2012年08月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日

 
2012/08/31 (金) もう週末か


本日午前5時の東の空



昨日の午前中は、「坂井地区広域連合環境常任委員会」を傍聴。
①し尿処理旧施設利活用について
②代官山斎苑墓地の指定管理
③斎苑敷地境界線について


相変わらず暑い日が続くので、午後は何もせず昼寝をしていたら、PTA時代の仲間が来訪。

「PTA時代の牧田さんは輝いていた。今と全然違う」と言われた。
当たっていると思う。生気を取り戻さなくてはいけないのだ。


夜は手話サークル。皆が帰ったあと疲れがどっと出てベッドに潜り込み熟睡。


2012/08/30 (木) なせばなる なさねばならぬ


昨日の午後4時からは、国影のトレーニングセンターグラウンドで約二時間のソフトボール練習に励んだ。


脳内出血の後遺症で歩くことすらおぼつかなくなった私が練習などできるはずがないと思っていたんだけど、少しは動くことができて意外だった。


そういえば最近は、字を書く力も回復してきている。


「体の回復は不可能でビールを飲むだけが癒しや」などと思っていた自分が恥ずかしくなった。


上杉鷹山の有名な言葉「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり」は万人に通用する警句だということを痛感した。


2012/08/29 (水) 未明に祈りをすませたあとで


文芸春秋9月特別号に保阪正康と梯久美子の対談「封印された兵士の記録」が載っていて、例えば

・・・   
梯  「私が≪散るぞ悲しき≫の取材を始めたのはその2年くらい前だったのですが、話をうかがったのは兵士だった方が中心です。尉官で存命の方は、もうずいぶんすくなくなっていました。それまでも、軍事専門家や戦友会のようなものでは、兵士だった方の体験記を読んだことがありましたが、きちんと掘り下げたものは少なかったように思います。」

保阪 「それには、いくつか理由があったと思うんです。まず、生活の問題。多くの兵士たちは生きていくだけで大変で、自分たちの体験を整理しようという余裕が全くなかった。
次に、兵士たちの体験はどうしても個別的なんですね。見聞きしたものは語れても、自分たちが戦ったのがどういう作戦だったのか、戦争とは何か、という位置づけがなかなか困難なんです。戦友会のように体験を共有した人どおしなら話が出来るのだけど、他の人とは体験自体があまりにも多様過ぎて、話が通じるかどうかもわからない。」

「確かに≪わざわざ語るようなことはないと思っていた≫という人が少なくありませんでした。」

保阪 「そして、最後に、やっぱり話したくなかった。戦地という極限状態に連れ出されて、命の奪い合いをさせられたわけです。それを平時に、日常のただ中で話すことが、どれほどきついことか。≪戦争のことは一言も話さないで死んでいった≫というのも当然で、沈黙が一つの意思表示なんです。」

 ・・・  


このくだりを読んで、生前の親父の気持ちが少しわかったような気がした。


2012/08/28 (火) 本日は全員協議会





ケニス・ハリソン著「あっぱれ日本兵―オーストラアリア兵の太平洋戦争」(塚田敏夫訳)を読み終えた。


日本の対英米宣戦布告により、英連邦の一員であるオーストラリアと日本は自動的に対戦国となった。無名戦士の著者は南方で日本軍と戦い、力尽きて日本軍の捕虜となる。捕虜としての過酷な日々のなかで次々と戦友を失い、捕虜収容所を非人道的に管理する日本軍兵士に対する憎悪は極点に達する。
やがて昭和20年8月15日となり三年半の収容所暮らしから解放されたケニスたちは、広島を訪れる。


・・死臭がただよい、静寂は死の静寂だった。汗を流して焼け跡を掘っていた一群の男が、通りすぎる我々をぼんやりとながめた。彼らはガーゼのマスクをつけていた。傍らの痛ましいふたつの小山・一方は死体の山、一方は骨の山・を我々は憐れみと罪悪感をもって見た。体力と気力を奪われた人々がゆっくりと通りすぎた。多くはまだ生のままの火傷をさらし、包帯をした人も多かった。少女がひとり両親のうしろをとぼとぼと歩いていた。ぞっとするほど醜くなった少女の顔から、灰の中を彼女が大儀そうに引きずってゆく人形に目を移すと、ふと人形の目がゆがんでいるのに気づいた。
だれもが不思議と感情を失っていた。
ヒロシマでただひとり感情を顕にしている日本人がいた。彼はひざまずき、肘まで灰におおわれた両手は壊れた時計をにぎりしめていた。我々が傍らを通った時、彼は背を向け顔は見えなかったが、踵の上で前後に大きく体をゆらし、大声で泣きじゃくっていた。
我々四人は爆撃の後でヒロシマに入った最初の非日本人だった。しかし少しも歴史や勝利の意義を感じなかった。不具になり火傷を負った同じ人間に行き交い、我々はただ恥ずかしさと罪悪感を覚えた。・・

さて
本日は全員協議会が開かれた。
9月市議会定例会に提出される議案は下の通り。

 議案第62号  専決処分の承認をもとめることについて
(平成24年度あわら市一般会計補正予算(第3号))
 議案第63号  平成23年度あわら市一般会計歳入歳出決算の認定について
 議案第64号  平成23年度あわら市国民健康保険特別会計歳入歳出決算の認定について
 議案第65号  平成23年度あわら市後期高齢者医療特別会計歳入歳出決算の認定について
 議案第66号  平成23年度あわら市産業団地整備事業特別会計歳入歳出決算の認定について
 議案第67号  平成23年度あわら市農業者労働災害共済特別会計歳入歳出決算の認定について
 議案第68号  平成23年度あわら市モーターボート競争特別会計歳入歳出決算の認定について
 議案第69号  平成23年度あわら市水道事業会計の認定について
 議案第70号  平成23年度あわら市工業用水道事業会計決算の認定について
 議案第71号  平成23年度あわら市公共下水道水道事業会計決算の認定について
 議案第72号  平成23年度あわら市農業集落排水事業会計決算の認定について
 議案第73号  平成23年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計決算の認定について
 議案第74号  平成23年度あわら市健全化判断比率及び各公営企業に係る資金不足比率の報告について
 議案第75号  平成23年度芦原温泉上水道財産区水道事業に係る資金不足比率の報告について
 議案第76号  平成24年度あわら市一般会計補正予算(第4号)
 議案第77号  平成24年度あわら市国民健康保険特別会計補正予算(第1号)
 議案第78号  平成24年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計補正予算(第1号)
 議案第79号  あわら市防災会議条例及びあわら市災害対策本部条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例の制定について
 議案第80号  市道路線の認定について
 


なお定例会会期日程は次の通りです。

 
8月27日  月  議会運営委員会   0930開会
   28日  火 全員協議会   0930開会
9月3日  月 本会議  0930開会
会期決定 議案上程
提案理由説明
委員会付託
   10日  月 本会議   0930開会
一般質問
    広報編集委員会 本会議終了後 
   11日  火 総務文教常任委員会    0930開会
   12日  水 総務文教常任委員会   0930開会
   13日 木  厚生経済常任委員会   0930開会
   14日 金  厚生経済常任委員会   0930開会
   20日 木  議会運営委員会   0930開会
   21日  金 全員協議会    0930開会
    本会議   1330開会
委員長報告
質疑 討論 採決
閉会


2012/08/27 (月) 日曜日のスキージャム


昨日の夕刻、我々十数名の中年男性は勝山スキージャムスキー場ゲレンデふもとでのバーベキュー料理と生ビールと麦焼酎に舌包みをうっていた。


高原は下界よりも温度が低く、夕刻ともなると最高だ。
「余生はながくない。我々は人からどう思われようと、自分の好きなように生きていくことだ。それが後悔のない人生につながる」ということで意見の一致をみたように思う。


酩酊気分でゲレンデを見上げると、10人くらいの青年たちが草わらに座り込み、なにやら談笑をしている。ぼくはリハビリも兼ねて急勾配を登った。かなり疲れたけれども登りきり、青年たちとしばらく会話した。20歳前後の彼らに向かって、「これからの福井県は君達が中心になってつくっていかねばならない。おじさんも及ばずながら支援するぞ」と言うと、元気な声で「はい!」が返ってきた。


帰りのバスのなかで、僕は寺の某住職と「寺の宝・地域の宝」についての話に興じた。教育機関の整備されていなかった江戸期、あちこちのお寺が、地域の歴史を刻む場所であったことを、改めて痛感しているうち、バスは坂ノ下区民館に午後8時に到着。
帰宅するやいなやバタンキューとなった。


2012/08/26 (日) 三方五湖自然再生フォーラム


昨日の午前9時、ぼくたち7人は「福井県立三方青年の家」を目指して、あわら市庁舎駐車場をあとにした。「三方五湖自然再生フォーラム」に参加するためである。
フォーラムは午後1時10分の開式。県安全環境部長の主催者側挨拶、美浜・若狭両町長による来賓側挨拶に続いて、三方中学校の女生徒二名による「三方五湖から自然再生へのメッセージ」(これがよかった・・)。


そのあと基調講演に入った。
講師は某東大教授でタイトルは「全国の自然再生と三方五湖」。大學の先生がどんな話をするのだろうか、と期待していたのだがやや期待はずれ。
速射砲のようにしゃべるので間(ま)がなく、しゃべりの内容をじっくり咀嚼させるゆとりを与えられなかったような気がする。


帰宅した時、時計の針は既に5時半を指していた。
オープンカフェに出て、ハイボールを口に含みながら一日を反芻。


2012/08/25 (土) 本日は「三方青年の家」 


藤原伊織著「ひまわりの祝祭」がすごく面白くて、昨日の午前中はオープンカフェに出て陽光の下でこの本を読み進めていた。


午後になるとOさん来訪。真面目な人なのでぼくも真面目になり緊迫している日韓関係のこと・あわら市政のこと・介護保険のことなどを語り合った。


夜は5人が事務所に集合。原発問題を考える会のことをいろいろ語り合った。夜も更けてみんなが帰ったあと、ぼくはオープンカフェに出た。来訪者のひとりが持ってきてくれた胡瓜を生噛りしながら白ワインを飲んでいた。胡瓜の生噛りは少年の日の自分を思い出させる。白ワインによく合う。


眠くなってきたので事務所に入り、横になりながら再び藤原伊織を読んでいたら玄関をノックする音。
中年男女の登場だ。女性が芋焼酎を持ってきてくれたので、事務所は酒宴の場となった。だけど何を聞き何をしゃべったのか一切覚えていない。


2012/08/24 (金) 三方五湖 

昨日の午後、北潟湖畔荘に於いて「三方五湖・北潟湖水質保全」対策協議会」定期総会が開かれた。





議事は
(1)議案第1号  平成20―23年度事業経過報告について
(2)議案第2号 平成20年度収支決算及び
平成20―23年度収支決算状況報告について
(会計監査報告)
(3)議案第3号 平成24年度事業計画(案)について
(4)議案第4号 平成24年度収支予算(案)について
(5)議案第5号 役員改選について


協議事項としては
(1)県への要望書(案)について    だった。


議案第3号の字面を書くと
1 基本計画
三方五湖・北潟湖の現状を十分に把握し、水質浄化及び環境整備をより充実させるため、関係各方面に対し支援と協力を要請するとともに、地域住民の実践活動を推進して、より一層の水質浄化に務める。
2事業計画
(1)国、県及びその他関係方面に対する請願、要望
要望書の提出
(2)地域住民への意識啓発活動
啓発資材の配布等
(3)視察・研修
・先進地域の実地
・湖沼フォーラムへの参加   だった。

ところで
三方五湖の五湖とは①三方湖②水月湖③菅湖④久々子湖⑤日向湖の五つを指すが、ぼくが若かった頃、仲のいい友人の実家がそこにあった関係で、毎夏の数日を久々子湖のほとりで何人かと一緒に過ごしていた。
あれから40年の歳月が流れたが、青春時代特有の苦さと甘酸っぱさが久々子湖の湖面には今でも漂っている。
ということで連日暑い。
芭蕉は、閑さや岩にしみ入る蝉の声と詠んだが、ぼくにはこれが不思議だった。岩は硬質なものの代表である。声などはね返しこそすれ、しみ入るはずがないと思っていた。だけどこの歳になると、「岩は苔むしている岩ではないだろうか」と思うようになってきた。苔は吸音機能を持っている。声がしみ入っても不思議ではない。


2012/08/23 (木)  星のない夜


8月21日の午前中は厚生経済常任委員会が開かれた。
案件は
〔1〕幼保一体化に伴う施設整備について
〔2〕施設整備等のスケジュールについて


理事者側の説明では、就学前の施設は幼保一体化施設として整備していくとのこと。要するに現在の金津幼稚園と金津保育園を一緒にするわけだが、そうすると園児数が合計で184名となり、経営上大きすぎるきらいがあり、これをふたつに分けて
①ひとつは現在の金津保育所の改修〔定員120名〕
②ひとつを新たな施設整備〔場所は市役所西側駐車場〕〔定員80-100名〕という案に向かっている。
②は民間活力導入による整備を目指していて、この場合施設整備補助金を活用〔国・県1/2、市1/4、事業者1/4〕とのこと。

なお、①②共、平成24年4月開園の予定。

それはともかく
昨日午前中の事務所来訪者との話のテーマは「北潟湖の浄化について」だった。
「行政は北潟湖の浄化のために策を凝らしてはいるけれども、むしろ汚染が進んでいるのではないか」と、その問題点の幾つかを例証してもらった。福井県内にある湖は、三方五湖と北潟湖のふたつだけ。今週末には三方青年の家へ行き三方五湖自然再生フォーラムに参加する予定なので、できるだけ良い汚染防止案を勉強してきたい。


2012/08/22 (水) 雑感


昨日の午後から、ホームページビルダーのサーバーへの転送が何故か不可能となり、本日の午後やっと復旧しました。復旧をサポートしてくださった複数の方々、どうもありがとうございました。


加えて
ぼくと近しい方のなかには「まきちゃん、ついに昇天したか」と思った方もいなるかもわかりません。ドンマイ・・生きている限りは生き続けていきます。昨日からは坂道の上り下りを歩くリハビリもメニューに加わり、少し爽快さが戻ってきました。


元気か元気でないかはともかくとして、ちゃんと息をし続けていることを連絡する意味も含めて、日々のブログ発信を欠かさないようにしたいと思います。
                          草々


2012/08/21 (火) 慰霊祭


昨日の午後4時から、金津地区戦没者慰霊祭がとりおこなわれた。
私は追悼の辞をよんだが、我々市議の任期は来年4月までなので、今回が最後となる。その意味からも、列席している間、胸に迫るものがあった。


数年前に逝った親父は、フィリピン戦線の生き残りだった。九死に一生を得て帰国しすぐに結婚したことで、息子である私が今存在している。


戦争体験についてだが、親父と共に暮らした60有余年のなかで親父が戦時体験を語ったことは一度しかない。それもポツリだった。

マスコミなどが「戦争体験を伝え続けていかねばならない。風化させてはならない」と声高に言っているけれども、当事者にはとても辛いことであるはずだ。最も過酷な体験は胸の中にそっとしまっておくことが普通の人間の心のありようだと思うからだ。
最近、蓮如に対する興味が増してきたので、本日、真継伸彦著「鮫」を金津図書館へ行き注文して来た。


「見玉は蓮如の二女で、蓮如吉崎に来ると蓮如の長男順如の配慮で吉崎に来て、妻を亡くしていた父蓮如の身の回りの世話をしていた。美人で人付き合いがよく参詣人から、寺内の使用人からも慕われていた。ただ身体が丈夫でなく病にかかり26才で吉崎の地で亡くなった。
蓮如は見玉の死について文を書き残している。その文に、見玉とは玉を見ると読むなり。いかなる玉ぞといえば真如法性の妙理如意宝珠を見るといえる意なりと。また夢にいわく、白骨の中より三本の青蓮華が出生し、その花の中より一寸ばかりの金仏光をはなちいで、蝶となりてうせにけり。即ち極楽世界へ飛んでいったと書かれている。明治初年山上が東西本願寺へ戻った時、この文に基づいて、玉墓が信徒の手によって建てられた。真継伸彦の小説「鮫」の主人公が 見玉尼。」



私は新藤兼人監督の映画「鬼婆」が、あわら市民にはおなじみの「吉崎・肉付きの面」伝説に対する異説の映画表現であることを知って、蓮如に対する親しみと新藤監督に対する敬愛の念が増した。


何故なら
若い頃に見た新藤監督作品「裸の島」は台詞無しが特徴の映画で、私が最も深く感銘を受けた映画のひとつであったからだ。
生活することの重さと、その過程で子を亡くすということの過酷さと、にも関わらず生きている限りは生きていくということのリアリズムを、海のなかに存在する小さな離れ島を舞台に過不足なく表現し得た映画だと思うからだ。