2013年04月③

① 1日ー10日  ②11日ー20日  ③21日ー31日

2013/04/29 (月) サンライズ サンセット


昨日は明社定期総会で一日中「福井県中小産業大学校」に居た。午前中が議事で


午後は記念講演。



福井県全域から代表が集まったが、各地区明社の会長には福井県PTA連合会時代に仲間だったひとも何人かいて、総会の休憩時には久しぶりの逢瀬ということでの雑談となった。


その雑談のなかで、PTA時代一緒に活動したNさんが亡くなっていたことを知る。私よりも若かったNさんなので愕然とした。又も別離だ。「健康長寿をめざせ」と人は言うけれども、長生きするということは別離の悲しみを重ねていくということに他ならないのだから、私はほどほどの歳で逝きたい。

2013/04/28 (日) 昨晩

6月いっぱいで私の生活は変わる。そして、7月からの新しい生活のための準備は着々と進んでいる。


昨日の来訪者は4人。
「無投票になるなんてあかん。もう一回出ろよ」という意見もあれば、「4期もやったんやからそれで充分。ゆっくり休みなさいよ」という意見もあれば、「資質的に牧田さんは議員に似合わない。よりよい議会のためにも出ないほうがいい」という意見もあって、私はそれらの意見を静かに拝聴していた。


何事につけ信念というものが無い私の行動の指針は、勿論配偶者によって決定される。強制ではないのだけれども、唯一絶対の意見提供者は配偶者です。



2013/04/26 (金) 出村界隈


昨日の午後は、三国の大森さん宅に居た。大森さんとは、大森喜代男氏(川喜の主人)。日和山吟社の代表で、三好達治初め丸山薫、宇野重吉、宇野千代、大岡昇平たちとの交流で名を知られている人だ。


秦野章が、「政治家に正直を求めるのは、八百屋に行って魚をくれというようなものである」と喝破したが、それ故、政治家の末端にいる私は、にも関らず政治家に全く興味が無く、逆に文人に対してはミーハーおじさんとなっている。


氏は、太平洋戦争時、私の親父と一緒にフィリピン戦線で帝国陸軍兵士としてほぼ玉砕を経験した。その部隊に大岡昇平が居たそうだが、私が読んだ戦記もので彼の書いた「レイテ戦記」は忘れられないもののひとつである。


彼の話はその当時のことから始まり、復員して三好達治たちとの交流に移っていったが、91歳にも関らずのその記憶力の抜群なこと。





訪問した我々四人は圧倒された。


二時間後、我々四人は外へ出て、大森さんの案内で、昭和19年から昭和23年の間「梁山泊」と称された、唯称寺境内を皮切りに滝谷出村界隈を歩いた。


布施田屋は遊郭の往時そのままの姿だ。



女将さん(91歳)から「又いつでもいらしてください」と言われたが、昭和33年3月に売春は禁止されているので、格子戸から笑みで手招きする遊女はもういないのだから、行っても仕方がない。


我々は三好達治が通った高田屋へ行き、「見返り橋」の上に、しばし立ちつくした。


大森さんは
「文人たちというのは、薄暗い部屋で原稿用紙のマス目を埋める日々だ。拠って世事に疎く世間の規範に興味がない。自然、色事が複雑に錯綜していくのだ」と話していたが、「人生、なんにも知らなくても色事だけは男女双方に染み付いている。だからこそ出会いと別れがありその過程で子が生まれ結果として人類が存続するのだ」と、私は思った。


2013/04/25 (木) 昨日の一日


昨日の朝は、福井市の語り部ボランテイア十数人と共に、浜街道を歩き、
安楽寺(真言)で北潟公民館館長から寺の沿革を聴き、



八雲神社境内を歩いた。



神仏習合及び廃仏毀釈がメインテーマであったような気がする。しかし、風雨と急勾配は体にきつかった。


夜は、坂ノ下区民館で「議会報告会」が開かれた。参加住民は15人。私は記録者なので、議員vs住民の質疑応答を懸命に聴いていた。錯綜したいろんな思いをいずれ詳述したい。


きょうの昼は、太平洋戦争に従軍した元兵士の体験談を聴きに行く予定です。

2013/04/24 (水) 昨日の一日

昨日の午前中は、今任期最後の環境対策調査特別委員会が開かれた。


午後は、福井市建築指導課からファックスされてきた確認申請に関する指摘事項を元にCADに専念。ブランクはあったが、建築知識は戻りつつある。ネバーギブアップなのだ。


夕刻に合間をみて蔦屋へ行きDVD・「武士の一分」(木村拓哉主演・壇れい共演)を借りてきた。原作者の藤沢周平はもともと好きな小説家だし、「武士の一分」はあわら市議会でも話題になった映画なので、二度目の鑑賞となる。


夜は、河間区民館で「議会報告会」。参加住民は4人。数が少ないので早めに終了。


午後9時に事務所に戻りオープンカフェに出た。白ワイン片手に夜空を見上げながら鰯の缶詰を食う。


午後10時に就寝し、今朝の2時に起床。
セーターを羽織り近所地域を歩きこれをポステイング。有森裕子のように自分で自分を誉めてやりたい気分になった。・・「そのか細い体で、雨の中を傘もささず、暗闇の中を懐中電灯も持たず歩き続けるなんて。牧田くん、君は頑張りやさんだね」。

2013/04/23 (火) 銀杏の家




西里えり著・「銀杏の家」の序文は
「明治の歌人・長塚節に「土」という農民小説の名作がある。この作品を朝日新聞に推せんした夏目漱石は、「この作品を読むことは、多くの人々にとって苦痛であろう。苦痛だからなおさら読んでほしいと思う。東京の近くに、現在このような人々が生きて暮らしていることを、多くの人に知って頂きたいと思う」というような意味のことを述べている。
西里さんのこの小説は、「土」に劣らないくらい、よく書かれた作品なのではないかと私は思っている。大陸から引き揚げて、三人の子どもをかかえた若い女性が、金津近郊の農村に腰をすえて、きびしい生活をとおして、次第にその農村にとけ込んで行く過程が、きわめて自然に、かつ克明に、よく描かれていると思う。
夏目漱石は「土」を読むことは苦痛だと言ったが、現代の読者がこの作品を読むことがそれほど苦痛とは思われない。それは小説の技巧が、長塚節より優れているという意味ではない。ここには農村における娯楽や、ちょっとしたラブアフェアも描かれてはいるが、そのためだけでもない。一番大きな相違は、明治時代の農村と、戦後の農村との舞台の差であろう。前者が全く暗い、救いのないものであったのに対し、後者には、やはり暗いところもあるが、明るい展望も開きかけていて、読者に希望を抱かせるものがある。この差異は大きいし、我々はそれを大事にして行かなければならないと思う。
もちろん現代の農村に、新たな問題が発生していることを知らないわけではないが、この小説はそれには触れていないし、また触れる必要もなかったと思う。読者は巻を閉じてから、ゆっくりと現実の問題に思いをめぐらされるのもよいであろう。
この作品は、作者の母を主なモデルとしていると伺っている。もちろん事実そのままではなく、いろいろなフィクションがあることと思うが、戦後の困難な時期をけんめいに生きた女性の面影は、ありありと描かれているし、そのイメージは永く読者の脳裏に定着するのではなかろうか。その意味で、亡き母に対する鎮魂の思いは、十分果たされたとしてよいと思われる。
この作品が、本県文学の中で近来稀な秀作の一つとして、広く江湖に迎えられることを願ってやまない。
1996年9月9日  白崎昭一郎」
と書かれている。


「銀杏の家」は二度目なのだが、前回は序文を読むのを忘れていたので、けんめいにキーボードを叩いてここにアップした。



ところで


昨日の来訪者から、「まきちゃんのブログ文章には味がある」と言われた。男性から誉められたのは二人目なので嬉しかったのだが、考えてみると、私の人生は浮気の連続だった。


20代の頃は線引きに熱中し、30代に入ってから手話に夢中になり、40を過ぎた頃から小説が好きになり、40代後半に議員となってからは市民に嫌われないように仮面をかぶって生きてきた。


6月からの私は、好きな歴史路を散策し好きな小説を読み好きな仕事にいそしみ時折一人旅を楽しむ日々を送りたい。


2013/04/22 (月) 昨日の日曜日


昨日午前6時の北潟湖。
消防署の防火訓練が行われたのだけれども、雨風が強く、真冬が戻ってきたような天候で






消防署の皆さんは偉いと思った。


帰宅し冷え込んだ体を電気ストーブで温めながら、「きょうは日曜日だから構わないだろう」と思いつつ、DVD「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」を観ているうち、不覚にも涙がとまらなくなってしまった。


太平洋戦争における激戦地・サイパン島で圧倒的な兵力(4万数千)の米軍を相手にわずか数十名を率いて戦った大場栄陸軍大尉の物語で、当初は「玉砕」のみを考えていたが、次第に民間人や残された兵士のため最後まで戦おうと決意する。
観終わったあとの感想は、「憲法9条絶対死守」


ということはともかく
本日の朝日新聞34面の「彦根市長選「桜田門外の変・・市民は冷静」」記事が有村国知の落選に言及している。

国知(38)は水戸浪士とともに薩摩藩から井伊直弼暗殺に参加した有村次左衛門の子孫だから、彦根市民にとっては仇敵となる。だけれども、国知は次左衛門ではないのである。もし出自が問題となるのであれば、井伊直弼指揮の「安政の大獄」で殺された我が越前の橋本佐内や若狭の梅田雲浜の子孫(いるかいないかは知らない)は直弼の子孫と結婚できなくなる。越前府中(今の越前市)で一向一揆勢2万数千を釜茹でで殺した前田利家の子孫は越前市議選に立候補できなくなる。利家に釜茹でを命令した織田信長の子孫・織田信成の華麗なスケーテイングに拍手を送ってはいけないことになる。ややこしいのは織田家のルーツが越前・織田町にあることでもって、呪いの対象が自分たち自身に向けられることになってしまうことだ。


「恨」の気分を子々孫々が持ち続けることは、生きている者として当然かもしれないが、胸中深くしまっておくことが大切だと思う。




2013/04/21 (日) 今朝は北潟湖へ行かねばならない

昨日の午前中に来訪したSさんが持ってきたのは自費出版の本で、タイトルは「福井の語り部 15年の歩み」(福井歴史ボランテイアグループ・語り部)編。





福井市ボランテイアの本であるにも関らず福井ボランテイアと表記されていることにある種の傲慢さを感じざるを得ないが、それはともかく、中身は素晴らしい。


3月に指宿へ行った時土地の人が、「指宿市民みんなが語り部なんです」と言っていたのを思い出した。
あわら市が「まちの魅力アップ事業」として、どんなハード事業をやろうとどんな宣伝をやろうとそれだけなら税の無駄遣いでしかなく、指宿を見習うべきではないか、と私は思う。

それはともかく、昨晩はDVDで「浮雲」を観ていた。
戦時下の男女ドラマで、男は森雅之、女は高峰秀子。森は有島武夫を父に持つ俳優なので男の底に潜む卑怯さを渋く演技していたのはよくわかるが、驚いたのは高峰。


私は高峰秀子を日本一の美女だと思っているし故に松山善三を日本一の幸せ者だと思っている。「二十四の瞳」などで健康的なイメージとして印象付けられているその高峰が、けだるい女を演じていた。酔っ払い、恨めしげに男を見つめる高峰に私は妖艶すら感じた。


このようないい女があわら市内にいるだろうか・・・うん、ひとりいる。