八章のそれぞれも、寡黙な職人たちが見初めた女性に思いをうちあけることもできず、しかし心の底では狂おしいほどにお互いがお互いを引きあううち、静かに終焉を迎えるというもの。

 本の帯にもこう書かれている。
 江戸は深川
 辰巳に花咲く
 八つの人情物語
 一力節全開の名短編集。

 八幡様に朝日がのぼり、大川端に夕陽が沈む。
 元禄、天明、文化、天保、
 時代は移るもそれは変わらず、
 お天道様が見守る下で、様々な人生が織り成されていく。
 ろうそく問屋のあるじ、茂助の悔い。
 煎餅屋の娘、おじゅんのかなわぬ恋。
 辰巳芸者、厳助の意地・・・。
 
 2015/05/02 (土) 無題

 ゴールデンウイークを有意義に過ごさなければならないと決意した私は、事務所大改造を決意。午前五時現在、大工仕事の真っ最中です。
 2015/05/01 (金) 無題 

 きょうから五月。
 五月と言えば、風薫る季節で形容されるのが定番だが、僕にとってはどうやら「腹立ちの五月」となりそうだ。
 ある人間が無性に嫌いになってきた。僕はそもそも人を嫌うことも好きになることも滅多にない。というより、男には興味がないのだが、珍しく、嫌いな人ができた。こういう場合、反作用で執念深くなる。