市議選が近づいてきたためか最近の事務所来訪者たちからは、今回の選挙の動向についてよく聞かれます。「あわら市にとって誰に入れるのが一番いいのだろうか」という種類の質問ですが、去り行く私としては固有名詞についてはさらさら興味がなくつまり誰でもいいのですが、ただ、ふるさとの歴史についての知見を持っているひとがひとりぐらいは当選してほしいというのが、敢えて言えば私の願いです。
ということで昨日は三国龍翔館へ「三国の遊女俳人・歌川」の話を聴きに行きました。歌川の代表作「おく底の しれぬ寒さや 海の音」からは、鉛色の空を持つ冬の日本海の海鳴りが聴こえてきますが、夜の宿で按摩されている時の歌川が海の音にいいしれぬ寂寥感を感じたのがこの句につながりました。
売春防止法の成立で遊女はいなくなってしまいますが、近世の遊女には「身をひさぐ性的存在」という蔑まされる側面と「神事につながる聖的存在」という崇められる側面という二面性つまり性聖一致があったようです。
ただし、私がこの句にうたれるのは、文芸的に抽象化されたレベルのものではなく、個人的な体験を通して、愛する人との永遠の別れからくる胸の引き裂かれを沈静化させる力となっているからのように思えます。
参考:金津遊女の墓・青楼無縁塚
姫川の 俤ゆかし 枯柳

宿場小女郎が旅人の袖をひいた遊里は、竹田川を挟んだ長さ1キロ余りの町の川北、北金津町といわれた宿場集落にあった。金津傾村鏡によると、安永2年当時、 北金津は、戸数411、人数1394、(男728・女666)。遊女が61名も居たのだから、女性の数が多いのかと思ったら逆に52名少ない・・・。
遊里はその北金津町の三丈山を取り巻いている旧八日町一帯にあった。金津町郷土資料は次のように記している。
「当時稲荷山の地には二十余軒の妓楼が軒を連ね、数十名の娼婦が居って我先にと客をよんだ。したがって階上階下の別なく、三弦の音、太鼓のひびきやかましく稲荷山にこだましていたという・・・ (津谷博子)
「宿場史跡 金津町坂ノ下」金津町教育委員会 より
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