2015年9月日記
15/09/30 (水) 9月最終日
 昨日午後の来訪客Tさんが携えていたのが、「沖縄焼酎 龍」。「ブログにいつも焼酎のことが書いてあるので」と言う。ありがたいことだ。
 
 ひとりで飲んではいけない。我慢しなければいけない。


15/09/28 (月) 昨晩はうどんをたんのう
 昨晩はうどんをたんのうした。事務所に集まったのは男3人で、うどんの作り手は勿論長谷川さん。正当なうどんの作り方を教わった。飲み物はビールと安ウイスキー。
 それにしても、女性の加わらない飲み会は久し振りだった。いや、初めてだったのかもしれない。
 昨晩の満月は見事で、僕は30年前を思い出した。
 僕はアメリカ人のセッド・チャッピマンさんとふたり、三国のサンセットビーチでニッカウイスキー片手に満月を眺めていた。僕は「日本人は満月からウサギの餅つきが見えるんや。そして時々はこの世の人とは思われない絶世の十二単美女が牛車(ぎっしゃ)の乗ってこの地球上に降りてくるんや。彼女の名はKAGUYAHIME」と日本人の月見感を披露したところ、彼は「アメリカ人は、月に男の顔を見る」と答えた。
 確か飲酒運転で帰宅したのだが、もう時効だ。勿論、それ以降は飲酒運転を一度もしていない。

 月見れば  ちぢにものこそ悲しけれ 
      わが身ひとつの 秋にはあらねど    大江千里




15/09/27(日) 無題
 昨日の午後は3時半まで三国・龍翔館に居た。

 「三国の歴史講座」開催で、長谷川さんが講演者として招待され、僕も同行したためだ。参加者は16人。
 印牧先生作成の資料を使用して長谷川さんが滔々としゃべった。
 昼過ぎ、山本一力著「おたふく」読了。


15/09/26 (土) ひと仕事終えて
 きょうの未明、ぼくは北潟湖のほとりにひとりたたずんでいた。工事現場の建物計測を終えての帰りだったが、未明の時間帯が一番好きだ。
 漆黒の闇の世界がやわらぎ、白山麓が明るみ始める。

 暗きより 暗き道にぞ()りぬべし 
        遥かに照らせや山の端の月 和泉式部
 なのだ。
 朝陽と月の違いはあるが、どのみち同じである。

 湖面に魚の刎ねる音が聞こえ始める。静寂の世界が終りを告げるのだ。
 老人と(おぼ)しき漁師が小さな船で、櫓をこいでいる。時々とまり、仕掛けた網を引き揚げている。


15/09/25 (金) 9月ももう終半か
 今朝は3時に起床。外は雨だ。午前中は、工事現場での打合せが予定されているので、なんとか降り止んでくれんかと思うのだが、無理だろう。

 11時半に事務所へ戻ってきたが、やっぱり雨中の打ち合わせで体が冷えてしまった。こういう時文句なしにうまいのが、熱々天麩羅うどんです。

 ということで、昼食としてうどんに挑戦しようとおもったのだが止めた。麺類は麺じたいよりも出汁によってきまる。僕がつくる出汁は美味くないのだ。僕は出汁づくりの奥義にいまだ達していないのだ。

 まだまだひよっこで、僕が自慢できるものが女性(美人のおなご)のあつかいだけだということはよくわかっている。


15/09/24 (木) さて きょうから頑張ろうか 
 僕のサラリーマン生活は10年間だけであとはずっと自由業。議員時代を除いては時間に縛られるという感覚のまるでない生活だったから、いきおいズボラにもなるしこの点については妻からよく叱責をうける。
 それはともかく、 疲れた時はテレビでプロ野球を見たり大相撲を見たりして、この連休を過ごしてきた。家から一歩も出ず誰とも会わずひたすら本を読んでいたのだがそのなかで気になった一冊が高橋敏夫著「藤沢周平」。藤沢周平、その魅力の源泉の冒頭を紹介すると
 ときどきわたしはこれでしばらく生きていける、という気持ちをもたらす小説や詩、あるいは映画やマンガにであう。
 藤沢周平「又蔵の火」とのであいもまた、そうしたであいのひとつだった。
 
 みずから破壊をもとめるような凄まじい放蕩をつづける兄の顔に、少年又蔵が、物憂い悲しみの表情をみいだす、その場面を読みながら、わたしはたしかに、これでしばらく生きていける、と思ったのだった。
 そして、誰一人として悲しむ者がいなかった兄の惨殺を知った又蔵が、理不尽さをみずから認めてなお、悲しまなかった者すべてを敵にまわすことを決意する場面に接して、わたしは、これでしばらく生きていける、と思ったのであった。さらに・・・。
 もっとも、作品との出会いの気持ちが、「これでしばらく生きていける」という、いささかおおげさにきこえるかもしれない言葉になったのは、ごく最近のことである。
 どうして最近になってなのか・・以前にもまして生きにくさを感じはじめたことのたんなる反動か。あるいは、急速に生きにくさをましつつあるこの社会環境のなかでこそ、ようやく生きることの実感をえたのか。
 わたしにも、じつは、よくわからない。


15/09/23 (水) 無題
 近江の海 夕波千鳥汝が鳴けば (こころ)もしのに (いにしへ)念ほゆ  
                           柿本人麻呂
 僕の大好きな歌。琵琶湖のほとりに立って夕日に映える湖面を眺めている人麻呂の姿がくっきりと目に浮かんできます。死ぬまでにもう一度近江へ行ってみたい。
  


15/09/22 (火) 無題 
   昨日の昼は、親類の法事。 
 
 一周忌ということで、沢山の人が集まった。有縁の人の集まりは、故人を偲ぶことは勿論だが、こういうものがあるからこそ新しい知人を得るという意義がある。
 それはともかく
 井ノ部康之著「小説・奥の細道」を読み終えた。著者は今年の福井県議選で初当選した井ノ部航太さんの父親。
 何年前だったか、井ノ部さんとの初対面の時の挨拶が「静岡在住の父は、小説家をやっております」で、僕はむしろ父親と知り合いになりたいと思った。

 かさねとは 八重撫子の 名なるべし  芭蕉

 一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月  芭蕉

 石山の 石より白し 秋の風  芭蕉


 15/09/21 (月) 深夜に思ったこと
  戦争に「正義の戦争」も「悪の戦争」もなく、あるのはただ「殺戮への狂気」だけであることを教えてくれたのが、(例えば日本の場合)昭和初期から20年8月15日までの歴史、言いかえれば「昭和」の「平成」にたいする遺書ではなかったか。兵士や民間人が虫けらのように殺されていったのが第二次世界大戦であったのをうけて、戦争放棄を憲法前文に謳っている国は世界に25カ国あるのだ。そうあらしめたのは、勿論、日本国憲法である。

 僕は、昨日のお寺清掃奉仕のさなか、「一体あんたらあわら市議は何を考えとんのや」と矢継ぎ早に質問されて困ってしまった。既に市議ではないのにも関らず、世間はそうみてくれない。
 先日、18日の本議会最終日を傍聴したが、「請願第6号・平和安全法制整備法案および国際平和支援法案の廃案を求める請願」に関して賛成したのはひとりきりで他の議員は全て反対だった。これほど民意からかけ離れた票差は珍しい。これでは自民党の提灯持ちと呼ばれてもしかたない。個々の議員が信念で反対するのならば、よくわからない文化論ではなくしっかりした論理で討議に臨むべきだったが、議員たちは貝だった。
 11月に議会報告会が開かれるが、あわら市民から執拗な質問をされることになるだろう。2年後の市議選は嵐となるだろう。


 15/09/20 (日) 今朝はお寺の清掃
昨晩は、僕のサロンに6人が集まっての飲み会。
 料理はプロの料理人・とんぼさん手製の猪肉コロッケだ。彼の薀蓄を聴きながらの試食は充分に楽しかった美味しかった。
 福井県連民主党事務局長・Yさんの思いがけない来訪も僕には嬉しかった。
 要するに、何もかもが楽しくて嬉しかったのだが、これは一重に気の合う仲間だけで飲むことの功である。・・ということで、僕は12時前には高いびき。みんながどうやって帰ったのか全然知らない。

 明けて今朝はお寺(檀家寺)の清掃。


 15/09/19 (土) 今晩は試食会

 「非知」の序 
 宗教へのわたしの関心のいちばん中核にあるのは、<信>と<不信>とを架け橋する過程の構造だった。<信>の構造というとき、ほんとうは<信>自体の構造よりこのことに重点があったといっていい。この<信>と<不信>のあいだの弁証は、底ふかくまで届いたら宗教だけではなく、宗教的なもののすべて、また信念の論理としてのイデオロギーにも拡張できるとおもえた。ただ精神内面にとじこもって、その部分をなすものだけは、文学の作品にゆだねられるほかない。
 たとえば「西方の人」の芥川にとって「クリスト」は古代のジャアナリストだった。比喩をつくるために使われている葡萄園、ロバ、工人など、素材をいつも眼のまえに見えるものに択んで生き生きと弁じたからだ。このジャアナリストに芥川はふたつの属性をあたえた。ひとつは聖母マリアの私生児だということ、もうひとつはボヘミアン的な精神の持主で、流浪しながら布教したこと。そして聖母マリアに日本のふるい母親の像をあたえているとおもう。また「クリスト」の内心に幼な子の無垢さをあたえ、ボヘミアンとしては、佐世保や横須賀に死を常駐の覚悟としながら転任してゆく海軍将校(つまり芥川の同僚)の家庭の幼児を類推してみせた。芥川は「クリスト」をどんなモチーフでどう描こうとして「西方の人」や「続西方の人」を書いたのだろうか。私は十代の後半のころから現在まで何度も読みかえし、読みかえしているが、ほんとは一度も芥川のモチーフをよくわかったことがない。そこでいちばん最初にまだ「聖書」の知識もなにもないときに読んだときの印象にかえるほかないとおもえた。つまりは「自分に似た」ように書きたかったのだが畏れを感じて、そこまでは書ききれないままに収めてしまった芥川の暗い自画像のようなものだ、という印象に、ほんらいは神への<信>と<不信>、あるいは人間の<聖性>と<卑性>の弁証として描くべきモチーフを<人間クリスト>というモチーフにおき代えてしまったものとして読める。かくべつ西方的でもない「クリスト」を、西欧近代文学への関心の象徴としてみようとしたので、芥川の「クリスト」は西欧的な「人間」という概念の宣明になっている。
 太宰治の「駆込み訴え」になるとはるかにモチーフは明瞭とおもえる。芥川とおなじように「新約書」の主人公をとりあげて描くのに、ユダの眼をとおして、無垢な世間知らずの幼な児のようなイエスを、世間智にたけ、汚れ役に徹してイエスの言動の後始末を陰でやって支えてきたユダという眼の設定を介して描いている。<信>に対して<不信>の眼がいだく尊崇と侮辱のアンビバレンツな愛憎が、あざやかに浮き彫りにされている。このイエスの描かれ方は卓越したもので、世界的に類型をもとめることができないほどだ。
 このイエスの<信>とユダの<不信>との葛藤は、作者太宰の内なる<聖性>と<卑性>との葛藤の象徴ともなりえている。ひとは、自分を愛するように他人を愛することができるか、とか、献身は悪なりやとか、太宰の心の奥ふかくにいつもくすぶっていた問いを表現するために、ユダの眼に自身の自嘲をこめることで、照れや恥しさをうち消そうとしている。これ以上<信>と<不信>の繊細なドラマはかんがえられない。
 わたしたちは宗教の<信>と<不信>とを疎通させるために、たぶんもうひとつ宗教以前にある習俗への<信>と<不信>の考察がいるような気がする。べつの言い方をすれば、習俗はどの水準で切断し、どの水準で再生されるべきものか、あるいは習俗を反復することで転生の契機を見つけ出すという未開の宗教性は何を意味するのかということだ。いつかそこまで<信>と<不信>の弁証を拓くことができたらと、しきりにかんがえる。
                    吉本隆明
 声の広場をどうぞ。

604.地方自治法 記録の削除に関する規制(法的根拠) 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/19(土) 15:56
 総務常任委員長、山本篤氏が委員会での議事を一部削除しょうとしている。理由は委員、向山氏の発言が著しく不適切で、意見陳述人及び市民を侮辱するものであり、公開することにより向山氏が批判を浴びることを恐れているからである。

 向山氏はこの件に関して陳謝していない。にもかかわらず委員長、山本氏は事実を隠蔽し幕引きを図ろうとしている。

 あきらかに地方自治法、「公開の原則」の趣旨に反している。法律違反の恐れ大である。法律違反を承知で違法行為を行えば委員長辞任では済まない。議員辞職に値する。そこまでの覚悟がおありであろうか。

 委員長は、まず議事録の(インターネットを含めて)の削除の理由を明らかにしなければならない。

それが暴言を浴びせられた意見陳述人への委員長としての最低限の義務である。それを無視することは公人として無論のこと、人間として許されない。

 念を押す。向山氏の暴言の後、私は委員長に「今は休憩中なのか」と質した。委員長は「(委員会)進行中です」と返答した。ビデオを見れば一目瞭然である。委員長が委員会外の発言として、削除の理由とする詭弁は通用しない。

 いずれにしても道義的にも法的にも削除することには極めて問題が多い。それでも敢えて暴挙をおこなえば、法的に罰せられる可能性があると、指摘したい。少なくても道義的には必ず罰せられる。

 

603.巧言令色鮮矣仁 (論語) 返信  引用 
名前:とんぼ    日付:2015/9/18(金) 22:24
 巧言令色鮮矣仁 剛毅木訥近仁 (こうげんれいしょくじんすくなし ごうきぼくとつじんちかし)
「口先が巧みで、人の歓心を得ようとする人間に誠実な者はいない。剛毅で飾らぬ人間に誠実な者が多い。ゆえに言葉巧みな人間を信用するなかれ」との戒めである。

 今日の本会議で山本篤議員の発言を聞いて、孔子の教えを思いだした。

 9月8日の総務文教常任委員会(山本篤委員長)での向山信博委員(議会運営委員会委員長)の暴言「市民の請願などいちいち聞いていては議員の仕事などできない」を、私は山本委員長に対し「削除することは言語道断である」と申し上げた。

 本日、再度確認したところ彼は削除すると言った。向山氏に「あなたがそうさせたのか」と糺したところ「知らない」と白を切る。再び山本氏に糺したところ、わけのわからぬ言い訳をする。あまつさえ他者に責任を転嫁しょうとする。

 申し上げる、貴方が委員長である。委員長に権限があり、責任がある。委員会での出来事は他の誰にも転嫁できない。

 暴言を吐いた向山氏は論外としても、それを削除しようとする委員長も同罪である。委員長としての自覚も責任感も皆無である。委員会の終了後でも休憩中でもない、委員会進行中の発言である。公式の場で我々のみならず市民を侮辱したのである。その事実を削除することは委員長が阻止しなければならぬ、それが委員長の見識である。

 未だかって、公の場での発言を謝罪も説明もなく削除したことがあろうか。彼は前代未聞の誤り犯そうとしている。

 山本篤議員、向山信博議員に申し上げる。反論があれば、ビデオを公開して反論してもらいたい。非難の矛先をかわすことに汲々としている、事実を隠蔽し嵐の通り過ぎるを待っている、そのような小賢しい態度ではなく、正々堂々と反論していただきたい。私は応じる。

 委員会で暴言を吐くような議員は品性、見識が欠如し、資格すらない。同時に巧言令色な議員も我々は御免蒙る。

 彼等は議会運営委員会、総務文教常任委員会の委員長である。公の記録を削除するという暴挙を犯そうとしている。みずからが委員会の権威を失墜させようとしている。その前に彼等は委員長の職を辞すべきである。

 重ねて申し上げる。記録を削除してはならない。

 


15年9月18日 金曜日  もう週末か

 昨日の早朝は「9条の会」に誘われて、ユニー前に立っていた。

 余談だが、議員時代の辻立ちを思い出し、マイクを持ちたくなってしまう。

 その後はCADに専念し、昼一番で確認申請書を三国土木事務所に提出。ひと仕事終えるとほっこりした気分になる。
 きのうから、吉本隆明対談集「非知へ」を読み始めたが、このひとのしゃべりは相変わらず難解で、読んだページをあともどりすることが頻回だ。でも、そうやって格闘するうちに珠玉の言葉と出会う時、心が洗われた気分になる。心の浄化槽だ。

吉本語録

自己幻想・対幻想・共同幻想

ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ 「廃人の歌」

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる 「ちいさな群への挨拶」

ぼくたちは肉体をなくして意志だけで生きている
ぼくたちは亡霊として十一月の墓地からでてくる 「絶望から苛酷へ」

  15年9月17日 木曜日 今朝はユース前
 二年ぶりに芦原図書館へ行ったら、館長が知人Mさんだったのでびっくりした。三月に金津中学校の校長を退職してからこの職にあるとのこと。

 20年近く前、僕が金津中学校PTA会長をやっていた時のPTA担当教諭が彼だったので、その頃の昔話に花が咲いた。

  15年9月16日 水曜日 きょうで変わる そしてきょうは吉崎
 昨晩の来訪客は三人。このところ、夜の訪問者が続いている。
 安保関連法案がきょうの夜、委員会で強行決議されようとしている。
 稲田朋美、高市早苗という福井に縁の深い両氏も安倍首相の腰巾着として面目躍如となるだろうが、どうしてもわからないのが、圧倒的多数の民意に反する敢然とした挑戦であるにも関らずのなりふりかまわず的姿勢の底意がなになのかということだ。

 勿論、テレビ・ラジオ・インターネットで、学者センセ方がいくつかの背景を挙げて解説しているが、僕が思うに、今の政治家リーダーたちが60年安保以降に生まれた世代で、戦争の悲惨を単なる知識として持っているに過ぎない世代であるということだ。我々団塊の世代、全共闘の世代よりも若いのである。
 


 15年9月15日 火曜日 無題
 災害をも自然の営みとするならば、自然の一番恐ろしいところは、人間の死ぬ順番を自然が守ってくれないところにあるのであって、その意味で神も仏もないのだと思いはする.。 
 一方で、(個人的な体験上)魂魄の彷徨いを僕は信じているので、その背反による悩みが生きている限り続いていかざるを得ない。
 どうせ生きていくならば強く悩むことで「悩む力」が発揮されると言っているのが姜尚中だと、手作り和紙行灯(贈答品)を深夜に眺めながら

 僕は拙い頭で考える。
朝倉喜祐 知られざる抑留八年の記(前編、続編)
眠気がでてくるまで、朝倉喜祐著「知られざる抑留八年の記録」を読んでいた。
著者はお町さんに再三出てくる人で、私が15年前に金津町議会議員選挙に出た時、お世話になった人でもあるが、数年前に亡くなられた。
 
初めてお会いした時、「ふつうの人ではないな」とは思ったが、この本を読み進めるうち、「このような波乱の過去があったのか」と驚いた。
けれどもよく考えてみると、ふつうの平穏な一生を終えたようにみえる人にも それぞれに波乱の過去があるはずなのである。ただ、本を出せるほどの文筆力があるかないかだけの話だ。そういう意味で、世の中は不公平だと思う

朝倉喜祐著「知られざる抑留八年の記」を読み終えたが、涙を抑えることのできない部分が所々にあり、著者あとがきをここに添えておきます。

 戦後八年の抑留記は、昭和二十八年四月帰国した際、中京軍後方病院の雑役として、中国内戦、中華人民共和国の建国、ついでその後、満州各地を転々と移動して歩いた町々で見たこと、聞いたこと、体験したことを、記憶のうすれぬままに書き綴ったものである。
 筆をとってみると、当時の生々しい苦難の日々の生活が、日がたつに従って美化され、しかも拙文ときているので、他界寸前に戦後史の一資料として図書館へ寄贈しようと思い、残していた。
ところが昨年の暮れ、ひょっとしたことから近藤さんの目につき、戦後満州での日本人の足跡の一片として、第一集だけでも活字にしてみたらと勧められその気になった。
見方、考え方の雑な私のことゆえ、当時のことを表面的に、しかも主観的にとらえている点も多くあろうし、誤りもあると思う。その点は御容赦いただきたい。
 また、お世話になった方々の記述については実名を使わせていただいたこともあわせてお許し願いたい。
 尚、この第一集の出版にあたって、力をおかしくださった大阪の近藤正旦氏、千葉の谷口泰子さんに心からお礼申しあげてあとがきとする。
                 平成四年初春
                 福井県坂井郡金津町吉崎 筆者 朝倉喜祐
                                     
要するに昭和20年8月15日の終戦勅諭を察知した関東軍上層部はいち早く家族を内地に返し 自らも内地へ逃げる。そして帝国陸軍軍人たちへの解散命令は発せられないままだった。つまり彼等は除隊兵となってしまったのである。これが終戦一週間前にスターリンにより宣戦布告された結果の大量シベリア抑留へとつながるのであるが、シベリア抑留とまでいかなくても、朝倉氏やお町さんなどの孤軍奮闘が四面楚歌の家族たちを助ける力となる。
「知られざる抑留八年の記」と「お町さん」を読み比べてみると、朝倉氏と女侠客・お町さんあるいは芦田伸介との連携は終戦後に濃密になったようで、日頃温厚な朝倉先生に接していてこのような過去があったとは、ついぞ知らなかった。「知らなかったのが残念」とは思ったが、地獄絵図は人に語れないのが人間の真実でもあろうし、かつ、死期が近づくにつれ文章に書き残したい思ってくるのも人間の真実であろう。

 付記
 特にあわら市職員に知ってほしいのですが、お町さん(道官咲子)は、今、教育委員会にいる道官氏の先祖です。

後編
こうして私は故郷吉崎の地に戻った。その後、先輩友人、寺の門徒衆の温かい力添えで福井県で教職につくことができた。昭和三十一年、新聞の満州よりの引揚ニュースをみて、私たちの仲介毛利夫妻が帰国されることを知った。本名大塚有章氏(山口県出身)で共産党員 昭和七年の大森銀行襲撃事件の首謀者で、網走カンゴクで刑を終えて満州映画に勤務されていた。帰国を知って思想の相違は問題外、私たちの仲介でお世話になった方だったので舞鶴まで 出迎えにいき、?山でのお礼と帰国の喜びを申し上げた。その時、立命館大の総長をしておられた末川博氏がきておられたと思う。その後も上阪するとお宅へお伺いしたが、夫妻は常に笑顔でむかえ、幸せに暮らしていることを喜んでくださった。大塚夫妻は、私たちとの話合いの中で、河上肇博士が義弟であり、末川博博士が義兄であり、難波大助が従兄弟であることも、現在なさっている活動についても何一つ語ったことがなかった。
ただ「未完の旅路」(三一書房出版)・大塚有章著を送本していただいて、はじめて主義に生き抜いた仲介夫妻の生きざまを知ることができ、頭がさがる思いがしたものだった。
私は、昭和五十三年、県教育功労者としての表彰を受け、昭和五十五年定年退職した。
思えば昭和二十年八月の終戦満州国の崩壊で、一度は死を覚悟した身でありながらこの年まで、私をとりまく方々の友情に支えられて、何とか生きさせていただいた事をつくづく有難いと思うこの頃である。抑留八年間、共に働き、共に苦しみ、共に励ましあい、共に祖国の土を踏むまではなんとしても生き抜いていこうと誓いあった友の内、その望みを果たせず大陸に骨を埋めた仲間の霊に対し、心より冥福を祈りこの文をとじる事とする。

今宵また 追憶の旅や 夢枕   喜祐



 15年9月14日 月曜日 昨日の一日
 昨日の昼は、山代温泉「瑠璃光」に居た。坂ノ下区の男性30人弱が集まっての大宴会だったのである。
 議員時代は日常茶飯だったものがここ二年ほどは全く無く、せいぜい6,7人が集まっての静謐の宴に路線変更し、そこを救いの場としている私だけれども、たまにこういう場に入ると、非日常の刺激を感じる。

 私の隣席が坂ノ下区随一の猥談語り手だったため、酒量の増大に応じて座の周囲は盛り上がっていったが、私自身は冷めた目だった。

 午後3時半に帰宅。「きょうは飲みつぶれよう」と思い、近くのスーパーへウイスキーを買いに行った。飲むほどにカラダが熱くなり眠たくなり、ソファーを広げてベッドとし上半身裸になってウトウトしていたらドアがノックされ女性(びじん)が現われた。
 「寝室とは言え、並行して応接間なのだ。裸体になって寝ていてはいけない」と、私は深く反省した。


 15年9月13日 日曜日 さあ 今日は祭りのあとぼこりで飲み会だ

 宮城県大和町・・今回の台風で大被害を被ったこの町のことはよく覚えている。
 20年近く前、僕が初めて金津町議会議員になった時、初めての視察研修先がこの地だった。仙台市の北隣りに位置していて、ちょうど「平成の大合併」の是非が全国的に論議を呼んでいる時期だった。
 役場での町長、議長の挨拶の基調は「絶対に合併はしない。吸収合併で我が町が築いてきた諸々を崩すのは忍びない。寄らば大樹の陰は嘘である」だった。特に初等教育の重要性を力説していたので、僕は「米百俵」の映画を思い出した。頑固であることに功罪はあるのだろうが、とにかく東北人は口数すくなく頑固である。

 役場を出て、現場を視察したその夜は、松島湾内の旅館に泊まった。早朝に起きた僕は、珈琲片手にベランダに出た。僕の体は湾から吹き寄せるそよ風に包まれた。
 無数の小島が眼前に在る。
 松島や ああ松島や 松島や  芭蕉    である。
 
 東北大津波の際、この地の被害が最小限にとどまったのは、無数の小島が緩衝体になった故とのこと。
 


 15年9月12日 土曜日 けだるい土曜日

左側の赤字:講演会資料(1)(2)(3)は、来たる11月21日(土)に開かれるとんぼさん講演の資料です。
是非、お読みください。
 それはともかく
 夕陽恋
三国土木事務所での打合わせ終え、海岸に出た。
落ちる夕陽に染まる水平線からの風は冷たい。

パリで買ったダーバンのコートのえりをたててのくわえ煙草。憂愁の気分で岩畳にたたずむ私を横ぎろうとするひとつの影がある。
年の頃は42,3か。利休ねずみの鼻緒の草履、浅黄色の地に濃紺紋様の西陣、白いうなじ、島田髪の和服女性は、軽く私に会釈し去って行く。

遠ざかる彼女の細い背中は夕陽の逆光でシルエットと化した。
岩畳を散策する足取りおぼつかなく、不意の波しぶきよけようとした彼女の体が反転しよろけた。
かけつけ、「大丈夫ですか、奥さん」と声かける私に「おおきに、大丈夫どす。それにうち、今は奥さんあらしません」と彼女は言う。

うちとけ、肩並べつつ砂浜を歩いた。いつの間にかふたりの指はからみあっている。
彼女の胸の激しい鼓動が聞こえてくる。抱きしめ口づけを、と思わないでもなかったが議員なので我慢した。
別れた亭主のこと、今彼女にいいよっている幾人かの嫌な男たちのこと、そのうちのひとりが某市の議員だということ、にも関わらず自立し孤高に生きていこうとする思いききつつ、「この人にしろ私にしろ、美男美女の人生につきまとうのは、やはり悲しみと憂いなのか、それが宿命というものなのか」と私はココロでつぶやいた。

気がついたら辺りは既に闇だ。
それでは、と背をむけた私を「りりしいおかた・・・たくましいおかた。うち、貴男様のお名前まだ聞いてしません。今晩のお宿どこですの?教えてくださいな。うち、行ってもかましませんでしょ?ねえ、かましませんでしょ?」と彼女の涙声の懇願が追う。
私は「奥さん、いやもと奥さん。私は名のるほどのものではございません。貴女は私をいとしく思っているのかもしれないが、それは本当の私・裏の私を知らないからだ。どんな男でも、私よりましなのです。恋に恋してはならない。恋に恋したところでなにものも生まれはしない。貴女はいつの日か必ず真実の男性にめぐり合います。ここでさようならすることだけが、お互いを幸せにする道なのです」と答え、歩きはじめた。
背中見続けているであろう彼女の視線に耐えきれず、私はゆっくりと、しかし止まることなく歩き続けた・・・・。

こんなことを岩畳の上で夢想したのだが、こんなシチュエーション、52年のわしの人生に一度もなかったなあ。悔しいなあ。


 15年9月11日 金曜日
  藤沢周平著「本所しぐれ町物語」をほぼ読み終えた。
 20年近く前、夢中になってこの人の本ばかり読んでいた時期がある。まだ読んでいない著作に出会った一昨日は嬉しかった。


15年9月10日 木曜日 音楽と焼酎のコラボレーション
 ヴィゼー「カルメン」を聴くことが、深夜の楽しみのひとつとなっている。
 ヴイヴアルデイ「冬」を聴くことが、夜明けの楽しみのひとつとなっている。
 
 若かりし頃、、ウイーン・ハイデルベルグ音楽院の真面目な学徒であったことを思い出すのだ。
 その時の同棲相手・ハイジは、今どこで何をしているのだろう。既に50歳を過ぎているのだが、「アルプスの少女ハイジ」と私が呼んでいた彼女は今も若々しいはずだ。
 腕を組み、口づけを交わしながら歩いたセーヌ川のほとりで一緒に口ずさんだジャック・プレヴェールの「枯葉」が走馬灯のようによみがえってくる。

15年9月9日 水曜日 ひたすら忙しい
  長谷川さん講演の案内チラシです。
中野さんのメールより転載(但し固有名詞はイニャシルに変換)しました。

中野です。
 複数メーリスでの重複をご容赦願います。
 福井県内の自治体議会での民主化のためにも、抗議の声を拡散願います。
 本日、あわら市議会総務文教常任委員会で、あわら市九条の会で提出した請願書(安保法案反対決議の要請)の意見陳述に行ってきました。自分を含め3名の方が陳述できると参考人席というのでしょうか、会議の席につきました。
 しかし、議会側から一方的に、陳述時間は、5分~10分と予定され、さらに議事が始まると、議長が5分と決めつけ、 いったい何の根拠でそう決めたのかの説明さえありません。
 まず、Tさんが、九条の会の紹介のあと、請願書を読み上げ、さらに その趣旨について、補足的な意見をのべました。
 ここで、紹介議員の山川議員が「質問があります」と発言したとたん、「陳述だけのはずではないか」 「紹介議員が質問するのはおかしい」などと、あからさまな説明妨害発言がなんと、市議会議員である委員席からなされました。
 なんとか、山川議員が、「それはおかしい。」と抗議して質問しました。
 その山川議員の質問に答える形で、自分が答えましたが、自分の発言時間は5分もあったでしょうか?(長かったとすれば、下の妨害発言のせいです。) その途中で、発言を妨害するような形で、「あなたの意見など聞いているのではない。陳述したい人はたくさんいる。いちいち市民の陳述など聞いていては議会の仕事などできない」というような暴論(暴言ですね)で発言する議員がいました。M議員です。
 議長は一応、陳述人の発言を認めましたので、自分は発言を続けました。
 M議員のあわら市民、さらに民主主義制度のもと設けれた議会そのものを愚弄する暴言に抗議します。
 さらに、陳述が終わると、委員会議長は、山川議員に、「紹介議員はもっと請願の内容を聞いておくようにと」訳のわからないコメントをしました。
 議長として、恥ずかしくないのかとしかいいようがありません。
 M議員は、終わった後も、市民の陳情は意見をいちいちきいていては議会にならなないのだ(?)といった発言を続けました。
 福井市や坂井市から傍聴にこられた方もいる中で、あわら市民として恥ずかしい限りです。
 知らなかったのですが、委員会傍聴は3人までと条例できまっているのです。それも、報道機関も含めて3人まで。怒りを通り越して、あきれてものも言えません。
 おっと、話をもどしますが、市民を愚弄するM議員と議事を封殺する委員長に抗議し、猛省をうながします。
 民主主義の基本理念さえ理解できてない委員長の、上から目線での発言は議論をつくすという議会の責務を議長自らがつぶすものです。
 当たり前ですが、陳述でも不足する点があれば、質問するのは議員の務めでしょう。まして、安保法案に関する意見です。
 山川議員以外にも、延々と質疑がつづくのが当然ではないでしょうか?
 さらに、陳述でもいいましたが、安保法案に関する議論は、衆議院の200時間ちかい議論でも多くの国民が説明が足りないといってる命にかかわる重大かつ大事な議論なのです。たった5分や10分で、説明しきれるわけがない。
 あわら市に関するどんな請願も陳情も、説明をうけ、徹底的に議論するのが議員の責務のはずです。まして、今回は、あわら市民も含む人命がかかった重大事の議論です。議長みずからが、封殺するようなことがあっていいのでしょうか!
 もし、将来あわら市民が、安保法案で切り開かれた戦闘やテロで死亡したり悲嘆のどん底に叩き込まれることがあれば、この両議員の犯罪的行為は、あわら市の歴史にのこるでしょう。
 特に、M議員の発言は、福井市から傍聴に来られた方も、あきれはてていましたが、許すことのできない発言です。
 なんで、暴言であり反省するのかと書きたいところですが、そんなことを、いちいち説明するほどの必要があるのでしょうか?
 市民の意見をいちいち聞くほど暇ではないと、高圧的に、選挙で選ばれた議員がこともあろうに議会の議事中に公然と発言しているのです。
 「この前も細呂木地区の人から陳述したいといわれたのだが・・・」と、安保法案反対の請願を行った自分たちだけでなく、すべての請願、陳述をする市民に向かって暴言をはいています。この議員たちは、いったいいつの時代に生きているつもりなのでしょうか?
 といっておけば十分かと思います。
 こんな議員の言動は、ひろくあわら市民に伝え、議員を辞めてもらわねばならないでしょう。市民が議会で意見陳述ができるという当たり前のことを実現していくために、福井の他の自治体の市民とも連帯しながら、一歩一歩、この腐敗しきった議会や自治体の改革を市民の力ですすめようではありませんか!


15年9月8日 火曜日 無題

数日前の深夜、ユーチューブで石牟礼道子を見ていた。水俣病患者に対する連帯の言葉は、今はアルツハイマー患者の彼女であるけれども、およそ政治家風情には語れない質の高さを示し、(心のなかで)涙を禁じ得なかった。再読したくなって、翌日に図書館へ行き「苦界浄土」を注文したのだが、答えは「ない」だった。
 思うに
 「苦界浄土」のような不朽の作品が抹消されていく現代社会は、日本が工業化する過程のなかで生じた言わば「負の遺産」を単なる歴史的的事実に押しとどめようとする戦略が働いている。歴史には光と影があるにも関らずだ。
 中日新聞(9/7)社説より転載
 核燃料サイクル なぜこだわり続けるの
 核燃料サイクルは、経済的にも技術的にも、とうに破綻しているのではないか。なのに、今さら国が関与を強め、電力会社に維持させたいのはなぜか。再処理にこだわり続けるのは、なぜなのか。
 使用済みの核燃料、つまり核のごみに再処理を施して、原爆の材料にもなり得るプルトニウムとウランを取り出し、もう一度燃料として利用する-。それが核燃料サイクルだ。
 このリサイクルの輪が閉じてこそ、核の平和利用という国策は完成される。ところがその国策は、入り口でもうつまずいた。肝心の再処理工場(青森県六ケ所村)完成のめどが立たない。
 当初は一九九七年の完成予定が、今は来年の三月と、二十二回も先送りされている。七千六百億円と見込まれた建設費用は、二兆二千億円にも膨らんだ。
 再処理工場を運営する日本原燃は、原発を持つ電力十社が共同で設立した株式会社で、事業費は電力会社が積み立てている。
 今は「総括原価方式」で、その費用を電気料金に上乗せできる。しかし来年四月に電力の小売りが完全に自由化されると、地域独占の壁が崩れて、お互いが競争相手になり、料金値下げの圧力がかかってくる。再処理は、ますます経営の重荷になり、原燃自体を維持できなくなる恐れがある。
 日本は核兵器保有国以外で唯一、米国から再処理を許されている。政府はその権利を手放したくないために、てこ入れをしようというのだろうか。
 核燃料サイクルの新たな担い手として、政府が直接所管する「認可法人」を電力会社につくらせて、そこから日本原燃へ再処理事業を委託するかたちをとる。
 日本銀行や日本赤十字社と同じ認可法人は、国の許可なくつぶせない。膨大な費用がかかっても、核燃料サイクル事業を維持したいという、政府としての明確な意思表示と言えるだろう。
 だが、再処理工場だけではない。再処理してつくった燃料を燃やすべき高速増殖原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)もトラブル続きで止まったままだ。それでも電気代など一日五千五百万円の維持費がかかる。
 寸断され、閉じる見込みのない再処理の輪の夢からは、もう目覚めるべきである。
 既に大量にたまってしまったプルトニウムや核のごみをどうするかにこそ、知恵と費用を傾けるべき時ではないか。


15年9月7日 月曜日 無題
土日は、事務所の整理整頓に一生懸命だった。
 台所コーナーの棚を買い替え、来訪客に出すコーヒーカップなどを消毒し、設計読書コーナーの書類をPDF化したのちに処分し、応接コーナーのテーブルに花瓶を置きソファーを再配置して、MAX8人までだったらゆったりと座談できる空間構成とした。
 これで、過去と決別できた。私は、新しい人間となった。

15年9月6日 日曜日 ゆったり気分の朝

 「一乗谷朝倉氏・庭園の魅力と再発見」の案内チラシが、建築事務所協会から送られてきた。
 庭園を見たのはもう10年以上前。是非、参加したい。
 福井新聞社丸岡支局で「縁者4人展」が開かれ見に行った。
 

15年9月5日 土曜日 無題

 来週月曜日は、あわら市議会定例会一般質問の日です。

 通告者
 1 森 之嗣 議員
 ①芦原温泉駅周辺のまちづくりと新幹線駅について
 ・芦原温泉駅周辺におけるにぎわいづくり事業の継続について。
 ・新幹線芦原温泉駅と周辺のグランドデザインについて。
 2 山本 篤 議員
 ①東京圏高齢化回避戦略について
 ・日本創生会議首都圏問題検討分科会の提言についてどう思うか。
 ・これからの高齢者の増加によって、市にもたらす影響は、どう予想されているのか。
 ・移住政策が行われた場合、移住先の医療・介護などの給付が増大すると予想されるが、移住を促進するために、国にどのような対策を講じてもらいたいのか。
 ・高齢者の移住のみならず、人口増加のために若年層の移住も期待できるような政策が必要なのではないか。
 ②プレミアム商品券について
 ・プレミアムの商品券はどれだけ発行したのか。
 ・プレミアム商品券が使いづらいという、前回の反省は生かされたのか。
 ・担当所管である「あわら市商工会」は、商工会員の増加や使用できる商店の増加に努力をしているのか。
 ③中学校のクラブ活動と総合型地域スポーツクラブについて
 ・総合型地域スポーツクラブである「あわらトリムクラブ」の現在の活動は。
 ・総合型地域スポーツクラブの本質は何だと思うか。
 ・中学校生徒の減少による部活の減少についてどう思うか。
 ・総合型地域スポーツクラブとして、中学校の部活に対して支えていける事がないか。
 3 吉田 太一議員
 ①移住者対策について
 ・今年空き店舗、空き倉庫、空き家などの調査をしたが結果はどうだったのか。
 ・定住人口を増やすために移住者の受け入れをしていく必要があると思うが、移住者に対しての特典はどのようなものがあるか。
 ②観光事業について
 ・aキューブの利用状況と活用状況は。
 ・修景整備された市道田中々舟津線(通称・湯~わくDouri)で市場を7月4日から開催しているが出店数と来場者状況は。
 ・開湯130周年事業について、単発事業ではなく継続性を持たせることが大事なのでは。
 ③あわら市の起債について
 ・橋本市長就任8年間における起債状況は。
 ・都市計画マスタープランと起債の計画は。
 ・起債を減らしていくための考え方と手法は。
 4 八木 秀雄 議員
 ①指定管理者の外部評価について
 ・指定管理者が協定項目を順守しているかどうかについて、外部評価を行い、結果を公表する考えはないのか。
 ・外部評価を行う場合、どのような方法を取るべきと考えるか。
 5 笹原 幸信 議員
 ①生活実態のない不在市民の対応について
 ・あわら市に住民登録があるが、生活実態がない市民は何人程度いるのか。
 ・区長等から生活実態がない市民の報告があった場合、どのように対応しているのか。
 ・各課において生活実態のない市民を把握していると思うが、庁内で連絡調整を行っているのか。
 ・生活実態のない市民に対して、住民税や固定資産税等をどのように課税し徴収しているのか。
 ・職権で住民登録を抹消できないのか。
 ・国がマイナンバーカードを郵送して交付すると聞くが、宛先不明で市に返送されたものは、どのようにするのか。
 6 三上 馨 議員
 ①空き家の維持管理について
 ・空き家の解体・撤去費用について助成を行ってはどうか。
 ・補助制度の創設に加え、金融機関と連携した支援を行ってはどうか。
 ・空き家の解体・撤去に当たって、固定資産税を一定期間減免するような措置を行ってはどうか。
 ・シルバー人材センターなどを活用し、利用できる空き家の管理を促す取り組みを行ってはどうか。
 7 卯目 ひろみ 議員
 ①公園を活用したウオーキングコース整備(健康増進対策)についてr
 ・市民の健康対策や認知症対策を目的に、竹田川河川公園及び北潟花菖蒲園を活用し、ウオーキングコースを整備する考えはないか。
 8 仁佐 一三 議員
 ・北潟湖畔公園のグレードアップと活用について
 ・湖畔公園はオープンしてから12年以上経過しており、美観を損なう箇所が多くなってきているが、今後の整備や活用をどのように考えているのか。
 ・あまり活用されていない芝生広場にグラウンドゴルフの常設コースを整備してはどうか。
 ・湖畔公園のPR不足を感じるが、まず、桜並木や公園の設備等をアピールするパンフレットを整備すべきではないか。
 9 平野 時夫 議員
 ①ごみ減量化対策について
 ・市内全地区のごみ減量等推進委員から実態の聞き取りをする考えはないか。
 ・「ごみ分別アプリ」を制作し、公開する考えはないか。
 ・「食べ残しゼロ推進店舗」認定制度の導入の考えはないか。
 ・家庭用電動生ごみ処理機の補助制度を導入する考えはないか。
 10 山川知一郎 議員
 ①獣害対策について
 ・被害防止柵の維持管理、捕獲への女性拡大を。
 ・対策の重点を捕獲に。
 ・石川県境への柵設置阻止を。
 ②芦原温泉駅周辺整備について
 ・三つのロータリー必要性・機能は。
 ・住民の意見は反映されているのか。
 ・埋蔵文化財の調査は時間的に可能なのか。

15年9月4日 金曜日 無題
 
 ぼくが十数年前にこのブログを書き始めた時のタイトルは「敬天愛人」で、勿論、西郷隆盛の言葉だ。
 天を敬い人を愛す」の意味だが、愛人の意味が誤解されじきに止めてしまった。

 それはともかく昨日の来訪者のうちのひとりがもってきたのが
 
 白鹿で、美味かった。

15年9月3日 木曜日 無題

 ぼくの欝もやっと峠を越して、今はもう秋
 さあ、きょうも頑張ろう。とは言っても何を頑張るのかよくわからないのだが、何でもいいから頑張ろう。

 昔は「頑張る」という言葉が嫌いだったが、年長けて妙に愛着がでてきた。思うに、頑張って何かに誰かにすがりつきたい気持ちが強くなってきたのだろう。

15年9月2日 水曜日 きょうは日本の降伏文書調印の日

 ぼくのテレビ観賞時間は、AM5.50~AM6.20だけ。もちろん、あさちゃんミンスポだ。今朝も国際大会の結果をじっくりと見ていたが、とにかく日本チームは他国の強豪チームと比べて、背が低い。10cmほどの差がある。これでは高さを競うスポーツ例えば陸上の走り高跳び、棒高跳び、バレーボール、バスケットボールなどの部門で決定的に不利だ。

 ぼくは海外渡航の経験が二度あって、異国人がレストランで大皿に乗せられた肉やポテトをバカスカ食うのを目の当たりにした時、和食の細さと洋食の太さが体格の差を生むことを実感した。そして、その意味において日本人が世界の手本となる日が近づいていると思った。体格の差によるスポーツイベントなどは所詮遊びの世界であり、真に考えなければならないのは迫りくる食糧危機なのである。危機への対応の選択肢のひとつは、人類が食を細くすることである。

 
15年9月1日 火曜日 9月の始まり
 歴史とは、現在と過去の対話である・・E・Hカーは「歴史とは何か」のなかでこう書いている。とはいっても、ぼくがこの本を読んだわけではなく、数十年前に読んだ友人から聞かされた言葉なのだけれども、近年になって、記憶袋のなかでキラキラと輝いてきた。「人生の積み重ねのなかで発酵する言葉がある」という例のひとつなんだろう。

 なんでこんなことを書いたかというと
 昨日の午後の電話で45分間にわたって出雲の女性から説教を受け、その時に「歴史とは現在と過去の対話なのよ」と言われたからで、腐乱脳味噌ではうまく言えないが、とにかくこの言葉が腹にストーンと落ちたような気がする。
 9月に入ったので
奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の
            声聞く時ぞ 秋は悲しき    猿丸大夫 

 本日は、とっても忙しいのに長電話があってそれは「印牧先生の講演会の時の牧田さんの沈んだ暗い表情がとても気になったので・・」というものだった。「私は色恋の道を全部捨てた。残されたものはCADと歴史の探究だけです」と応じたのだが、「牧田さんから色恋の話をとったらなんにも残らんでしょう」との即答。やっぱりこれまで通りか。