2013年04月①

① 1日ー10日  ②11日ー20日  ③21日ー31日
 
2013/04/10 (水) 昨日の一日


昨日の午前中に3人が牧田事務所を来訪し、歴史好き4人が集まっての真面目な話し合いがもたれた。メインテーマは「国鉄北陸本線敷設に至る経過」で、語り手はとんぼさん。明治期に国鉄北陸線が敷設される時、三国駅派と金津駅派の間で時の経済界の重鎮・渋沢栄一をも動かすような駆け引きがあったとのこと。我々あわら市民なかんづくあわら市行政職員はこのことを知っておく必要があると思う。


なお、下記のPDF資料①~⑦は、明治期の資料を、とんぼさんが現代語的平易文に訳したものです。


①東北鉄道会社創立願



②北陸鉄道創立願書


③北陸鉄道敷設追願書


④北陸線敷設に関する会議議事録


⑤通史


⑥金津町既定線期成同盟の請願書


⑦坂野書簡




夜は牧田事務所において、5人による不真面目な話し合いがもたれた。名目は「手話サークルの花見」だが、桜などどこにも見えず、見えるのはビールと焼酎と花見だんごだけだった。


Fさんが持ってきた焼酎「金霧島」は大変に高価な珍しいもので薬用効果があるとのこと。酔うほどに気分が良くなり、隣に美女が座っているような幻覚も出てきた。



2013/04/09 (火) 昨日の一日


今朝は午前2時に起床しオープンカフェに出て、夜空を見あげながら人生を考えていた。




ということはともかくとして
昨日は、幼稚園・小学校・中学校の入学式。議員として最後の出席となる僕は一張羅の背広(ダーバン)を着て一張羅のネクタイ(女性からのプレゼント)をしめて式に臨んだ(注:この格好は他の議員たちに対してもなかなか評判がよかった)。






各学校で来賓各氏が祝辞を述べたが、僕が耳を一番そばだてたのは各PTA会長の挨拶。なぜなら15年ほど前に僕もこれらを歴任していたからだ。


当時の僕が挨拶がてらいつも思っていたのは、「子どもはこの世に強制的に引っ張り出されてくる」ということだった。
「受胎した生命が10カ月を経て子宮から出てきます。その時、この世の在りようを覗き見て、嫌な世の中だから生まれるのを止めようと思ってもそうはできません。否応なしに引っ張り出されるのです。・・であれば、我々大人が、子どもにとっての良い世の中をセットしておくことが、最低限の義務です。」というような挨拶をしたこともある。


2013/04/08 (月) 本日は幼稚園、小学校、中学校の入学式


昨日の広島在住友人との電話。
「貴方のブログの生真面目な文章を読んでいると、実生活を知っている私としては笑いがこみあげてくる。これも議員をやっているということでの制約故と言える。しかし、議員を辞めたあとにはリバウンドが出てくるだろう。楽しみだ。今度遊びに行く。」と、言われた。


だとすると、十数年間の議員生活が、私の性格を変えてしまったということになる。それがいいことだったのか悪いことだったのかはわからないが、どちらでもいい。
人生、プラスマイナスゼロなのである。



それはともかく、オープンカフェの改修が終わった。


私はこのオープンカフェを「妄想の館」と名づけよう。



小説家・三木卓は「馭者の秋」で
「人はおそらく人生の大部分を妄想に費やして生きているはずである。妄想こそ意識だというべきだし生活だといっていい。ただ人は恥ずかしがって口を噤んでいるだけだ」と書いている。


私も又多くの人から「まきちゃんは妄想だらけやなあ」と言われるので、思索の場所を「妄想の館」と名づけるのが一番いいと思う。


 


2013/04/07 (日) 昨日の一日


昨日の午前中は福井市御幸町へ。
建築確認新申請を依頼されている物件の予定敷地の現場確認の為である。


自宅へ戻ってから、S医院へ行った。主治医によれば血圧は132~70で申し分ないとのこと。であれば、あんまり神経質になることなく酒・煙草・〇〇の人生をこれまでどおり続ければいいのではないだろうか。そして知らないうちにどこかの海辺で眠るようにして死んでいた・・ということになれば最高の人生だったと思う。


午後、歴史好きのメンバーから企画予定の電話をうける。私は50代になってから歴史の話が好きになってきたので、こういう電話が入ると嬉しい。
そのあとは、「議員を辞めてからあとのほうが忙しい日々となるのではないか」と思いながらCADに専念した。


指先に軽度のマヒを持つ私には手書き製図は困難なのだが、CADなら十分こなせる。指先が衰え言語発信力が衰え視力が衰え聴力が衰え味覚力が衰えてはいるけれども、あらゆる受発信の基本である脳つまり意識だけは今までどおりであるからこそCADを普通に使いこなせる、と思うとハイテクはありがたい。


夜は、坂ノ下区民館で「坂ノ下農地環境保全会定期総会」が開かれた。
多少アルコールが入っていたので、区民館まで小雨のなかを歩いていったのだが、総会の間に雨風が強まり、帰路はハードだった。
余談だが、この会の代表はなかなかの人物だと、私はにらんでいる。


「池澤夏樹著「双頭の船」書評・赤坂真理」からの抜粋


「「絆」-何か言った気になれる言葉ではあるが、ひとつだけ、はっきりさせよう。「絆」の要件とは、一人一人、ばらばらであることだ。
同じであることではない。たとえば酸素分子があって、隣も酸素分子なら、どこまで行っても酸素。だが、水素分子が隣り合わせると、水という奇跡的な第三のものが生まれる可能性がある。
ばらばらほど、融合するものはない。簡単なことだ、が、盲点である。この冷徹なまでの明晰さから物語りは出発する。・・後略」

2013/04/06 (土) もう週末か


昨晩は久しぶりによく飲みよくしゃべりよく歌った。




カラオケでの歌は勿論、港町ブルース



夜も更けた頃、僕はリハビリを兼ねて自宅まで歩いて帰った。
ということはともかく
本日の朝日新聞22面に池澤夏樹が「震災の意味づけ、誰が」を書いている。

「・・前略・・後になって公開されたたくさんの写真や動画。たぶん遺された者には見るのも辛い記録。忘れたいと忘れてはいけないの間で人は迷う。
震災は心の傷である。忘れて、なかったことにして、前に出たい。
そう思う一方、死者は忘れがたい。忘れないことが次の災害の予防や減災に繋がるということもある。
何度となく津波の被害を受けた三陸地方には「津波はここまで来た」という碑が少なくない。ならば津波地帯の生活の実感として、この高さまで水が来たと歴然と示している雇用促進住宅は残されるべきではなかったか。
とは言うものの、あそこで身内が亡くなったという家族の思いにも磐石の重みがある。見るたびに思い出すのが辛いことはよくわかる。
高田松原のあの一本の松が復元されて元の場所に立てられた。波に抗した勇気のシンボルなのだろうが、もう生きてはいない木を改めて立たせることへの違和感もある。

あの日の後、ぼくたちはさまざまな形でシンボル操作を行って災害の意味づけをしようとしてきた。
惨事の現実があまりに大きくて、辛かったので、それを伝えるのが難しい。経験した人からしなかった人へ、その時の自分たちから未来の自分たちへ、手渡すものは多い。そこでシンボルに頼ることになる。
もちろん忘れたがる人たちはいる。
政治家はみな先天性の健忘症だ。彼らには今しかない。近未来の明るい絵を描いていれば国民はついて来ると信じている。
それでも福島第一原子力発電所は取り壊しようのないモニュメントである。チェルノブイリが石棺になって残ったように、フクイチは解体のしようがないために長く残るだろう。このモニュメントにシンボルとしての意味づけをしなければならない。その主役は住む土地を奪われた人々でなければならない。」

2013/04/05 (金) 西行


昨晩の手話サークルで、「花見をいつするか」が話題となった。


桜と言えば西行、西行と言えば桜・・と言われる程に桜を愛した西行は


願わくば 花の下にて 春死なん 
        その望月の 如月の頃

と歌い事実その日に亡くなったのだから、自分の死を自分で決定するだけの意志力を中世の人たちは持っていたのだろう。


北面の武士であった佐藤義清は宮廷の(あわら市内なら三本の指に入るであろう)それはそれは美しい高貴な御婦人に懸想した。そして当然ながらそれはかなわぬ恋だった。挫折し世をはかなんだ彼は、西行と名乗って出家する。家を出る時に、泣きながらすがる妻子を足蹴りにする絵が有名だ。


その後、旅の行く先々で歌を詠み有名人となっていくのだが、彼を一番愛していながら足蹴りにされた妻子にとってはたまらない。憎さ百倍で彼が鬼のように見えたはずだ。


美の追求のためには他の全てを蹴飛ばさなければならないというアーテイストの基本姿勢は、知る人ぞ知る隠れた建築アーテイストの私にはよくわかる。


ところで、今の私が一番好きな西行の歌は下のものだ。


年たけて また越ゆべしと 思いきや
          命なりけり 小夜の中山



彼は、69歳になってからの奥州行きでこの歌を詠んだ。彼の人生の喜びと悲しみの全てを入れ込んだと思われる「命なりけり」という言葉がすばらしい。
加賀千代女5百句
春の句(2)



女子どし 押してのぼるや 山ざくら


朧夜や 見届けたもの 梅ばかり


手折らるる 花から見ては 柳かな


見てもどる 人には逢はず 初桜


もえしさる 草なになにぞ 春の雨


青柳は 何所に植ても 静かなり


あがりては 下を見て鳴く ひばりかな


明けぼのの さくらに成りて 朝日かな


海士の子に 習はせて置 汐干哉


淡ゆきや 幾筋きえて もとの道


言さして 見直す人や 朧月


鶯は ともあれここの 初音かな


うぐひすや 冬其儘の 竹もあり


梅が香や 朝ゝ氷る 花の陰


梅が香や 尋ねるほどの 枝にさへ


梅が香や 戸の開音は おぼえねど


梅咲や 何が降ても 春ははる   


朧夜や うたはぬ歌に 行過し


隠れ家も 色に出にけり 桃の花


駆出る 駒も足嗅ぐ すみれ哉


影は滝 空は花なり いとざくら


きじ啼くや土いろゝの 草となる


声たてぬ 時かわかれぞ 猫の恋


このころの 田にもこぼるゝ かはづかな

転びても 笑ふてばかり ひ々な哉


囀りを 世にや譲りて 松の琴


咲事に 日を選ばずや 梅の花


里の子の 肌まだ白し もゝの花


下萌えや 水仙ひとり 立ちしざり


それほどに かはかぬ道や もゝのはな


手折らるゝ 人に薫るや 梅花


短冊は 風をあつかふ さくら哉


蝶々や 裾から戻る 位山


蝶々や 何を夢見て 羽づかひ


蝶々や をなごの道の 跡や先


散事を 待つとはおかし 餅の花


どち見むと 花に狂ふや よしの山


ながれては 又根にかへる 柳かな


ぬるみはやし 町のかた野の 水くるま


花もりや 人の嵐は 昼ばかり


春雨や うつくしうなる 物ばかり


春雨や 土の笑ひも 野に余り


昼の夢 ひとりたのしむ 柳哉


拾ふもの みな動く也 塩干潟


広瀬にも 穴のあくほど 桜狩


ふみ分て 雪にまよふや 猫の恋


道くさに 蝶も寝させぬ 花見哉


結ふと 解ふと風の やなぎかな


もゝさくや 名は何とやら いふ所


春の句(3)


鑓もちや 雛のかほも 恋しらず


若くさや 尾の顕はるゝ 雉子の声


をしなべて 声なき蝶も 法の場


おされ合ふて ものの根を根に 春の草


何やらの 時見置たる 根芹かな


春風も 油断はならず 鹿の角


春風や いろいろの香を そゝのかし


山陰や わすれた比の すみれ草


朝夕に 雫のふとる このめ哉


朝夕に 見ぬ森からも 桜かな


東路の 花はしづかに さかりかな


うぐひすは 言そこなひが 初音哉


梅さくや 寒い寒いが 癖になり


おそろしや 高い所に 啼雲雀


朧夜や 言葉のあまる わたし守


きじの音に あちら向たは なかりけり


きのふけふの 雨にも下りぬ 雲雀哉


誰もかも 見てわするゝや 松の華


蝶ほどの 笠になるまで したひけり


つくつくし こゝらに寺の 跡もあり


出そこなふた 顔してひとつ 蛙かな


二三里は 二度も来る日や 桃の花


庭に出て 空は見やらず 春の雨


春雨や みなぬらしたき 物の色


2013/04/04 (木) 若い人たちよ あわら市議選にどんどん立候補しよう


昨日の午前中は、広報編集特別委員会が開かれ、「議会だより」の最終校正が行われた(この議会だよりは皆さんの御家庭に4月15日過ぎに配布されると思います)。勿論、討議は真剣で熱の入ったものだったが、休憩時間になり委員が控室に入ると話題は、市議選のことになっていく。


噂では無投票になる可能性もあるとのことだが、これは避けなければならない。私が経験した4回(町議選2回+市議選2回)は、いずれも立候補者が定員オーバーの選挙戦となった。そうすれば立候補者の金銭負担は相当なものとなる。しかし無投票の場合は金銭負担ゼロとなってしまう。当選者の喜びの表情の奥には、「金を使わなくてよかった」という思いが見え隠れする。


6月で辞める私にとって、6月の選挙が無投票となるのは(極めて個人的な思いだが)不公平である。


加賀千代女5百句
春の句(1)


おしめども 春は留まらで 啼く蛙


とぼし灯の 用意や雛の 台所


永き日を 又つぎのばし 土筆哉


山吹の ほどけかゝるや 水の幅


しずかさは 何の心や 春のそら


吹ふけど 花に欲なし 鳳巾


あしあとは 男なりけり 初桜


浮島を 青う突き出す 柳哉


うぐひすや 又言いなをし いいなをし


鶯や 水音のんで 言はじめ


まつかぜの 小声になるや 藤の花


若くさや 帰り路はその 花にまつ


梅が香や 鳥は寝させて よもすがら


ふたつみつ 夜に入りそうな 雲雀哉


うつむいた 所が台や すみれ草


おのづから 手も地につくや 糸ざくら


隠すべき 事mぱれ也 雉の声


かさとりの 山や笑ひも もどかしき


かほる風 おくにひかへて 松の花


汐越しの 松や小蝶は 中もどり


四季色々 殊更春の うへ木茶屋


ながき日も 眼に暮るゝ也 竹のうら


水鏡 見るそだちない 蜆取



2013/04/03 (水) 本日は広報編集特別委員会

昨日
午前中のCAD三昧に疲れた私は昼になってから加賀の海へ車を走らせた。あいにくと曇天で海も荒れていたが、そんなに寒くはなく風はむしろ心地よかった。



海を見ているうちに頭に浮かんできたのが次の言葉。


「私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。煽動しない。策略を立てない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。」



開高健がベトナム戦争当時、南ベトナム政府軍に従軍した時の体験を表した小説:「輝ける闇」のあとがきとして残された、肺腑をえぐる言葉だ。
あれから45年の歳月が流れたが、今も世界のどこかの紛争で毎日のように人間が虫けらのように殺されている。


宇宙が誕生して170億年、そしてあと300億年たつと宇宙は消滅し時間も消滅する。そのなかでの人類の存在時期など「永遠のなかの一瞬」と言うほかないのだ。


そこで私も又、6月入ってこのまちが市議選で喧騒を帯びてくる頃、このまちを脱出し旅の人となる。旅の先々で眼にしたものその物になって息をひそめているだろう。



ということはともかく、「加賀千代女・吉崎紀行」の中の句を紹介。


うつむいた 所が台や すみれ草


おのづから 手も地につくや 糸ざくら


かさとりの 山や笑ひも もどかしき


かほる風 おくにひかへて 松の花


汐越しの 松や小蝶は 中もどり


四季色々 殊更春の うへ木茶屋


ながき日も 眼に暮るゝ也 竹のうら


水鏡 見るそだちない 蜆取



2013/04/02 (火) ちょっと思ったこと


きょうからCAD三昧となるので、昨日は製図コーナーの整理整頓にいそしんでいた。
ということはともかく、下のようなファックスが入ってきた。


「私は人と比べて不得意な事、苦手な事が多すぎる。思いつくままに列挙すると、歌は音痴、運動神経は鈍い、絵は苦手、手先は不器用、メカに弱い、囲碁も将棋もできない、もちろんアウトドア派でもないので無人島に流されたら二、三日でおしまいだ。釣りも苦手なので千円くれるといっても金魚にも触れない。ペットも好きでない。それでも明るく人望があるならそれもいいがまだいいがそれもない。私とて多くを望まないが一つ位は人並みでいたかった。私はこの重大な問題を考え続けてきた。以前真剣に、声帯を手術して歌が上手くなるのなら、お金を払ってもいいと思ったこともある。・・中略・・私が女ならどういう男を選ぶだろうかは明白である。有事の際に生きていける男は頼もしい。私はほんの僅かな「記憶力」だけの資格で仕事をし、生きてこられたのは、幸運にも戦後の日本に生まれたからである。先日、生まれて初めてホームセンターで板を買って棚を作った、というよりネジを止めただけだがまだ落ちていない。嬉しかった。「収納は私に任せなさい」と妻に言っている。」


これを読んで私は思った。
全部私と同じだが、決定的に違う点がある。できない事は所詮できないのだからと諦め、そんなことで女性が寄ってこないのならば、女性とはバカな種族なのだと思うことが肝心。


逆説的な言い方になるかもしれないが、「人間、無理に努力するよりも身の丈に応じてフラフラと生きていく方が心にゆとりができる」を座右の銘として生きてきた私には、寄ってきた女が何人か(も)いた。


だけどそれも又つまらない話で、好かれるよりも好くことのほうに、生きていくことの充実感があるのではないだろうか。


そういう私が自身のことで一番嫌いなのは神経質過ぎる点で、またしても円形脱毛症ができてしまった。某女性からアイラインを借りて塗ったところ、うまく隠しおおせることができたと思う。

2013/04/01 (月) 千代女5百句


加賀千代女5百句


新年の句
 


屠蘇酒や 又とそまでの 遊びぞめ


鶴のあそび 雲井にかなふ 初日哉


福わらや 塵さへ今朝の うつくしさ


よき事の 眼にもあまるや 花の春


かざらぬは 初音も来よし 庭の竹


仕事なら 暮るゝおしまじ 若なつみ


白い手の 鳥追いもあり 若菜畑


たから船 よい間所に かゝりけり


七草や あまれどたらぬ ものも有


七草や 雪を払へば それでなし


初空や 鳥はよし野の かたへ行


道くさも 数のうちなり 若菜摘


我裾の 鳥も遊ぶや きそはじめ


うつくしい 夢見直すや 花の春


初空に 手にとる富士の 笑ひ哉


鳥一つ ふたつも見るや 初かすみ


七草や 似合ぬものは 蕪かな


七草や 三つ四つふたつ 置所


花よりも 名に近づくや 福寿草


福寿草 まだ手もをけぬ 所より