2013年03月①

① 1日ー10日  ②11日ー20日  ③21日ー31日
 
2013/03/10 (日) 嶺北あわら消防署の落成


本日の午前9時から嶺北あわら消防署の落成式が行われた。





いただいたパンフには「本庁舎と主訓練塔は建物重要度係数1.5倍の耐震性能を確保」と書いてあった。これは恐らく標準せん断係数CO=0.2を0.3として構造計算書を作製したということだろう。
消防署は防災の拠点だし、2年前の東日本大震災を経験した我々がそのことに留意するのは当然だ。


2013/03/09 (土) 又週末が来た


昨晩のWBC野球・日本vs台湾の試合は実にエキサイテイングだった。試合後の記者会見で山本監督は「井端の一振りに尽きる」と言っていたが、私見は違う。


MVPは牧田だ。相手チームのバントフライに対して果敢な直接キャッチを成し遂げたあのプレイの印象が抜群だった。


「牧田」という姓を持つ人には印象派が多いのである。

きょうは福井県国際交流会館に於いて、「民主党福井県連総支部連合会第14回定期大会」が開かれた。ゲストは民主党代表・海江田万里氏。



テレビで見る顔とは違う一面を見たような気がする。


それは、質疑応答の時間に脳性小児マヒの人が民主党の現況に対して苦言を呈していた時。我々健常者にとってその人の言葉はとても聴き取りにくい。けれども氏は一生懸命メモをとって答弁していた。


2013/03/07 (木) 本日も厚生経済常任委員会


昨日は、午前9時半から厚生経済常任委員会。
所管は
☆市民生活課
☆福祉課
☆子育て支援課
☆健康長寿課
傍聴者は二名だったがいずれも所管外の議員だった。議会の活性化が叫ばれているのだから、一般市民の傍聴を期待します。


帰途、コンビニに寄って白ワイン(¥398エン)を購入。パジャマに着替えてから自宅裏の整備されたオープンカフェのデッキチェアーに座り

白ワインを飲みながら夜空を眺めるうち、いつの間にか南沙織の「色づく街」を口ずさんでいた。


この歌が流行ったのは40年ほど前だ。僕が乗り込んだ沖永良部島に向かう船が奄美大島・名瀬港に一時寄港した時、波止場に流れていたのがこの唄だった。


南沙織は永遠のアイドルで、白いヒラヒラのスカートで歌う彼女の姿が発散する健康的な若さは我々団塊の世代を魅了した。
騙されたかなにかで篠山某と結婚した彼女は後年教育ママゴンに変身したという噂を聞くが、アイドルはステージの上が全てで、私生活などどうでもいいのである。

2013/03/05 (火) 無題


昨日は一般質問。一般質問は午後3時に終わり、そのあと広報編集特別委員会が開かれた。広報編集特別委員会終了後に加賀の海岸へ。


日本海に夕陽が落ちていく。



前の日の晩に曽野綾子著:「観月観世」を読み終えていた私は、夕陽に映える西空に死を想わずにはいられなかった。


2013/03/05 (火) 観月観世

曽野綾子著「観月観世」を読み終えた。サブタイトルが「或る世紀末の物語」とあるが、まさにその通りで、深夜に薄暗がりの部屋で読むのに最適の本だった。


あとがきで、著者はこういうことを書いている。
「前略・・この五十年来の土地は、西に向かって眺めが開けていて、有名な相模湾の夕陽が見られる。私は昔から夕陽と月を観るのが好きだった。陽を見るのが好き、という嗜好を行動に移すのはきわめてむずかしいから、人は月を眺めるほかはないのだが、夕陽と月はいささかその人の心理に関係がある。
私は昔から、というより、子どもの時からずっと死を想う性格だった。毎日死を想わない日はない。「死を想え(メメント・モリ)」という言葉は普通のキリスト教徒の日常にも生きていて、信仰を深く生きている人なら、三度の食事後と、朝と就寝前、少なくとも五度は、死を想いつつ祈るはずだ。しかし私は始終祈りをさぼっているから、折り目正しく死を想っているのではない。
夕陽も月も一日として同じ姿を見せることはない。私は夕食にてんぷらを揚げかけているような時刻でも、ほんとうに陽が落ちるのが見える日には、てんぷらの揚がり具合を犠牲にしても落日を眺めに立つことがあった。この夕陽の輝き、この月の趣は二度と見られないのだから、食事の支度などどうでもいいと思うのである。
その時、私はいつも同時に自分の死を想っている。世の中の作家には、生に向かうタイプと死に向かうタイプとがある。というが、私は明らかに死を対象にものごとを見て来た作家だと想う。
死だの海だのを見ていると、次第次第に現世の評価と大きな誤差を生じる。いわゆる型通りの人間の執念の対象になるような世の中の姿勢から、大きく離れてくる。その代わり・・何か秘密の世界が生じる。大したものではないが、世間では通じにくい。・・・後略」


2013/03/04 (月) 昨晩のこと


昨晩は、芦原温泉某旅館に沢山の人が集まった。昨年12月の衆院選で福井二区から出馬し惜しくも敗れた糸川氏を囲んでの懇親会だ。


久しぶりに氏と話して僕は気分が和らいだ。更に隣席の若い人と話しているうち、「ここに集まった人たちとは今年6月でお別れとなるんだなあ・・」との思いで妙に感傷的になって酒が進み焼酎が進み諸々が進み、カラオケの時間が来た時、いの一番にマイクを持った。


持ち歌のひとつ「港町ブルース」を僕は歌った。一番で畳をたたき二番で丹前を脱ぎ三番で浴衣を脱ぎ四番で下着を脱いで上半身あらわとなり五番で畳をたたきようやく歌い終えた時、万雷の拍手となった。正気とは思えない歌い方だったが、これが「人生で最後」だと思うと、別に恥ずかしくはなかった。


歌い終えた僕は会場をあとにして控え部屋に戻りズボンを履き靴を履いてから、妻に携帯電話で「迎えたのむ」と言って、旅館の外へ出た。


出た時、目に入ったのは交通事故だった。救急隊員が破損した車から人を救出し担架で救急車に運んでいる。ああいう光景を見ると、背筋が寒くなる。


2013/03/03 (日) 文書館


大田裕美「木綿のハンカチーフ」を聴きながらこのブログを書いている。


昨日の午後は福井県立図書館「文書館」へ、4人で行った。


文書館開館十周年記念講演会。演題は「杉田仙十郎と定一夫妻」で、講演者は「大阪経済大学教授・家近良樹氏」。話が脱線の連続で焦点がしっかりせず総じてわかりにくかったが、氏の言いたかったことはひとつに尽きると思う。




定一は明治期の帝国議会で議長の要職にまで上りつめ、九頭竜川改修や国鉄金津駅開駅の実現あるいは三国支線の実現で芦原温泉に福をもたらしたということに一応はなっている。けれどもそれらは明治中央政府の施策の結果であり、定一は時の流れに身をおいたにすぎない、と氏は語っていた。彼は弁舌が爽やかでも機知に富んでいたわけでも、情が深くて親しみをもたれる人物でもなかった、偉かったのは、スポットを浴びていない父・仙十郎と妻・鈴である、と語っていた。


杉田定一自筆の手紙




なかんずく鈴は偉かったそうで、京都で交流のあった新島襄の嫁さん(今、NHKTVで放映中)よりも傑物だったとのこと。歴史は女がつくっていくのだろう。


2013/03/02 (土) 本日は県立図書館文書館


皇位継承略系図である。
昨日午前中の集まりで焦点になったことの一つが「日本の天皇制」だった。Uさんは「初代・神武から9代・開化までは実在が怪しまれるが、10代崇神からは木簡が出ていることもあって実在がはっきりしている」と言う。
いずれにしろ、越前に住まう我々にとっては第26代・継体天皇が馴染み深い。

昨晩、三国観光ホテルでF-TOP坂井地協支部幹事会が開かれた。
1報告事項
(1)活動経過
(2)労働問題研修会について
(3)2013春闘街頭行動について


2確認事項
(1)福井地協第4回ソフトバレーボール大会について
(2)福井地協2013春闘決起集会について


3協議事項
(1)第84回福井県中央メーデーについて
(2ボランテイア活動について


4当面の行事日程


5その他  という次第だった。


幹事会終了後は懇親会に移ったが、車で来た僕はビールを飲めないので隣席の人たちに対して専らビールを注ぐ側にまわり、数年前の臨死体験で得た「生と死のはざま」についての考察を語っていた。


22013/03/01 (金) 新聞を読んで


本日の朝日新聞15面に、「障害児教育 伸びる芽に投資する発想を」(松井彰彦氏)が載っていて、書き出しはこうです。


「二宮尊徳の言葉に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というものがある。経済活動に、人をだまさない、おとしめないといった道徳観念が不可欠であるのと同様に、福祉活動でも、どうすれば障害児の能力を伸ばして世の中で生かすことができるか、といった教育投資の発想は欠かせない。
福祉は弱者を救うためにだけ存在するのではなく、伸びようとする芽がぶつかる障害を取り除くためにも活用されるべきである。そうした理念で運営している福祉施設はあるだろうか。そうぼんやりと考えていた2月のとある日曜日、東京都葛飾区にある聴覚障害児支援施設、金町学園を訪ねた。
金町学園は10年前、職員による不祥事で世間を騒がせた。それを機に体制を刷新。元ろう学校校長を迎えた新体制では、障害者自立支援法を活用して、新たな取り組みを始めたという。養育が困難なろう児を受け入れてきた施設からどう変容したのだろうか。


20人ほどの聴覚障害児が暮らす金町学園には「NPO大塚クラブ金町学習塾」がある。毎週日曜日に学習支援のボランテイアが入る。塾長で手話通訳士の森本行雄のほか、大学教師や大学生が小学生から高校生までの勉強を見る。大学受験を目指す生徒もいる。教師役の大学生の中には聴覚障害がある人もいる。」


それはともかくとして
きょうの12時、やっと3時間(暫時休憩なし)の会議が終わった。来訪客5人、会議のテーマは「天皇制と武家政権」で、久しぶりに大変面白かった。あわら市内にも潜在的語り部は沢山いる。