3月日記


西暦19年04月04日 木曜日
 栴檀の香風 衆の心を悦可す    良寛
 

西暦19年03月19日 火曜日
 
 西木正明著「 夢顔さんによろしく」
 この本は四年前に読んだ。
 終戦時、A級戦犯に指定され服毒自殺した近衛文麿首相の長男・近衛文隆(細川護熙の叔父にあたる)を追ったドキュメンタリーだ。
 満州で終戦を陸軍士官として迎え捕虜となり、シベリア抑留。
 各地の収容所を転々としたあと、ハバロフスク裁判で国際ブルジョアジー幇助という罪で26年の禁固刑を受ける。昭和30年の日ソ国交正常化交渉に際し、鳩山一郎首相の帰国要求や国内からの数十万人もの署名入りの嘆願書があったが、帰国が叶うことはなく、死去。彼の死は病死にしては不審な点が多く、西木は毒殺の可能性を強く示唆している。
 平成3年、「政治弾圧犠牲者の名誉回復に関する」ソ連法で無罪、名誉回復。
 平成4年、ロシア連邦軍最高検察は、近衞文隆の名誉回復を採択、平成9年、ロシア軍最高検察から名誉回復証明書を出した。

西暦19年03月14日 木曜日
 あと三日で超多忙も終わる。

西暦19年03月12日 火曜日
 このヴァイオリンチームの演奏は、今までに何度も聞いたが、指揮者・鈴木氏の演奏を聴いたのは、今回が初めて。
 ビバルディ「四季」のプロとしての精緻な演奏に、心が揺れた。
 演奏会終了後、自宅パソコンのユーチューブで、ベルリンフィルの「四季」を聴いた。勿論素晴らしかったが、しかし、CDで聴くのと、なまで聴くのとでは、迫力が違う。

 鈴木博詞
1976年 京都市立芸術大学卒業
同時に京都市交響楽団ヴァイオリン奏者となる
91年 同団退団
92年 神戸市室内合奏団入団
2009年 同団退団

現在は、フリーのヴァイオリニスト、指揮者として活動
その間、師の岩渕竜太郎氏との弦楽四重奏を始め京都ソロイスツの
リーダーとして、またピアノの宮澤和代氏と共にDuoヴォルフイを
結成。現在に至るまで室内楽の演奏活動を行っている。
1994年~2000年まで、京都チェンバー・オーケストラの
指揮者も努める。
また、アマチュア・オーケストラの育成にも力を注いで、富山大学、
兵庫県立大学、アンサンブル・デユ・トレフル、さざなみ記念アンサ
ンブル、ストリング神戸、ストリング福井 ETC、
多くの楽団の指導にあたっている。
近年は、鯖江市の「あすなろ保育園」の子供や先生たちにも
ヴァイオリンを教えている。




西暦19年03月09日 土曜日 無題

 この一週間、いろんな頼まれごとをこなしてきたけど、あらかた終わった。
 あとは、明日の「ストリング FUKUI コンサート」の成功を祈るだけです。
 無料です。是非、ご来場ください。


西暦19年03月07日 木曜日
 東京オリンピック・パラリンピックがどんどん近づいているが、僕の頭に鮮明に焼き付いているのは、1964年の東京五輪。

 四年前に読んだ高杉良著・「東京に オリンピックを呼んだ男」を読んだ。
 主人公は、ロサンゼルス在住日系二世フレッド・和田勇である。
 
 昭和24年8月つまり私が生後七ヶ月でまだヨチヨチ歩きもできない可愛い赤ちゃんだった頃に、日本水泳選手団が全米水泳選手権に出場するために渡米した。そして和田が日本選手団に、9日間 の宿泊先としてサウス・バンネスの邸宅を無償で提供した。
 選手権で日本チームは自由形六種目中五種目に優勝、九つの世界新記録を樹立した。特に古橋廣之進の活躍はめざましく、全米マスコミは彼のことを「フジヤマのトビウオ」と呼んで賞賛した。
 まだ米軍統治下だった日本本土からマッカーサー元帥による祝電も打電された。日本中が戦後の混乱期のなかで疲弊していた時に勇気と希望を与える出来事となったわけである。

 さて
 和田が単に戦後の米社会で順風漫歩に成功しただけの男だったとしたら、この物語の魅力は半減するのだが事実はそうではない。彼の一家は生地和歌山県で食い詰め戦前に米本土に移住した。そこでいろんな仕事に手をだし失敗し要するに七転び八起きの人生を繰り返しているうちに両親はなくなった。そしてその時に米国と祖国日本との間で太平洋戦争が勃発したのである。

 彼は強制収用所入りを拒否し、仲間と共にユタ州キートリーに移り住む。日系人は軍需などの工業製品づくりに従事することができないので、荒地を腕一本で開墾し農産物を出荷して生計をつないだ。
周囲からは「中国人をいじめるジャップ、帰れ!」と嘲られた。

 米国籍をとってはいたものの、祖国が日本であるとの思いでアイデンテイテイのギャップに苦しんだことが、戦後になってから東京オリンピック招致に米国籍でありながら陰で活躍する伏線となったのは間違いない。