2012年06月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日
2012/06/20 (水) 本日は土木事務所めぐりの予定

昨日は厚生経済常任委員会が開かれたのだけれども、昼休み休憩時に携帯電話が入って初老の男性の声が聞こえてきた。


「手話サークルに入りたい」ということだったので、僕は「わかりました。とにかく携帯ナンバーを教えてください」と返事し、そのナンバーをメモしたあと、僕自身の携帯ナンバーを教えて携帯をきった。


委員会終了後、事務所に戻ると来客数名。
そこへ作務衣姿の男性が突然入ってきた。


「わしは先ほど電話しあった男です。電話をきってから貴方から教えていただいたナンバーを眺めていて、なんか聞いたことのあるナンバーやと思いました。・・それはわし自身のナンバーだと気づきました。そこで、直接お伺いしました」と言われた。


僕も僕だけど男性も男性だ。同世代どおし、お互い認知力が衰えコミュニケーションの正確さがそこなわれつつある。
釈迦が言ったという「生病老死」は人間の宿命だ。
僕は、元気良く衰えていきたい、と思いつつ客人たちが帰ったあと、僕は南原幹雄著・「八郎疾風録」を読んでいた。


八郎とは、明治維新の火付け役となった清川八郎のことで庄内地方の出身。
その庄内地方のわらべ歌が下のものだ。
 

いやだいやだと子守のくどき
一に早起き
二にばれて(赤子を背負わされて)
三にさべられ(小叱を言われ)
四に叱られて
五にごけられ(怒鳴られ)皿あらわせられて
六にろくだもの食わせもしねで
七にしみし(おしめ)洗わせられて
八に離れて(親から)涙でくらし
九に食わぬもの食ったと言われ
十に取らぬもの取ったとおっしゃる



日本には「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、「衣食足りて礼節を失った」のが現代日本ではないだろうか。

それはともかく
上映会のお知らせです。


2012/06/19 (火) きょうも厚生経済常任委員会


未明に目覚めると外は雨。
オープンカフェに出て雨空を眺めていると聞こえてくる唄がある。
日本一の名曲だ。

2012/06/18 (月) 死に関する警句


午前3時に目覚め、熱々珈琲を持ってオープンカフェのチェアに座った。漆黒の闇から落ちてくる雨滴が肩にあたり、カラダもココロも冷え冷えとする。こういう時は死に関する警句を読むのがよい。


 「昨日まで 人のことと思いしが 俺が死ぬのかそれはたまらん」  
  (蜀山人)

「僕が 死を考えるのは死ぬためじゃない 生きるためなんだ」   
  (マルロー)

 「私たちは 生まれたとたんに死に始めている」  
  (マリニウス)

 「死と同じように避けられないものがある それは生きることだ」  
  (チャップリン)

 
 「人はいつか必ず死ぬということを 思い知らなければ 生きていることを 実感出来ない」  
  (ハイデッカー)

 「人は死ぬ瞬間までも もしかしたら助かるかもしれないと 空想しうる力を 与えられている」  
  (武者小路実篤)

 「なぜ 死を恐れるのですか まだ 死を経験した人は いないではありませんか」  
  (ロシアのことわざ)

 「このところずっと 私は生き方を学んでいるつもりだったが 最初から死に方を 学んでいたのだ」  
  (ダ・ヴィンチ)


ということはともかく
昨日は土曜日だったので読書三昧。
西木正明著・「夢顔さんによろしく」を九分通り読み終えた。戦時下に内閣総理大臣を拝命し敗戦の年の12月に服毒自殺した近衛文麿の嫡男・近衛文隆のノンフィクション伝記だ。


前半はアメリカ留学時代の女といちゃつく話ばかりで「くだらんなあ」と思ったが、本は最後まで読むもんだ。
上海でピンルーと知り合ってから、当時の複雑怪奇な日支関係を肌身で知り、父文麿と同じように関東軍の独走を止めるように尽力するが、それゆえに軍部から睨まれて徴兵される。
昭和20年8月15日を中国大陸で迎えた。
侵入してきたスターリン統治下のソ連軍に捕まりラーゲリーに送られ、身に覚えのない懲役25年の刑を言い渡され各地の監獄を転々とする内、昭和31年に死んでしまった。


死因について、文隆の帰国許可と引換えにソ連邦へのスパイを提示したのだが敢然と断られ、ソ連邦によって薬物死させられたと著者は暗示している。


540頁に渡るこの厚い本は最後の100頁が圧倒的に胸をうつ。


「夢顔さんによろしく」の夢顔とは誰なのかが、近衛内閣の秘書官だっだ西園寺公一の口からそれが明らかになる。ゾルゲ事件のリヒハルト・ゾルゲだ。



2012/06/15 (金) 

市政掲示板にとんぼさんが書き込んだ「蛍との道行」を読んでいるうち、蛍にまつわる話をいくつか思い出した。

まずは山家鳥虫歌に収録されている
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす


騒がしく鳴き続ける蝉のあぶなかしくって未熟な恋が若者のそれであるのに対して、心中が燃え滾っていてもそれをさとらせまいとする蛍の忍ぶ恋は明らかに人生の深みを知った大人のそれだろう。
なぜかわからないが、この歌からいつも連想するのは、放浪の詩人・金子光晴。


次に
宮本輝著・「蛍川」。
川三部作のひとつで、ぼくが宮本輝を最初に読んだのがこの小説だった。エンデイングが谷間の川を無数の蛍が乱舞するシーンで、ファンタジックだったなあ。
この本に触発されて、当時はあわら市内の蛍乱舞スポットを探し歩いていた。

2012/06/14 (木) 昨日の一日

昨日は議会本会議で一般質問が行われた。
質問者は8人で、ぼくは6番目。一般質問が終わったあとは、広報編集特別委員会が開かれ、4時頃に終了。

事務所に戻り、オープンカフェで草花を眺めている時にY氏が来訪。
「飲もうか」ということになり、共通の友人数名に連絡し、宴会が始まった。
謹厳実直なぼくも、こういう時だけはバカになれる。

夜も更けてみなが帰ったあと、五木寛之著・「不安の力」を読了。
俗世と来世の間を考えることが最近のテーマになっているぼくには大変魅力的な本だった。

2012/06/13 (水) 無題

昨晩は友人Tくんが来訪。
今やろうとしているA型事業所のことについて長時間熱く語って帰っていった。

還暦を迎えてからの新しい事業の展開は身辺整理も含めて大変だろうが、「困難こそ我が人生」を口癖とする彼のことだ。今がいわゆるシアワセな状態というべきだろう。

そういう大掛かりなものではないけれど、僕も来年から生活が変わる。

2012/06/12 (火) 無題

オープンカフェの整備が進んでいます。
 
 
 
 
 
 
 

オープンチェアに座り熱々珈琲を飲んでいると、これらの植物群に見詰められているような気分になってきます。
何故なら葉のそちこちに目があるからです。ぼくの思いが透視されているよう。



2012/06/11 (月) モンステラを眺めながら