18年05月日記

西暦 18年5月31日 木曜日
 昨晩は、8人会議。相棒と共に出かけたのが7時で、9時に帰宅した。
 帰路、月は大きく奇麗だった。
 千数百年前の人たちが、月にかぐや姫の存在を信じていたとしても不思議ではない。だって、その頃に空にあるもの太陽と月だけだったのだから。

西暦 18年5月30日 水曜日 もう五月も終わりか
 昨日は久し振りに妹がやってきて、長いあいだ四方山話をしていた。
 妹が言うに、NHK大河ドラマ・西郷隆盛の舞台が、沖永良部島にうつってきたとのこと。思い出の地を是非みるべきだとすすめられた。NHK大河ドラマは数十年前に一度見たきりだが、僕の青春が終りを告げた沖永良部なのだから、無理してでも見るだろう。

西暦 18年5月29日 火曜日
 藤田良次郎さん講演へのご案内

西暦 18年5月28日 月曜日 
 僕は、大石内蔵助に惚れている。
 吉良邸討ち入りに至る浪士統率の困難の道程を支えてくれたのは、吉田兼好・徒然草の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは・・」だ。
 大人(たいじん)は、己を虚しゅうし、ひとを見る目を複眼としなくてはならない。そのことによってのみ大事を遂行することができるのである。
 船橋聖一著「新忠臣蔵」も二巻を読み終えた。今日から三巻に入る。
今朝、ゆきのした文化協会の代表Tさんが「ゆきのした」5月号を持って来訪。
「永井鱗太郎の作品を愉しむ会」のことが二ページにわたって掲載されている。

西暦 18年5月27日 日曜日 きのうの阪神サヨナラ勝ちには興奮した
 人と会うことはめったになくなったが、我が家前の道路を隔てて両隣りに住んでいるこのお二人(共に70数歳)とはしょっちゅう顔を合わせていて、このお二人から世間の話を聞くことで辛うじて世の中とつながっているような気がする。
 
 彼等に僕が勝てるのは女性にもてることしかないと思っていたが、二日前に車椅子生活者になることを決意した結果、そのプライドもなくなった。

西暦 18年5月26日 土曜日 もう週末か
加藤すみ子さんから電話があって、昨日の午前中は、金津創作の森・展覧会場にいた。「森の作家展」が開かれていて、加藤さんのコーナー入口には、自己紹介文がこのように書かれている。

 「金津に、創作の森が・・・」という新聞記事を目にしたのは今から20年前の春。それは、わたしがインドネシアの「ジャワ更紗」(=ジャワ島のローケツ染)を三年間まなんで帰国した次年の春のことでした。
 その頃私は福井の市街地に住み、夫と「もっと静かな処に住みたい」と夢見て居りましたから、早速応募してOKとなり、住居を考案していましたところ今は亡き中学時代の恩師坂本豊先生(あわら市滝)の御息女で染色家の水野節子様(あわら市山室)から「金津の来られるのなら、早くろうけつ染の講座を開いて!」とのお励ましを戴きました。その頃、創作工房は既に完成していましたので陶芸の部屋で早速始めましたが、その中にただ一人旧三国町から来られたのが、今回のコラボを組んでくださった武部美枝子さんでした。
 その後の「葉室ろう染クラブ」でも草木染等常にご熱心で中心的メンバーのお一人です。
 講演会日程

西暦 18年5月24日 木曜日
 パワーポイントの方法がよくわからない。動画コピーの方法がよくわからない。
 もう少し前からパソコンに慣れておくべきだった。 

西暦 18年5月23日 水曜日 

一休
女をば法の御蔵という実に 釈迦も達磨もひょいひょいと生む

世の中は 起きて稼いで寝て食って 後は死ぬのを待つばかりなり

花は桜木人は武士 柱は桧魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし

 今朝は染画家・加藤さん宅を訪れ、玄関ロビーを撮影していた。


講演会日程


西暦 18年5月22日 火曜日 夜明けにコンソメスープを飲みながら
 右足腰マヒの進行を、ニュートンの法則・メンデルの法則と同じく「人体劣化の法則」と決めつけ特別何も思わないでいたが、先日の「永井鱗太郎の作品を愉しむ会」のビデオを見て考えが変わった。
 冒頭の挨拶をする僕の右手に握られた杖が貧弱なのである。僕の立ち姿に胸をときめかせるはずだった何人かの女性たちを失望させてしまったのではないか・・・。
 そう思った僕は、昨日に健康長寿課へ相談に赴いた。が、日常生活を支援なしでこなしている僕は、要支援者には該当せず、実費購入しかないとのこと。・・どうしようか。
 二週間後に迫った染画家・加藤すみ子さんの記念講演での冒頭挨拶を考えると思い悩む。

西暦 18年5月21日 月曜日
 明社北陸3県研修会・・二日間の長丁場でしんどかったけど、終わってみると心地よい。

 第一日目の講演者・川崎葉子さんとは久しぶりの再会だった。
 御覧ください。

西暦 18年5月19日 土曜日
 忙しい週末の始まりだ。
 夜明けまでに図面修正を完了し、きょうの午前中はイコッサで打合せ。午後からは北潟湖畔荘で泊まり込みだ。おかげで「新忠臣蔵」がなかなか進まない。
 昼行燈の静かな余生に入りたかったが、しかし入っていたら退屈だったかもしれない。ケセラセラだ。
議員と語ろう会日程

西暦 18年5月17日 木曜日
 昨日の晩は、浅野内匠頭の吉良上野介への刃傷沙汰で、綱吉の厳命による内匠頭即刻切腹と早籠で知らせを聞いた大石内蔵助登場の段までを読んでいたが、理不尽な処置に少々呆れる。

西暦 18年5月16日 水曜日
 昨晩は、巨人が負けて広島が負けて阪神が勝って、付け加えるなら遠藤が勝ったので、久しぶりにいい気分だ。
 そこで、昨晩の来訪客持参の手作り焼酎を気分よく味わっている。
 

西暦 18年5月15日 火曜日 今晩はあわら市九条の会・会議
 舟橋聖一著「新忠臣蔵」が面白くてやめられない。
 忠臣蔵に関しては丸谷才一や井上ひさしなどの著書が印象に残っていてどちらだったかは忘れたが、清水一学の悲恋として読んだような気がするが、舟橋の場合は浅野内匠頭長矩と正室・阿久利の縁に主眼をおいている。元禄の封建時代、大名の奥方といえば床の間の置物でしかなかった時代に、長矩は阿久利を人間として愛していた。それが高家筆頭・吉良上野介の邪悪を喚起し刃傷松の廊下につながり、二人は永遠に引き裂かれるのである。
 引き裂かれるからこその永遠の愛と、逆説的に言えようか。
 きょうの午前中は、宮谷石切場へ某あわら市議を案内した。
 数年前に福井新聞記者を案内したことを思い出した
 

西暦 18年5月14日 月曜日 一段落
 先日のイベント。午前中のリハーサルの最中(さなか)、突然足がすくんで歩けない。
 結局、杖を使うことになった。
 イベントの主催者側代表として挨拶する僕の姿に胸をときめかせていた女性も沢山居た筈だが、仕方ない。背に腹は代えられない。
 これからは、杖つき紋次郎と呼ばれるようになるだろう。


西暦 18年5月13日 日曜日 やっと終わった
 <刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会>がやっと終わった。



 終了後に別室でインタビューを受けた。インターネットテレビだ。
 散髪をしときゃよかったと思う。ネクタイをつけときゃよかったと思う。
 六月二十日から放映されるでしょう。あわら市ホームページから閲覧できます。
 
 この会開催の動機あるいはこれからの抱負などをいろいろ聞かれごちゃごちゃ答えたが、一番印象に残ったのは子供たちによる短歌、詩の朗読。
 僕も時々は短歌、詩を読むがあくまでも黙読。きょうの涼やかな音読を聞いていて、和語がまだできあがっていなかった古代社会の文芸を垣間見たような気がする。
 

西暦 18年5月12日 土曜日 早朝に珈琲を飲みながら

 さあ きょうは頑張るぞ

西暦 18年5月11日 金曜日 無題
高野悦子・ 二十才の原点

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根元に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を吸おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を吸おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで
静かに休もう

原始林を暗やみが包み込む頃になったら
湖に小舟をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 高野はこう書いて轢死した。享年20歳。今から50年前のことだ。

 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。
 時間のある方は是非ご来場ください。

西暦 18年5月10日 木曜日
 今朝はあわら市庁舎・生涯学習課において打合せ。午後も行かなくてはならない。このところ連日で議員にもどったような気分だ。議員時代の市職員は一番若いところで課長補佐級だから、現在は行くことによって若い女性と知り合うことができ、これがこのところ心が活性化している原因なのかもしれない。
 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。
 時間のある方は是非ご来場ください。

西暦 18年5月9日 水曜日 ちょっと朗報
 足腰の痛みがうすらいできた。100歩200歩あるいても、よろけないという自信がついた。
 ウオーキングやリハビリの成果といえるが、何よりも気温上昇の恩恵をうけている。
 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。
 時間のある方は是非ご来場ください。

西暦 18年5月8日 火曜日
 
 四人が芦原温泉の料理屋で飲んだあくる日の朝、目覚めると、歯が猛烈に痛い。原因はわかっている。前の晩に料理屋で出された高級魚があまりにも美味く、硬さを気にせずがつがつと一気に食ってしまったからだ。
 歯科医院でのレントゲン撮影の結果、差し歯にヒビが入っているとのこと。悲しいことだが、近い将来、全ての歯はなくなるだろう。

 ハメマラとはよく言ったものだ。
 それはさておき
 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。
 時間のある方は是非ご来場ください。
西暦 18年5月6日 日曜日
 印牧先生が亡くなって、はや四日が経過。
 四人が芦原温泉の料理屋に(つど)うて在りし日の先生を偲んだ時にはビールのピッチがはやかった。確か享年96歳だと思うが、どんなに博覧強記の人でも、人は必ず死ぬ。


西暦 18年5月1日 火曜日

 印牧邦雄氏が亡くなった。

 
西暦 18年4月30日 月曜日 四月最終日
 コンビニへ煙草を買いに行く以外は一歩も外へ出ることのない土日だったが、何人かの来訪客があって、そのうちの一人とは二年振りの再会だった。
 彼は悪くなった膝を手術して定年前に退職。その後奥さんが早期認知症で施設内生活者となって、今は全くの孤独生活だ。巷によくある話だが、印象深かったのは唯一の癒しが、クラシックコンサートに行くこと。メロデイが聴覚にうったえる力には絶大なものがあるのだろう。
 今朝の私は「黄水仙のみた夢」の一方の主人公とも言うべき、故小泉藤和氏の墓の前に佇んでいた。
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