2010年12月

 
2010/12/31 (金) 大晦日


年の終わりともなるとさすがにひとの出入りもなく、昨日は静かな一日となった。
夜に雷鳴で目がさめ、外へ出ると雪が降っている。天気予報では荒れる正月となるとのこと。もともと出不精の僕にとって、どこへ出かけることもないDVD三昧、CAD三昧の正月となりそうだ。


雪といえば
先日の第一次寒波の際、芦原温泉某旅館の御主人から電話があり、温泉街の除雪体制の遅れを厳しく指摘された。
①生活インフラ
①市外県外からの泊り客の不満というマイナスイメージの拡大
①火事の際の消防体制に対する懸念
等々の指摘を受け、早速行政に伝えたが、苦情は沢山きているみたいだった。


越前の冬は基本的に雪との戦いの日々だ。
朝倉一族は信長に負けたというよりも雪に負けたのではないか。
柴田勝家は秀吉に負けたというよりも雪に負けたのではないか。


このブログを読んでいただいている少数のみなさん。今年一年のお付き合い、どうもありがとうございました。
ひとの噂によると、僕を大嫌いなひとたちも結構読んでくださっているみたいで、そのことが僕には嬉しい。


好意はウエルカム
悪意もウエルカム
無視が寂しい
   であります。
2010/12/30 (木) 昨日の一日


昨日の午前
事務所駐車場の雪かきをしていたら、黒いジープが止まって国会議員の糸川さんと秘書の山口さんが降りてきた。
糸川さんが「カラダの調子はどうですか?」と聞くので「徐々に退化してます」と答えた。
年末の挨拶回りなのだろうが、ご苦労なことである。


前後して、中学時代の同級生が来訪。
「K基金があるんや。たまには連れてったろか」と喫茶店へ誘ったのだが
「ここでいい。どうせカネないんやろ」と言われてしまった。喫茶店へ行くくらいのカネは持っているのが男というものなのになあ。


午後
旧金津町内ではちょっと有名なひとが来た。烏賊の燻製片手だ。僕は、ワインに合いそうだと思った。
話題は「今年の市政の総括と来年の展望」。


そのひとが帰ってから、DVDで「夜叉」を観た。
高倉健主演の映画だが舞台は敦賀。僕のお袋は敦賀のうまれで、敦賀・特に気比の松原は僕の第二のふるさとだ(注 第三のふるさとが沖永良部島)。
酒場の女将に扮した田中裕子が色っぽい。
ああいう色っぽい眼でせまられたら、いくらカタブツの僕といえども拒否する自信はない。


共にヤクザに扮した高倉健とビートたけしを比較すると、ビートたけしの方がカッコいい。高倉健にはどうしても学校教師的優等生的匂いがつきまとう。
2010/12/29 (水) 昨日の一日


昨日の午前
僕は金津中学校の校長室に居た。
歴史小説家・中島道子さんが金津中学校に在職していた期間を調べてもらうために行ったのだが、その結果、昭和34年度~39年度と判明した。
これで来年の講演会にむけての情宣がやりやすくなった。


偶然だが、元教師・大川さんが大きい飾り物を持って校長室に入ってきた。



大川さんが正月の金津中玄関に飾るためにひとりで制作したものだ。
写真ではよくわからないが、中央に海老と墨の模型がついている。
「腰の曲がるほどに労働せよ」が海老、「墨を刷って学問せよ」で墨・・だそうだ。
校長室はにわかに贈呈式の場となった。出席者3人。


午後
芦原小児童たちの活動を昭和24年に撮影した映像が手に入った。
元教師Sさんが持ってきたビデオをIさんに頼んでDVD化したものだが、大変に珍しく貴重な映像だ。
こどもたちの表情が現在とはまるで違う。戦後の混乱期に育ったこどもたちには、「明日への希望」がより深く投影されていたのだろう。
昨日、龍沢寺住職から聞いた話だけれども
龍沢寺の末寺・実宰院の住職と会った際、龍沢寺住職が「来年はNHK大河ドラマで貴方のとこも有名になるね」と言ったところ、「いや、NHKの脚本では、お市及び3姉妹が小谷城から逃げ延びたところは違う場所になっています」という答えが返ってきたそうだ。
歴史ドラマは史実そのものとは違うということのひとつの例だろう。
虚実ないまぜが物語りとしてはより面白くなることもある(逆もあるが)。
ひとの一生も、所詮物語なのだから、過去を虚実ないまぜで振り返ることでリアリテイが出てくることがあると思うのだ。


「三つの真実よりも一つのきれいな嘘を」
と書いた詩人は誰だったろうか。

今朝、久しぶりにHくんと電話で話をした。Hくんは僕のブログを毎日読んでいるみたいで、話題は2010年12月の12月25日のブログのこととなった。


「俺はヤクザの世界には詳しい。DVDも全部見た。本も読んだ。付き合いもあった。<実録・北陸代理戦争>の冒頭で、ヤクザが三国の海岸で首から下を埋められるシーンがあるやろ。あれはホントのことやぞ」と言われた。
この世界の実名をいろいろ教えてもらいながら、「しゃばには隠れた専門家がいろいろ居るもんや」と、僕は思った。
2010/12/28 (火) 本日は仕事納めの日


世間のひとたちは年賀状書きに追われているのだろうが、僕の家族はそれをしていない。この三年間、不幸続きだからだ。
ココロはずーっとパニックだ。


人間、いつどんな災難がふりかぶってくるかわからない。宿命的にそうだということは体験を共有化したものどおしにしかわからないということも実感した。
僕は座右の銘を「ケセラセラ」に変えた。人生をロングスパンで考えることも止めた。「一日一生」だ。
幸せ不幸せを考えることも止めた。

昨日の昼、僕は所用で「YONETSUーKANささおか」に居た。大雪のあとにも関らず駐車場には相当数の車が置かれている。
寒くっても、否、寒いからこそひとは暖かいお湯を恋しがるのだろう。
正月の半日くらいをここで過ごすのも悪くないと思った。
(異性限定だけれども)誰か一緒に行きませんか。


「YONETSUーKANささおか」からの帰り、携帯の着信記録を見ると「0776-73-0110」が入っている。110番とは即ち警察だ。僕はどきっとした。
いくつか身に覚えのある軽犯罪のうちのひとつがばれたのかという不安にかられながら警察に電話をした。
結果として知人警察官からのものだということがわかりほっとしたが、一般的に言って110番からの電話は心臓に悪い。

2010/12/27 (月) 本日は広報編集委員会


昨日は今年一番の寒さとなった。
松岡町へ古民家調査に行ったのだけれども、松岡町の寒さはあわら市よりもさらに厳しく、身の切られる思いだった。


夜7時には、8人が僕の事務所に集まった。
本年度最初で最後の忘年会。
各々が材料やアルコール類を持ち込んでの宴会というのはローコストで済む。12時を過ぎる頃、電卓で負担金を割り出したら、¥1200/人だった。廉価的美味的酒池的宴はいいもんだ。


僕は妻から節酒を言い渡されているので芋焼酎をコップ二杯飲んだだけだったが、それで充分。
昔の僕は酔うほどにしゃべったものだが、最近は明らかに変わった。
皆の語らいをひとり静かに聞いているのが一番楽しい。


2010/12/26 日) 雪の日曜日

今朝は3時に起床。外へ出ると牡丹雪が降っている。あたり一面銀世界だ。


僕は長靴をはき毛糸の帽子をかぶって近くを歩いた。力の入らない右足をかばう為、左足に過度な負担がかかり、最近ではむしろ左足に痛みがはしる。「なにごともリハビリだ」と思いながら新雪の上を歩き続けた。


天空の闇から落ちてくる雪を眺めているうち、映画「南の島に雪が降る」を思い出した。飢えとマラリアに苦しむニューギニアの首都マノクワリで、兵士の慰安と士気高揚のため作られた劇団の物語で加東大介の体験記。


ある日、一座が舞台に雪(紙)を降らせると、観客の兵士たちが嗚咽し始める。観客兵士は皆東北出身者で構成された部隊だという。つまり紙吹雪に祖国をふるさとを見たのだ。


ニューギニア戦線に投入された兵士の数は約20万人。そのうち18万人がその地で死んだ。殆ど玉砕だ。


昭和20年8月16日。
米軍のヘリコプターが「日本、無条件降伏」のビラ吹雪をジャングルに降らす。


ビラを読んだ上官Aと部下Bが砂浜で対峙する。
Aは「死んだ兵士たちへのつぐないは、玉砕を命令した上官たちを殺し自らも死ぬこと以外にない」と言う。
Bは「死んだ兵士たちへのつぐないは、我々がどんな屈辱を受けながらも生き続けることでしかないのであります」と言って、Bの行動を必死に阻止する。
絶望したAは、拳銃をこめかみにあてて自殺する。
このふたりの言葉の応酬はそれぞれに正論でありそれぞれに矛盾であると僕は思った。



ところで僕は死の解釈では
エピキュロスさんのものが好きですね。
「死はなんら恐ろしいものではない。なぜなら、生きている間は死は経験できないし、死を経験すれば生はすでにそこにはないからだ」 エピキュロス 

2010/12/25 (土) 土曜日の昼下がり


今朝、諸々の用件を済ませて事務所に戻ってから、DVD「実録・北陸代理戦争」を見る。
戦争は戦争でもやーさん達の実録抗争史だ。
地元組長に扮した「白竜」を見ていて、ビートたけし監督の映画に出演した白竜を思い出した。ニヒルな殺し屋という感じの男。


三国の海岸。
ナレーターが「北陸3県のなかで福井の若い衆が一番荒くれぞろい」と解説する。
福井県民としては喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない。
どこの組どおしの抗争かわからないのだけれども、敵対する組の組長の首から下を砂浜にうずめて、「競艇場の利権をわしらに渡さんかい」とせまる。
「そーか 競艇場運営にはこういう裏面があったのか」と僕は驚いた。


冬の芦原温泉。
大阪からきた権堂組組長と白竜が某旅館でサシで飲んでいる。
組長が「それにしても本場の越前の蟹はうまいのう」と呟く。
「やくざ映画でも、越前蟹の宣伝をしていただいてありがたいことだ」と僕は思った。


三国町の某喫茶店。
白竜はこの場所で敵対する組の若い衆たちに射殺される。暗殺場面がラストシーンだ。
当時(昭和40年代)の僕は時々その喫茶店を訪れていた。
射殺事件の二週間前にも訪れた。この事件が起こった席は僕が常用していた席の隣だった。
2010/12/24 (金) 夜明けに雲を眺めながら


昨夕、僕達仲間3人は芦原温泉の老舗旅館・べにやのロビーにいた。
といっても、浴客としていたわけではなく、社長から「妙海寺及び豊田屋歌川」とのかかわりを聞くためだった。その詳細はいづれ「とんぼ」さんが市政掲示板に書くだろうから省くとして、べにやは石原裕次郎及び石原軍団の逗留旅館だったことでも有名だ。話の合間にロビー越しの中庭を眺めながら「かって裕次郎もこの場所から中庭を眺めていたのか」と思うだけで、昭和の風景がよみがえってくる。


裕次郎の代表歌といえば「錆びたナイフ」だろう。


そしてこの歌は石川啄木の
いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の
       砂を指もて   掘りてありしに 

の本歌取りみたいなもんだ。
2010/12/23 (木) 昨日の一日


昨日は広報編集委員会の原稿締切日だったので、午前中にあわら市役所・議会事務局へ。部屋からみえる遠くの山並みは既に真っ白だ。


事務所に戻ってから事務室の清掃を始めた。最近の僕は、部屋にチリひとつ落ちていても気になって仕方がない。人間は変わろうと思えば変わることができるのである。


清掃のさなか、ドアがノックされ、知った顔が現れた。
来年4月のあわら市市長選挙に関して、すでに出馬声明した現役市長に対抗して出馬を噂されているO氏の盟友=キーパーソンの登場だ。
僕はホーム・カウンターからキリマンジャロ珈琲を取り出し焙煎して差し出した。


「現役市長の二期目はもっとも強い時だ。対抗して出るならば、強力な対抗論理を持つことが不可欠だ。それをマニフェストとして語り部選挙を展開しなければいけない。相手の中傷や地域主義の訴えは、自らを堕することにしかならない」としゃべった。
しゃべりながら、「他人事となると俺も正論を吐くなあ」とひそかに思った。


夜7時。4人が事務所に集まった。テーマは「小説家・中島道子氏の講演会について」。
それぞれの熱っぽいしゃべりを聞きながら、「来年も忙しくなりそうだ」と思った。
2010/12/22 (水) 年の暮れとしては暖かい未明に


昨晩は、同業者との会議。
本日の晩も会議が予定されていて、このところ連日だ。
カラダの調子が戻ってきたことの証しなのかもしれない。


昼の空き時間にDVD「海と毒薬」(遠藤周作原作)を観た。
戦時中、北九州に墜落したB29の乗組員米兵を生体解剖するというストーリー。
その解剖に助手として参加した青年医師の苦悩(言葉を変えて言えば極限状況下でのヒューマニズムの喪失)がテーマとなっている。


戦後の極東裁判で関係者20人前後の罪刑が確定した(うち5名が絞首刑)。
しかし、’50年代に入ると朝鮮戦争が勃発。国際関係の急激な変化のなかで全員無罪となる。


ひとの一生なんて海の大きなうねりの上に漂う木の葉のようなものだ。


門松は 冥土の旅の一里塚
   めでたくもあり めでたくもなし   一休宗純

ということで、頭蓋骨を杖にひっかけて正月の街並みを歩いたというエピソードが一休にある。80代にして盲目の愛人「森(しん)女」と愛欲にふけっていたという言い伝えもあるから、一休和尚にとって「世間なんてどこ吹く風」だったのだろう。



女をば 法の御蔵と 云うぞ実に
   釈迦も達磨も  ひょいひょいと生む 一休宗純


それほどに風狂の徒だったということだが、昔から名をなしたひとというのは、「狂」を押し出すことをためらわなかった。
誰もがココロの奥に「狂」をひそませているのだが、それを押し出すだけの度量を持ち得ていないのが、我々凡人なのだろう。
2010/12/21 (火) 白湯を飲みながら


12月議会定例会の総務文教常任委員会を傍聴した際、「学校給食のあり方について(説明会等開催状況)」の質疑応答を聴いた。


理事者側は給食センター建替えに伴い、センター方式一本化への統合を目指している。
旧芦原地区の場合はもともとセンター方式を採用してきたので地区別説明会での反対意見は無いが、旧金津地区の場合は、不安やとまどいの声が資料に多く載せられている。


そもそも学校給食とは何かを調べたくなってネットでウイキペデイア検索をしてみると、日本の学校給食は1930年代にアメリカで余剰となった作物の有効活用としてスタートしたものであることがわかる。


あたしが小学生だった頃の昼飯は手弁当だった。アルマイトの大きな弁当箱だった。この弁当箱を通して無意識のうちに親の愛情を知った。

例えば安本末子の「にあんちゃん」や開高健のエッセーなどを読んでいると、手弁当から学校給食への流れの必然性がわかる。一部ではあっても弁当をもたすことのできない家庭にとっての経済的不公平是正は至上命題だった。


けれど、礼節を失っても衣食の足りた現在、給食や方式をめぐっての論点は大きく変わってきている。「給食費未払い」が社会問題となっているが、(大きな声では言えないとしても)これは親のエゴではないかと思うのである。


今朝の電話で、「29チャンネルTVの議会・一般質問をみていると、質問者の後ろの牧田さんの顔がいつもまるみえよ」と言われた。
あたしが全市議中ハンサムNO1であればこれは嬉しいことだが、実際はNO1ではない。ベストスリーに入るのが関の山だろう。
だから、あたしは一般質問をTVでみたことがない。
2010/12/20 (月) 熱々珈琲を飲みながら

本日の朝日新聞3面に「財政難流れる下水道計画」という記事が載っている。
あわら市でも、議会や常任委員会が開かれるたびに下水道の進捗状況についての質疑応答がある。


例えば、僕の家の前面道路に公共下水道のメインパイプが敷設されてから既に約20年が経過しているが、市内周辺地域では計画のめどのたっていない地域さえある。あるいは農業集落排水事業で処理している地域もある。


数年前には朝日の新聞記事に出ているような選択肢が話題となったことがあったが、基本はやはり下水道。


「下水道未処理地区では、家に便所の匂いがそこはかとただようので嫁のきてがない」という議員もいた。消臭が錦の御旗となっている今日(こんにち)では、確かにそういうこともいえるのだろう。


時代は大きく変わった。
僕のこども時代、家を一歩出れば、肥溜や堆肥の匂いが辺りにただよっていた。僕は堆肥を掻き分けミミズを取り出しそれを餌に鮒や鯉を沢山釣ったものだ。釣った鮒を丸呑みしたこともある。


今、河原で遊ぶこどもを見ることがない。


くらきより くらき道にぞ 入りぬべき
               遥かに照らせ 山の端の月   和泉式部


この歌そのものが心情だった2010年ももうすぐ暮れようとしている。
来年は、ひとに不快感を与えないためにもつくり笑顔で接していこうと思います。
2010/12/19 (日) 数日ぶりの日記


12月16日の議会最終日に突然このホームページソフトのアップロードができなくなってしまいパソコン修理店で診断してもらったところ、「ホームページソフトの一部が破損している」との報告をうけ、昨晩やっと復旧した次第。
議会については、29チャンネルで(確か20日から)放映が始まります。
興味のある方はご覧ください。


あけて17日の午前中は小説家・中島道子さんをかこんでの座談会。
(私は司会をしていたので写っていませんが)
座談の中心テーマは新田義貞家臣・畑時能。



実は畑時能が新田義貞からさずかったという言い伝えのある笛がこのあわら市(旧金津町)の某寺院にあり、今年の八月頃に実物を手にとった時には700年の時を超えて心臓が高鳴りしました。まさに「歴史ロマン」であります。

2010/12/15 (水) 昨日の一日


昨日の午前中は、総務文教常任委員会を傍聴した。


報告事項は


教育総務課
1金津中学校スクールバス運行状況について
2中学校二学期制試行状況について
3小中学校耐震補強工事及び改修工事進捗状況について
4学校給食のあり方について(説明会等開催状況)


文化学習課
5金津創作の森イベント開催状況について


これらの詳細については議会最終日(明日16日)の委員長報告で述べられると思います。


午後は有志議員が事務所に集まっての秘密懇談会(秘密でもないか・・)。
今朝起きてから思いおこしてみると、それは人物論だった。
源氏物語・「雨夜の品さだめ」みたいなもの。


そのあと、東善寺公民館へいった。
あそこには「東善寺道場跡」の石碑があり、石碑裏面には「天正年間云々・・」の文言が刻んである。
あのあたり一帯は溝江衆と一向一揆衆が激突し阿鼻叫喚の地獄絵図となったところ。
人類史を紐解けば、歴史のエポックには必ず殺戮によるおびただしい血のあとがある。
2010/12/14 (火) 昨晩


昨晩の7時から、「坂井地区介護保険広域連合運営協議会」が開かれた。
今後二年間の「坂井地区介護保険広域連合運営協議会委員・委嘱式」に続いて会議。
詳細は省くが、
平成23年度は第5次介護保険計画立案の年度となり、考えなければならない事項がいろいろ多くなりそうだ。委員から、「松戸市と坂井地区広域連合のふたつが全国のモデル地区になった」との報告あり。
余談だが、僕の右手包帯を見た運協会長から「第二の海老蔵か?」と聞かれた。


8時半に帰宅。
軽度のマヒでかたまりかけ包帯で覆った手を見つめながら
「俺はあんまり働いていないけどなあ」と自嘲しながら


働けど働けど 我が暮らし 
     楽にならざり じっと手を見る   石川啄木



を、思い出していた。

2010/12/13 (月) 新しい週の始まり


きのうは日曜日だったので、小栗康平監督・「死の棘」(島尾敏雄著)を観ていた。
若い頃に原作を読んだときは「なんともすごい暴露小説や」と思ったものだが、映画で感じたのはミホ役・松坂慶子の熱演。


トシオは「文学修行」と称して仲間と放蕩を続け愛人を持つ。
トシオに対して献身的だったミホは、昼夜を分かたずトシオを責める。それは殆ど病理学上の「発作」である。
正気に戻った時のミホは、逆にトシオの前にひざまずき、許しを請う。
つまり被害者意識と加害者意識が混じりあった葛藤の袋小路が延々と続く映画だ。


原作の書かれた時代が昭和29年から30年にかけてなので社会的モラルが現代とは大きくちがう。つまり、現代では男女の憎愛のテーマがこういうかたちでは成り立ちにくくなっている。けれども憎愛の対象が何であれ、我々は常に「正気」と「狂気」を背中合わせに持っていると思う。

今朝僕はマイカーのノーマルタイヤをスノータイヤに入れ替えた。これで冬は敵ではなくなった。
そのあとS医院へ。
血圧測定の結果、上は132下は70と極めて順調。まだ数年は大丈夫とのおすみつきをもらう。
帰途、M設計に立ち寄り仕事の打ち合わせ。



事務所に戻った時、司馬遼太郎著・「空海の風景」を思い出した。
密教思想の底知れぬ深さと幅を持った空海。


巨人と蟻ほどの違いがあるとは言え、私と空海には共通点がある。
それは女人禁制ということだ。ただし私の場合、「美人以外・・」という形容詞がつく。
私が空海の域にたどり着くにはまだまだ多くの歳月を要する。その間(あいだ)私は生き続けなければならない。
2010/12/12 (日) 昨日


現在の日本で一番有名な人といえばこのひと・小沢一郎だろう。

昨日の午後2時から武生・パレスホテルで「松宮いさお政経セミナー」が開かれ、この人が特別ゲストとしてしゃべった。
至って血気盛ん。


「松宮いさお政経セミナー」が終わり事務所に戻ってからCADに専念していたらもう夕刻だ。


夜は久しぶりの宴会となった。午後7時半に3人でスーパーへつまみの買出しにでかけたのだが、車の同乗者が「スーパーによっては7時半からナマモノやフライが半額よ」と言う。
僕はそんなこと全く知らなかった。


薩摩人を旦那に持つひとが「本格焼酎・薩摩茶屋」を持ってきたので、それをベースに僕は酩酊気分。
よく食べよく飲みよくしゃべった。
2010/12/11 (土) 熱々珈琲を飲みながら


昨日は久しぶりにうーさん宅へいった。うーさんは「鉄をつくる男」だ。
鉄をつくるためには炭が要る。・・ということで、彼は炭づくりの真っ最中だった。
 
炭原料の樹種に昨日は桜を使っていた。



できた炭はなかなかキレイだった。


そのあと、うーさんの案内で神奈備山古墳に登った。

うーさんから神奈備山古墳の説明を聞いているうちに、日が暮れてしまった。
2010/12/10 (金) 無題


人間のカラダというのはなかなか微妙なもので、数日間続いたウイルス風邪がやっと治ったと思ったら、一昨日・昨日は腰の痛みに襲われていた。「鋭痛」というよりも「鈍痛」といった感じで息を吸うのさえひと仕事。


癌なのだろうかとも思ったが、癌ならば痛みは持続するはずで、断続的な痛みは即ち癌ではない証拠と決め付け気分をやわらげようとしたがなかなかそうもいかない。


折りしも、国民健康保険・平成22年度分の会計報告を聞いていたのですが、国保会計の赤字はこれから年々累積されていくことが予想される。これはあわら市だけの問題ではなくて全国的な傾向だ。要因としては、我々団塊の世代が高齢者になってきたことも挙げられるだろう。
将来は国保事業を国直轄にしなければどうしようもなくなるのではないか、先ずは我々団塊の世代が「耐え難きを耐え」なければならないのではないかと思いながら、帰宅した。


健保に頼らない薬といえば酒だ。
晩飯時にコップ一杯のお湯割り焼酎を飲んではやばやと就寝。今朝は腰の痛みが全く消えている。
福井県史年表には
慶応3年(1867年)、7月16日、「イギリス書記官ミットフォードら、加賀から越前に入る」と記されている。この一行のなかにアーネスト・サトウがいたのだろう。

2010/12/09 (木) めっきり寒くなった明け方に

本日の福井新聞に、「獣肉食用へ県指針」という記事が載っている。
ここ数年、あわら市でも猪による作物被害対策が大きな課題となり、床屋談義的にあちらこちらで語られていて、数日前の本会議・一般質問でも山川知一郎議員が理事者に対して問うている。
この記事には書かれていないが、僕の友人が「イノブタつくり」への可能性について語るのを興味深く聞いた。人間が捕獲したものを人間が食すのは殺した動物に対する最大の礼儀だろう。とはいうものの、里山でこども猪に出くわした経験を数回持つ僕はその可愛さを忘れることができない。



坂ノ下八幡神社境内をねぐらとするカラス捕獲のための檻が近くに移動された。



昨日の夕刻、見に行ったのだが檻に入っているのはオトリガラスだけだった。辛抱強く待たなければならないのかもしれない。

幕末の最も有名な外国人にアーネスト・サトウがいる。彼が、慶応3年(1867年)に仲間たちと一緒に金津で一泊したという事実を最近知った。金津奉行所は歓待したそうだ。
2010/12/08 (水) 本日は厚生経済常任委員会


気になることがあったので、昨日の朝は「金津創作の森」へ行って、事務局と話をしていた。
この「金津創作の森」ができた頃、僕はまだ議員ではなかった。そもそも芸術とか文化には縁のあるほうではないので、できてからあとも足を運んだ回数はしれている。


けれども、昨日の創作の森訪問で森を歩いた時、僕は「おや!」と思うような体験をした。
木洩れ陽やモニュメントが僕のタマシイを浄化したような気がしたのです。
人生で最大のショックを経験した今年の師走にいる場所としてふさわしいような気がしたのです。


ハーバート・リード著「芸術の草の根」には、
「芸術作品は見た時の第一印象が全て。解析し考え始めたら対象から受ける印象は弱まっていく」と書いてあった。
考えないということはココロが無になるということだろう。


人は死んだら無に帰すが、それは結果というよりも目的なのだろうと思う。


最近の僕は、小津安二郎の映画をよく観るが、このひとの墓の正面には「無」の一文字が刻んであるそうだ。
2010/12/07 (火) 昨日の一日


昨日は議会本会議・一般質問。
市長に対して某市議が、「来年4月の市長選において、再出馬する意思があるのかどうか」を問うた。
市長は、「ある」と明言した。


一般質問者は10人。
終わった時は既に5時を過ぎていて、聞くのにかなり疲れた。
そのあと広報編集委員会が開かれた。


広報編集委員会が終わったあと、坂井市春江町へ。
そこでは宇野県議後援会拡大会議が開かれていた。


帰途、ペガサスに寄ってビデオ「東京裁判」を借りた。
事務所に戻ってからノンアルコールビールを飲みながらこれを観る。


考えてみると、連合国主導の「東京裁判」で刑の確定した被告たちの処刑時期(昭和23年12月23日)の直後に僕は産まれた。
言葉を変えて言うならば、我々団塊の世代の人生の出発点がここにあったということだ。
長じてこの裁判が「平和や人道に背いた罪=事後法による判決」という矛盾を絡んだ部分があることを雑誌などを通じて知ることになるのだが、そのこと自体よりも、被告のなかでの最高の知識人だった大川周明の法廷での奇行を実際に映像でみてびっくりした。


僕がこの記録映画を観て特に注目したのは、被告・近衛文麿の服毒自殺だった。
半年程前に息子・近衛文隆の生涯を描いた本を読んだばかりだったことに起因する。
文隆は戦後ソ連軍に逮捕され昭和31年に抑留地で病死した。それが本当に病死だったのかソ連による謀殺ではなかったのかという疑念が今もささやかれている。

昨晩は12時に就寝し、今朝の起床は5時。
ようやく風邪が治りかけてきた。腹痛がなくなり食欲も戻り始めた。

2010/12/05 (日) 一行日記


風邪が治らず腹痛が続き寝込んでいるので、きょうの日記を休みます。
2010/12/04 (土) 頭がボヤッとしている


昨日、議会事務局へ行ったあと突然悪寒と腹痛が現れた。
かかりつけの医者によると「なんとか性ウイルスによるもので今流行っている」とのこと。
午後から布団にもぐりこみ、今朝の6時まで18時間眠り続けた。
朝食にやっとお粥を口にすることができたがそれもスプーン三杯だけで、こういう時に人間に残存する欲望は睡眠欲だけということがよくわかった。


ところで
夢うつつの時間帯に何本かの携帯コールがあったが、すべてうろうろの返事となったはずで、申し訳ありませんでした。
2010/12/03 (金) 原稿を書きながら


昨日、あたしは久しぶりに加賀の海岸線を車で走った。
ログハウス調の瀟洒な喫茶店が目に入った。





店内にはモダンジャズが流れている。品のいいマスターにエクセレントコーヒーを注文し席についた。
客はあたしの他に30代と思える女性ひとりだけ。女性客に頼んで日本海をバックに写真を撮ってもらった。


マスターから聞いたのだが、季節風の吹く今からの季節、ハングルや中国語のプリントされたペットボトルなどの漂着物が砂浜を埋めていくそうだ。

2010/12/02 (木) きょうも快晴


未明は確かに寒いけど明けると気温がどんどん上昇して汗かくほどにもなる昼過ぎにそれでもコタツに入り込んでうつらうつらしていた昨日、突然ドアがノックされ見知らぬひとが顔を出したので思わず身構えてしまったあたしに対して「やっとお会いできましたね」とおっしゃる。


声音や抑揚や挨拶の姿勢から「そのスジのものではないな」と直感したあたしのココロが和らぎ、こちら側の礼儀として熱々珈琲をだそうと思いながら何故か忘れてしまったが相手の方は嫌な顔ひとつせず、「来年の選挙はどうなりますかね」と話をきりだしたので情報収集をナリワイとなさっている方だとわかった。


国の先行きもよくわからないけどここあわら市も先行き不透明の裏話・床屋談義があちこちであるようでその種の話が全く苦手なあたしでさえ少しは耳に入ってくる。
なんの生産性もない床屋談義がそれじゃ退屈かというと実は結構面白く感じられることがあってひとというものは本質的に下世話な存在だと思えてくる。


そのうち複数知人の来訪もあって気がつけば外はすっかり闇の中。
あたしの体が一杯の焼酎を欲しがる時間帯となったので自宅に戻りお好み焼きをつまみにタカラ焼酎を飲みながらテレビ11チャンネルを観ていたら女房が帰宅し「9時までは寝たらあかんよ」と言われた。有言不実行が代名詞のようなあたしだが、それでも女房のいいつけだけはきっちりと守っている。
2010/12/01 (水) きょうは原稿書き


昨日は議会初日。
市長が提出議案についての説明をしたが、議案第114号から125号まで及び請願第3号から第5号までは審議が委員会に付託される。
委員会日程についてはコンテンツ「2001年11月」をクリックしてください。11月23日の日記に載せてあります。


委員会での議案審議が一番の中核でありそれが29チャンネルのテレビで放映されないのはおかしいと私は常々思っている。このことについては私もいつだったかの全員協議会で質したことがある。当時の議長のその時の答えは「そのうちに・・」だった。
いづれにせよ委員会審議は傍聴可能なので、関心のある方はどうぞ来てください。


さて
議案第79号の報告に対して、日本共産党某市議が反対の立場で演説をした。
①自衛隊隊員募集に関る財政支出反対
②新幹線誘致に関る財政支出反対    の二点だ。


①について私は今の自衛隊が既に軍隊だと思っているので「そうかな?」という感が強かった。
②については共産党の演説がうらやましかった。


私は共産党が好きでもあり嫌いでもある。index.html へのリンク
嫌いな点で言うならば
例えばかっての日本共産党書記長・宮本顕治がTVインタビューで答えていた答えのくだらなさが忘れられないのだ。
ま、こんなこと書いていたらだらだらになってしまうので止めよう。


それよか決算審査特別委員会委員長報告を聞いていて、文化学習課所管への言及が気になった。気になったというよりも意を強くしたのである。埋文について、私も一般質問をしたことがある。
注 私はK基金を始めた。