15年7月10日 金曜日 プロ野球は阪神サヨナラ MLBは田中好投             
 最近の私は同世代以下との接触が全くなくなった(イクセプト女性)。

 昨日も80過ぎの地域老人からじっくりと話を聞いていたのだがそうするのも、多分、人生経験の長い人から生活の知恵を学ぶのが我々若い者の義務であうような気がするからだ。
 昔はあそこの角に風呂屋があった、対面は鍛冶屋だった云々を聞いていると昭和の30年代がよみがえってくる。確かにあの頃が私にとってのゴールデンエージだった。
 林淳著「天爵大臣 福井をゆく」から抜粋
 天爵大臣水谷忠厚は、天保12年尾張藩士の子として生まれ、明治20年に来福した。
 41ページから「吉崎道の開墾」のことが書いてある。
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吉崎道は現在のあわら市細呂木と同市吉崎を途中で細呂木峠へ向かう旧北陸道と別れる。その分岐点からほんの十メートルほど進むと、水谷が関わった多くの道路工事箇所の中で最も有名であろう「鴫谷山の切通し」がある。ここは現在も未舗装のままであり、非常によい雰囲気を楽しむことができる。吉崎道はここから北へ山中を抜け、県道29号線へ合流する。

 細呂木村史によると、明治二十年十二月の寒い日に「(水谷は)白いさっくりを着て大きな笠をかぶり、見事な馬に乗って」細呂木の上坂家に現れたという。「さっくり」は裂織(さきおり)のことで、古くなった布を細かく 裂いて麻糸などと共に織り上げた再生衣料である。また、「見事な馬」は福井県議会史第一巻などで紹介されている、石黒福井県知事が貸し与えたという馬だろう。水谷が馬に乗ってやってきたという話は清水町史下巻にある上天下坂尻での工事の記述中にも確認できる。