9月日記
 西暦19年09月25日 水曜日

  宮尾尾登美子著「きのね」(四巻)を明け方に読み終えた。
 表題の「きのね」とは、歌舞伎で見栄を切る時や、開演を告げる時に打ち鳴らされる拍子木の音すなわち木の音(きのね)である。

ウイキペディアからの概略を抜粋すると
 「主人公光乃(千代)が最初に歌舞伎を観た時にその音に感動し、やがて夫となる歌舞伎役者
雪雄(十一代團十郎=当時は海老蔵)に「きのね」と親しみをこめて呼ばれた愛称。
市川行徳の塩作りをしていた貧しい家に生まれた光乃は、上野の口入れ屋(奉公人などの周旋を職業とする人)の紹介で歌舞伎役者宗四郎(七世松本幸四郎)の家に女中奉公に上がる。 明治・大正の時代は死病と言われた結核に罹病した、宗四郎の長男雪雄の衣類の洗濯係という
仕事を、他には若い女が働く職場もない時代、口入れ屋に紹介され覚悟を決め奉公に上がる。  ところが、雪雄の結核はほぼ完治しており、洗濯係ではなくなったが何とか採用してもらい、以後震災・戦争・雪雄のチフス発症と混乱と激動の時代を、ただ雪雄の為にだけに生きる。 雪雄は宗四郎の長男という立場でありながら、松川家に養子に入る。 松川家(市川宗家)は歌舞伎の名門。 松川家の養子になれば、今まで廻ってこなかった主役級の役が与えられる。 宗四郎が雪雄を養子に出したのも、家柄のせいで力はあり人一倍研究熱心な雪雄が、良い役に恵まれず苦しんでいることを知っていた親心からだった。 松川家に入るとき、お付き女中として光代も一緒に雪雄の世話係りとして松川家に移る。 若手歌舞伎俳優として売り出した雪雄だったが、太平洋戦争が始まった頃チフスを発病し生死の境をさまよいます。その彼岸に逝きかけた雪雄を呼び戻したのは光乃だった。 物資の乏しくなった時代、ろくにものも食べていない光代だったが、自分の血を雪雄に輸血することを申し出で、2回の輸血の後雪雄は蘇生する。 そして戦争の混乱を向かえ、米軍の爆撃は激しさを増し、時代は歌舞伎を上演できなくなり、松川家の人々もツテを頼り郊外に避難する。光乃と雪雄は二人だけ八王子の御贔屓さんの納屋に疎開する。そこで雪雄の手が付く。八王子大空襲・東京大空襲を経て、終戦。 歌舞伎もそろそろ上演されるという噂、雪雄にも役が廻ってくる。 二人は八王子を引き払い、玉川電車の走る上馬に、またツテを頼りに引っ越す。 二人は事実上の夫婦だったが、それでも光乃は女中としての立場を守り続け、かんしゃくを時に爆発させる雪雄の足蹴にされながらも、雪雄を「坊ちゃま」と敬い、わずかな給金さえ出ない貧しい生活を支える。やがて身ごもり、光乃はトイレで出産する。
 このトイレで生まれたのが、後の十二代目團十郎(海老蔵の父)である。 雪雄が外出先から帰り、赤子の泣き声に気づき驚いて産婆を迎えに行くが、その産婆が見た光景は「聖母子」の姿だった。今出産を終えたばかりの光乃は、モンペをきちんと着込み正座し、横には座布団の上にきれいにぬぐわれた赤子がおった。まだへその緒も付いたままの赤子が。多くのお産に立会い、自身も大勢の子を産んだ産婆は、今まで見たこともない凛とした光乃に「聖母子」の姿を見るのだった。 勇雄と名づけられた子と、やがて雪代という女児も生まれ、二人の子をなした後も光乃は日陰の身のまま時は流れる。 松川家にも、宗四郎のところにも、およそ人の集まるところには、それが実の父の葬式であろうと出ることなく日陰であり続ける。 雪雄は今や若手人気役者。花流界はいうに及ばず、たくさんの女性ファンがいて、人気稼業は女房子供のことを世間には伏せていなければならない時代だった。 その後もたくさんの紆余曲折を経ますが、光乃は雪雄と結婚し妻となる。
 家柄が違うと云う事で光乃との結婚には全員反対だった。しかし雪雄は役者をやめても結婚すると宣言した。それではと格式を重んじる歌舞伎界、一旦当時の海老蔵後援会長の日本画家前田青邨氏の養女として入籍し、その後結婚した。
 「きのね」は小説の形をとっているが実話に基づいている。
宮尾登美子は、雪雄をへその緒を切った産婆さんがご健在の時、直接取材している。
「聖母子」と言う言葉は、そのとき産婆さんから聞いた言葉だそうだ。
 松川家とは、市川宗家のこと。雪雄は十一代市川團十郎。実の父宗四郎は、七世松本幸四郎のこと。
 十二代目團十郎(十一代海老蔵の父)は、その聖母子の赤ちゃん勇雄だ。 宮尾登美子がこの小説を書こうとした動機は、人気の歌舞伎役者の妻とも思えない光乃のつつましい姿を見たから。
 光乃は生涯、雪雄に全身全霊を傾け、雪雄亡き後は勇雄を歌舞伎役者として育て上げるそれだけを思い、生きた人。初代から十二代目團十郎の内、八代目と十一代目團十郎が男前、美貌の役者であった。
 十一代目は海老蔵時代が長く團十郎を襲名してから、三年半後の昭和40 年に亡くなった。海老蔵時代には多くの女性ファンは「海老断ち」と云って、エビを食べなかったので寿司屋や天ぷら屋は大変だった。」