2012年12月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日

 
 2012/12/19 (水) 雑感

「書き込みを休止します。
今までのご愛読、どうもありがとうございました。」

と、先程書いたのには理由がある。
仕事上のちょっとしたトラブルで書き込みの気が起こらなくなったためなのだけど、午前中に4人の年寄り男性と1人の若い女性から携帯コールがあった。


「毎日読んでるんや、書かなあかん(年寄りの場合)、「毎日読んでるの、書いて(女性の場合)」と言われて、僕は即座に前言をひるがえす。

話は全然変わるけれども
今晩は手話サークルの忘年会。
この忘年会のために僕はソファ(9900エン)↓と


テーブルクロス(210エン)↓を、妻には内緒で貯め込んだ小銭で買った。



最近の僕は人から「縁の下の力持ち」とよく言われる。確かだ。人間齢(よわい)60を過ぎると、自分の現世利益的欲望に興味がなくなる。「ひとのために生きることができるか」という一点に気持ちが集中する。


 2012/12/18 (火) 昨日の一日


昨日の午前中はいろんなところを飛び回り、夕刻は事務所にいて所用をこなしていた。そこへN氏が四合瓶と一升瓶を持って来訪。




四合瓶は高級酒なので高貴な来客のためにとっておこうと僕は思い、先ずは一升瓶のほうの栓を開けた。


酒のつまみは
①今回の総選挙結果について
①金津の歴史について・・酔のせいもあって話は尽きなかった。


来年6月には、あわら市議選がある。正月を過ぎると市民の床屋談義にその話題が加わることになるだろう(そういえば昨日は新聞社からも電話があった)。
誰がなってもいいが、ふるさとの歴史に興味を持つひとがひとりぐらいはなってほしい、と僕は思う。





本日の朝日新聞に、「永六輔・・・小沢昭一を悼む」が載っていた。


「・・・小沢さんはスポットライトが当たるとライトを避ける人でした。芝居でも研究でもハーモニカでも注目されると逃げる。芝居もお客の少ない方がいいって言うんですよ。新宿の紀伊国屋ホールを借りて、お客を入れないで一人で芝居をやったっていう伝説があるくらい。
このごろ誰かが亡くなると、テレビは寄ってたかってその人を名人上手にして<天国にはお仲間がたくさん待ってらっしゃいます>なんて言いますね。でも僕は小沢さんはそういう中に入ってほしくない。小沢さんは天国には行かないの。似合わない。小沢さんは草葉の陰にいるんです。ちょっと草をどけるとそこにいるんです。」


昔はラジオで「小沢昭一的こころ」を毎日聞いていたが、素敵な人だ。そういえば、僕の妻の旧姓も小沢だ。


 2012/12/17 (月) 忙しかった昨日 


昨日の午後5時。我々「ふるさと語ろう会」のメンバー・約20名は、あわら温泉某旅館に集まった。顧問の中島道子先生を招いての忘年会が開かれた為。


先生には講演をしていただいた。・・演題は「平清盛」。



清盛は42歳で太政大臣つまり最高権力者となったが62歳で死亡。そのあと壇ノ浦の戦いで平家は滅亡する。


「何故、平家は短命政権で終わったか」の一点でメンバーとの間に質疑は繰り返されたが、先生の言い分は「清盛は武家全体を束ねるのではなく平家・つまり身内だけの上昇志向を思っていたこと、そのことで藤原貴族に懐柔されていった」と述べていた。


祇園精舎の鐘の声
所行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ
遠く異朝をとぶらへば
秦の趙高漢の王奔梁の朱唐の緑山
これらは皆旧主先皇の政にも従がはず
楽しみをきはめ諌めを思ひ入れず
天下の乱れんことを悟らずして
民間の憂ふるところを知らざりしかば
久しからずして亡じにし者どもなり
近く本朝をうかがふに
承平の将門天慶の純友興和の義親平治の信頼
おごれる心もたけきことも
皆とりどりにこそありしかども
ま近くは
六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公
と申しし人のありさま
伝へ承るこそこころも詞も及ばれね
その先祖を尋ぬれば
桓武天皇第五の皇子、
一品式部卿葛原親王九代
の後胤、讃岐守正盛が孫、

形部卿忠盛朝臣の嫡男なり
かの親王の御子高見王
無官無位にして失せたまひぬ
その御子高望王の時
初めて平の姓を賜はって
上総介になりたまひしより
たちまちに王氏を出でて
人臣に連なる
その子 鎮守府将軍良望
のちには国香と改む
国香より正盛に至るまで
六代は諸国の受領たりしかども
殿上の仙籍をばいまだ許されず
 である。


「清盛には男の美学が無かった。後年の赤穂浪士とそこが違う」と先生は言う。
僕も少し老いたりとはいえ、男だ。美学をもって生きていこう。


忘年会の場をあとにして、僕はあわら市庁舎に向かった。衆議院議員選挙開票立会いの為だ。眼前のそれぞれの立候補者のコーナーに積み重ねられた用紙の束を見ていると、あわら市内での数の趨勢がすぐわかる。
有効票・無効票の立会いが済んだ時、午前1時だった。

我らが「糸川まさあき」は敗れた。彼の思弁力、性格の良さを充分知っているが故に残念だ。しかしまだまだ若い。ネバーギブアップでこれからに臨んでほしい。


 2012/12/16 (日) 本日は衆議院議員選挙投票日


昨日のブログに書いたアクシデントとは、こういうことだった。


あわら市庁舎から自宅にマイカーで戻った時、辺りは既に闇に包まれ始めていた。ぼくはゆっくりとバックで自宅駐車場に車をいれこんだのだが、生憎と見切りが悪くバックガラスドアを塀の出隅角にこつんとぶつけてしまった。その途端、バックガラスはこなごなに破砕。


あくる朝車をみると、屋根つきのオープンカーみたいで、見た目も悪くない。電気系統(テールランプなど)に異状もなかったので、そのままの状態で丸岡町のとある場所へ車を走らせた。ところが寒いのだ。季節は真冬で車内に入ってくる風がとても冷たいのである。


僕は、同僚議員Y氏に相談した。
Y氏はフットワークの軽い男で、すぐにブルーシートでバックガラス部分を遮蔽してくれた。そのことで寒さも軽減され、夜の丸岡ー金津間を気持ちよく走り自宅に戻った。


次の日、ことのあらましを妻に伝え、現在は代車を使用中。


 2012/12/15 (土) 無題


逢ひ見ての のちの心にくらぶれば 
         昔はものを 思はざりけり 権中納言敦忠



昨日と一昨日が厚生経済常任委員会で、ずっとあわら市庁舎に居た。


ところで僕は、一昨日の晩、自宅駐車場でちょっとしたアクシデントに見舞われた。冗談のようなアクシデントで、今の時点ではここに書くのが恥ずかしい。心が整理できたら書こうと思います。


 2012/12/14 (金) もう週末か


風邪気味なのか、昨日は終日頭がどんよりとしていた。最近は記憶が抜け落ちていっているような気がしてならない。認知症とまではいかなくても認知力が衰退中なのだろう。


インターネットで検索してみると
「老人の脳の老化には、生理的な老化(老人ぼけ)と病的な老化(痴呆)がある。老人ぼけでは、痴呆とは異なって、老人は自分の記憶の低下を自覚しているが、痴呆(脳血管性痴呆)では判断や理解についても障害があり、日常の生活にも支障をきたすようになる。
症状としては知能の低下、記憶の障害、性格の変化などが現れる。特に痴呆のうちでもアルツハイマー病では、物忘れがひどくなって、初めて気づくことがほとんどだ。
極端にいうと、アルツハイマー病では、過去に知っていた事柄を思い出せなかったり、新しい出来事も覚えられなくなるなどの障害が、認められるようになる。
アルツハイマー病は年々増加し、高齢者以外でも50代の比較的若い時期に発症する人も増えている。
痴呆の約50%はアルツハイマー病といわれ、最初は物忘れ(記憶障害)からはじまり、放っておくと日常生活における動作が鈍くなる、怒りっぽくなる、徘徊したりする、問題行動や物を盗られたと思い込む物取り妄想等の精神症状がでてくる。
老人ぼけ・痴呆においては、脳の細動脈に発生した動脈硬化による微小な梗塞によって脳細胞が変性・懐死することによる場合と、脳の萎縮による場合とがある。高血圧者に多い。
またアルツハイマー病では、老人班というシミができ、脳に炎症が起きて神経細胞が死滅することにより脳機能が低下するもので、脳の血管が詰まる脳血管性痴呆と区別される。
偏食の人はアルツハイマー病なりやすい。肉が好きで、特に緑黄色野菜(ブロッコリーや人参)や魚の嫌いな人は統計的にアルツハイマーが多い。また喫煙はアルツハイマーになる危険度を倍増させる。
ぼけ、痴呆、アルツハイマー病の対策としては、まず食事面で気を付けたい。栄養バランスのとれた食事で量より質を重視する事。
たんぱく質や、ビタミンEをはじめとしたビタミン類をバランス良く摂る事により、血液の浄化や血管を丈夫にし、脳の活性化を促す。
最近のアルツハイマー病の研究の中で、活性酸素(非常に攻撃力の強い酸素)が関与しているとの報告がある。従って緑茶やビタミンC・Eなどの抗酸化作用のある食品を摂ることも予防の手助けになると考えられる。
また遠足歩きのような適度な運動をおこなったり、趣味を見つけ楽しく暮らす。心も体も健康になるような生活をすることが若さを保つ最良の薬となる。
特に高齢の女性は、同年齢の男性よりアルツハイマー病の発生率が高いため、よりいっそう心と若さを保つことが大切である。
ヨーロッパでは、ぼけ・痴呆・アルツハイマーなどの疾患に、イチョウ葉を使用している。イチョウ葉に含まれている、ギンコライドBは、血液循環促進に非常に効果の高い成分である。」
と書いてある。


①適度な運動
①野菜を食べること
①読書をすること
この三本柱で、これからを生きていきたい。


 2012/12/13 (木) 介護保険運営協議会


昨晩は、介護保険運営協議会委嘱状交付式及び会議が、広域連合2階審査会室で開かれた。


委嘱状交付式は
①介護保険運営協議会委員の委嘱状交付
②連合長あいさつ


会議次第は
①開会
②委員紹介
③会長、副会長の選出
④協議事項
・地域密着型サービス事業所等の指定について
・第2回第5期介護サービス拠点整備・運営事業者公募結果について
⑤その他
⑥閉会    という手順だった。


僕は、この運営協議会が大好きだ。この会には、關係機関及び学識経験者(6名)の他、5名の市民代表が入っていて様々な意見交換ができるから。


 2012/12/12 (水) 至福の時間帯


昨晩、僕は美しい人妻と飲食を共にしていた(あとで邪魔な男がひとり来たけどね)。参考曲「オンリーユー」。





これを至福の時間帯というのだろう。


 2012/12/11 (火) 2012年もあと3週間をわりました

昨日、僕は知人と政務調査費のことについて話していた。政務調査費とは読んで字の如くで、政務を調査するのに要する費用だ。県内の市で政務調査費のついていないのは、あわら市議会だけである。
「政務調査費が無いということは仕事をするな、ということではないか」と、友人から言われたこともある。


来年の6月には、あわら市議選がある。現在のあわら市議も高齢化していて、若い人が少ない。若い人が参加したいつまり立候補したい職場であるためにも、政務調査費は必要ではないか。額の問題ではなくて、ついていることが大切なのではないか、と思う。
一字一石墳


百足森と向野との間の谷間が多滝谷である。両側の台地斜面より滝のように水がしたたれ落ちていたので多滝谷の名称がついたと思われる。旗立てより多滝谷への斜面下に長池の地下水が湧き出て直径60cm位の円形の水たまりがあり、その水があふれて二つの小川となって流れている。一つの小川は谷間を縫い加賀の永井の水田をうるおし、今一つの小川は多滝谷の水を加え、山田に水を与え北潟湖に流れこんでいた。江戸時代中期頃、吉崎道の切割り道工事の時この多滝谷を下り登る旧道は埋め立てられ平坦な道路となった。だが埋め立て道の下に水路があったため沈下し、土を入れては補修された。
多滝谷をすぎ吉崎に向けて直進すると、一字一石墳に至る。道は一字一石墳の小さな広場を左折し下り道となる。切割りされた両側は向野地籍で畑地だったが、荒れ放題になっている。